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屋久島で人類史を追体験する4日間~狩猟採集時代からAI時代へ~


今回で5回目の開催となった「野外活動指導者セミナーin屋久島~自然と人の営みがつながるあり方を探求する4日間~(令和5年度)」。屋久島環境文化村財団研修センターさんとの共催で2024年1月23日(火)から26日(金)の3泊4日にて開催し、無事に終了した。

尾之間文化の森にて。五感と身体感覚を取り戻す森林浴のあとに。

これから記すのは、その覚書レポートである。
自分自身のために、仲間と共にあるために。

【序章】開催前夜まで~内発的動機の発露へ~

2019年に初めて開催した「野外活動指導者セミナーin屋久島(3泊4日)」を皮切りに、様々な準備期間を経て、2022年からは「屋久島で生きると戯れるはじまりの旅(3泊4日)」「水を巡る旅in屋久島(2泊3日)」「Yakushima Learning Camp 競争から共創へ(2泊3日)」など旅と学びを横断するような体験の機会を作り続けてきた。※余談だが、こういった企画の旅の原点はどこにあるかというと、2015年3月の屋久島ヨガリトリートに端を発している。

これらの体験デザインを通して、参加者が、旅での体験から、いまここで生きる中でもたらされる衝動に気付き、自分の人生をドライブして行く姿を見てきた。同時に、僕自身も彼ら彼女らの姿に触発されたのは言うまでもない。

昨年の「野外活動指導者セミナーin屋久島」では、アクティビティ体験の一つとして、”森林浴”を新たなプログラムに加えたことで、参加者それぞれにとって大切な何かに気付く体験を提供し、自分の中で手応えを掴んでいた。2024年は、「座学」と「実技」を有機的に組み合わせて、参加者が「行動変容」して、日常に戻って実践がはじまるような4日間にしたいという想いがあった。

目を瞑り、太陽を感じる。

1)会報誌『CAMPING』対談と平田会長との交流

2022年6月が前回の開催で、今回は2024年1月の開催。例年より開催までのブランクがあり、講習会へ向けてのモチベーションをどう整えていこうか少し不安があった。

そんな折、2023年8月に立て続けに、自分がキャンプディレクターであることを思い起こさせてくれる出来事が起きた。

ひとつは、公益社団法人日本キャンプ協会の平田会長と屋久島でお会いしたことである。それも屋久島のガイド仲間を経由して連絡があり、不思議なご縁を感じた。平田会長は、大学生を連れていらしていて、その大学生たちに自分の人生の話をする機会を作ってくれた。大学生の目の輝きと平田さんからの「これからも指導者養成頑張ってください」という一言が大きな力となったことは言うまでもない。

もう一つが、日本キャンプ協会の会報誌『CAMPING』の対談企画での取材依頼が来たことだ。オンライン対談のお相手は、北海道キャンプ協会・秋葉会長だった。秋葉さんとは初対面だったが、僕と同じ東京のご出身ということで共通点があり、終始和やかな雰囲気での対談となった。全国各地でキャンプに関わる活動が現在進行形で行われていることにあらためて目を向けるきっかけとなり、2024年の講習会に向けての意識が高まる出来事だった。

2)「清里ミーティング2023」へ武者修行

東京から屋久島に移住して、ずっと大事にしていることがある。それは、敢えて島の外に出て、刺激を受ける時間を作ることだ。それは、自分自身に新たな刺激を与え、内発的動機(モチベーション)が湧くような状態にすることと、外の世界から(島外)、内の世界(屋久島)を見つめ直すためだ。

キャンプインストラクター養成講習を開催するまでの道のりも同様だった。2013年から群馬、鹿児島、東京、北九州、東京と武者修行して、ようやく2019年からスタートして、今回で5回目となる。

そして、2023年は、12月に開催した「清里ミーティング2023」を武者修行の場に選んだ。気候変動や地球環境の問題の最前線で活動する人たちの今を知るために、そして屋久島の現在進行形のアクション(近自然工法による登山道整備)を伝えるために、山梨県・清里まで足を運んだ。

このミーティングでの出会いが、「体験デザイン」という学びの場へ導かれるきっかけとなった。(この話の詳細はまたの機会に。)

3)17歳の若者の参加

年が明け、講習会で講師としてタッグを組むやっくんから参加者の情報を教えてもらった。その中に、17歳の若者がいることを知った。

そして、その時僕の中で湧いてきた衝動は、17歳の彼に向けて本気の講習会を届けたい!というものだった。そして、その熱量は、きっと他の参加者にも伝わっていくはずだと。そんな予感めいたものを感じていた。

結果的には、彼は天候不良もあり来島できず参加には至らなかったのだが、僕の中では受講生の一人として4日間、彼の存在を意識し続けていた。

こうした半年近くに渡る出来事が巡っていく中で、次第に講習会へ大きな変化を求める衝動が湧き上がってきたのである。

【2章】現代における「組織キャンプ」の価値を問う

仲間と共に、火を焚く

この安全・便利・快適な現代社会で、敢えて「組織キャンプ」をやる意義とは何なのか?

これまで日本キャンプ協会のテキスト「キャンプ指導者入門(第5版)」の内容に沿った講義をしてきた。今回で5回目を迎え、この先も続けていくことを考えた時、やはり何か大きな変化を求めざるを得ない何かが自分に迫ってきていた。このままでは先に進めない…。

そして、あらためてテキストを読み込んでいった時に、今を生きる人類にとってのキャンプの価値こそ問わなければならないと直観した。

キャンプは人の営みである。そして、自然の中で行う営みである。キャンプは人と人を、人と自然とつなぐ存在であることは、2022年2月からはじめた「結-YUI-の焚火会」を実践する中で、感じてきたことである。

しかし、これは空間軸の視点での問いと探究に留まっているのではないか?キャンプと人と自然における、時間軸の視点での問いと探究がもっと必要なのではないか?

その時浮かんだのが、ポール・ゴーギャンのこの問いだった。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか?
byポール・ゴーギャン

https://casie.jp/media/paulgauguin/

「人類はどこから来たのか 人類は何者か 人類はどこへ行くのか?」
人の営みであるキャンプの価値を問う前に、この問いは避けて通れない。

講師である僕が、参加者である方々へ何かを教えるというスタンスは、僕のジェネレーターシップ(※)に反する。だから、この問いを仲間(参加者)と共に探究するための話題提供であり、問いを立てようと、自分自身の赴くままに「知の探究」の旅へ出掛けた。
※主客の関係性ではなく、現象が先にあり、その現象を生成する一部となるあり方。⇔リーダーシップとフォローワシップ

「知の探究」から生まれた問いは…
『われわれはデジタル・AI社会になぜキャンプをするのか?』
『われわれ人類は、なぜ生き残れたのか?』
『あなたにとってよい社会とは?どんな感情を持つ人を仲間にするのか?』『われわれは体験からいかに学ぶのか?』

一見、キャンプとは程遠いと思われる問いたち。実際に、講師陣のやっくん、コペ、りんは、キャンプとどうつながるんだろう?という疑問が浮かんでいたと思う。その時は、まあまあ、やれば分かるよと諭す僕がいた(笑)

この問いを立て続けに参加者へ投げかけていく。結果的に、参加者は、自分自身とキャンプ、自然、他者との関係性について語り、自然フィールドでそれを直接体験することとなった。問いが、参加者の内側にあるものに光を与えていったのだと思う。その光とは内発的な動機なのだ。

仲間からメタルマッチを借りて、火をおこす。

余談だが、ソロキャンプは、今の時代を表していると思う。ある側面では、キャンプの市場化である。5人で1つのギアを使うより、1人1つのギアを使う方がギアは売れる。ソロキャンプを否定したいわけではない。しかし、ソロであることに、どんな意味があるのか?考えてみてもいいのではないだろうか。

狩猟採集時代の人類にも、ソロキャンプをした人類はいたかもしれない。その彼らは生き抜いてきたのであろうか?
これもまたキャンプの価値を問う、問いになりそうである。

【3章】4日間の「言葉と身体の共創」による学びのプロセスを振り返る

あとは鍋のカレーが温まるのを待つだけ。談笑中。

1)内発的動機(モチベーション)は感染する

今回の講習会をもう少し詳しく振り返ってみたいと思う。

これまでの4回と比べると、「座学の学び」(言葉)と「実技の実践」(身体)の共創もあり、参加者の行動変容が生まれていたかもしれないと感じている。

座学も知識や情報を伝えるのではなく、”問い”続けることをやめなかった。
なぜあなたは、「組織キャンプ」をやるのですか?と。

最後の振り返りのシェアの時間には、参加者の各々が、今できる具体的なアクションを宣言していた。「帰って、早速◯◯をしてみたい!」「こんな問いが浮かんできたので探究したい」など、この場が参加者の日常と同じ地平にあったことをあらためて気付かせてくれた。

この場が、短期的な学びや思い出作りで終わってしまうことを自分はもう許せなくなっているんだなと感じた。この場で参加者それぞれに何らかの衝動が湧き上がり、それぞれの日常でのアクションへとつながる4日間にしたいのだと思う。

衝動-SHODO-

冒頭で、開催に至るまでの経緯は書いた通りである。今回の講習会は、自分自身の中で、内発的動機(モチベーション)からはじまった。そこに至るまでには、たえず行動し続け、自分の中にその動機が再発見される必要があったのだ。

そして、差し迫る故につかの間の「今」の中にもたらされた衝動内なる光が、この講習会への源泉、力となった。

この衝動=内なる光は、内発的であって、自発的ではない。
内発的ーinherentと自発的ーvoluntaryは意味が異なる。

前者は、内側から湧き出る衝動であり、損得を越えた動機付けを与える。後者は、資格が取れるからやる、人に言われたからやるなど外的要因を前提とした動機付けとなる。

参加者の最終日のアクション宣言とも言える具体的な取り組みへの衝動は、僕の内発的動機から、感染したのかもしれない。

内なる光は、まるで焚火の火種のようだ。


2)屋久島で人類史を追体験するということ

狩猟採集時代の人類は、どんな世界を見ていたのか?

僕はとりわけ感染体質なのかもしれない。
人類学者でゴリラ研究でも著名な山極壽一氏の講演を聞いているうちに、人類の起源への探究にハマってしまった。そう僕もまた感染したのである。
山極さんは、若かりし頃、屋久島でサルの研究もされていて、屋久島との繋がりも強い。屋久島という共通点があったのも影響を受けた要因かもしれない。

世界自然遺産30周年を機に、僕も白神山地を訪れ、阿仁のマタギの方々と交流した。屋久島のテーマであり、地球のテーマでもある「人と自然の共生」とは何のかな?その問いに向き合う時、人類とは何のか?という問いを探究せずにはいられなかった。

その中で、組織キャンプの原点は、人類史とりわけ狩猟採集時代にあるのでは?と、人類史とキャンプの関係性について考える日々が始まった。

今思うのは、「人類」という言葉から、今この現代に生きる人間だけではなく、700万年前にチンパンジーとの共通祖先から分かれてからの初期猿人にはじまり、われわれの祖先として生き抜いた系統から、息絶えていった系統までをも想像する。そのことが、人類の源に触れ、人類とは何者なのか?そして、どんな社会をこれから築いていくのか?という問いを真正面から受け止めるために必要なのではないかと思っている。

そして、その上で、われわれは地球とどう生きるのか?という問いに初めて向き合うことができるのではないだろうか?

しかし、知識として、人類史を知ったとしても、そこに行動への力が生まれるわけではない。知ることをきっかけにして、いかに体験からの学びへと繋げるか?それが求められていた。

人類史を”身体で”追体験することがどうしても必要だった中で、それを実現させてくれたのは、屋久島の自然環境だった。

講習会の実技パートでは、住処をつくり(テント設営)、火と道具を使いメシをつくる(野外調理)。森を歩き(森林浴)、闇夜を過ごし(ナイトハイク)、火を焚く。もちろん、仲間と共に。

いずれも五感と身体感覚が頼りになる。
そして、なぜ”仲間と共に”あるのか?を身体で感じることとなる。

森で目を瞑り、風を感じる。足裏の感覚を頼りに、闇夜を歩く。ただただ火を見つめ、仲間と火を囲む。どれも日常では味わえない感覚や感情が参加者へ訪れる。

各々心地よい場所で、自分の感覚に浸る。

食材は、さすがに狩りにはいけないので、食材獲得ジャンケンをする。
でも、これは、狩猟採集時代にあった「食料の運搬と分配」を想起させるから面白い。仲間の食欲を想像し、狩り(ジャンケン)に出る。待つ者たちは、仲間が食材を持って帰ってきてくれることを期待する。まさに狩猟採集時代の関係性を思わせる。その後は、共に食事をつくり、「共食」の時間へ。

食材獲得ジャンケン!

やっくんの振り返りでの言葉を借りれば、まさに”人類として生きる”ことを現代の限られた環境ではあるけれど、追体験していた。この体験から得られたことは、それぞれにとって大きな意味があったと思う。

ここで大切にすべき体験とは、狩猟採集時代の形式的なそれではなく、それぞれの感覚・感情を伴う体験のことである。それがあって、狩猟採集時代に人類が何を感じ、何を思ったのか、を想像する。それが人類史を追体験する意味である。そして、それは屋久島の自然フィールドだからこその実践だったのかもしれない。

森での「ひとり時間」へと散っていく。


3)言葉を越えて、身体の共鳴へ

身体の共鳴…この感覚は久しぶりだ。

講習会で5回目のコラボレーションとなる、やっくん。

***

大学時代、ファミレスで調理のバイトをしていた。チェーン店の調理場なんてさぞかしシステマティックかと思われるかもしれないが、当時はまだまだ調理に人間の感覚が必要だった。

調理経験を積んだバイト仲間同士だと2,3人の分業スタイル(デシャップ&グリル/サラダ&フライ/ソテー&ドリア)で顧客のオーダーを捌いていく。

この時、厨房で仲間同士が交わす言葉は限られていて、身体の共鳴でコミュニケーションしていた。

料理は好き勝手出せばいいわけじゃなく、同じテーブルの料理はホールスタッフが持っていきやすいように、なるべく同タイミングで提供する。
みんなで食べるようなつまみ系は先に提供するなど暗黙知がある。

提供タイミングがズレれば、その分先にできた料理は冷める。そうならないために、仲間との緻密な連携・連動が必要なのだ。まさに、阿吽の呼吸

厨房で、調理をしながら身体の共鳴が起きている時、そこにはリズムが奏でられる。仲間同士で同じリズムに乗っている時は、驚くくらいに料理がタイミングよく提供されていく。

昔、ホールスタッフの仲間に言われたことがある。
「料理作ってる時、なんか踊ってるみたいだね!」と。
やはり身体同士が感じるリズムがあるのだ。

みんなで調理しながら、フロー状態に入るような感覚だ。

***

今回の講習会は、パートナーのやっくんとは、いい連携ができたようだ。
その証拠に、今回から講師陣に加わったコペが、大いに刺激を受けていた。

講習会が終わって、恒例の講師陣ランチ会で、”次はリベンジしたい”と言葉にしていた。やっくんと僕の講義や実技での言葉を越えた、身体の共鳴を肌で感じて、リベンジという言葉が出てきたようだ。

安全文化を論じる、コペ。

今回の講習会は、次世代を育成することも大事な目的に据えていた。
講師料という点では、共催している屋久島環境文化村財団が県の施設ということもあり、講師料規定があって多くは望めない。

それでも、報酬ではない。自分の内から湧き起こる衝動を力に、このプロジェクトに関わってもらいたいという願いがあった。そういう意味では、今回の4日間でコペにもキャンプディレクターとして、内発的動機がもたらされたと言えるのかもしれない。次の6月が楽しみだ。

やっくんには事前ミーティングをあまり設けられず、申し訳ないことをしたなという思いもありつつ、これまで4回に渡る身体知の積み重ねが共有されていたので、あまり言葉は必要なかったとも思う。言葉に頼らない信頼が成り立っていたのだと思う。

そう思っているのが自分だけだったらごめんなさい!笑

少し自分自身の内省の話をすると、どういう時に仲間とのコラボレーションで、自分のパフォーマンスが発揮されるかを考えた時、相手に合わせにいかず、自分の内から湧き出る力に乗って行動した方がいい結果になるようだ。今回も然り。

だからと言って独断で進めていくわけではない。相手のパフォーマンスはイメージしながらも、それに迎合することはしない。迎合した時点で、自分の内発性が失われて、力が発揮できなくなるのだろう。

仲間同士でのコラボレーションでのパフォーマンスの発揮は、はじめから調和ありきではなく、互いに高いパフォーマンスを発揮した上で、結果的に調和していくのではないかと思う。宮台社会学でいう「言外のシンクロ」ではないかと思う。余談だが、きっとWBC決勝2023での栗山ー大谷現象(最終回の登坂を栗山監督は投手大谷へ一度も指示していなかったという現象。)も、高次元の「言外のシンクロ」だったのだと思う。

マネジメントディレクターとして陰で支えてくれた、りん。

【終章】「わからぬ。ただともに生きることはできる」

4日間の講習会を終えて、1週間が経った。
もう少しでこの文章を書きあげようとしている。

今、湧いてきたことを言葉に残しておこう。

今回の内発的動機からはじまった「知の探索」の旅。
そして、仲間と共に過ごした4日間から思うこと。
それは、人は、一人では生きられないということ。

地球環境の問題を考える時、一人一人の力が大切なのだけれども、一人ではどうにもできないという現実がある。それでも、絶望や無力に陥るのではなく、自分自身の内なる光から動きはじめること。そして、今、われわれが人類の祖先から学ぶことがあるとすれば、それは”仲間と共に”生きる意味を考え、実践することなのかもしれない。

やっくんが講義の中で、
「人類として、青い地球と共に私たちはどう生きるのか?」
という問いを参加者へ投げかけた。

ただ、その答えは…わからぬ。
ただともに生きることはできる。

(アシタカ倍増計画はここに生きていた!)

この時代の仲間と共に。
内なる光を源として。

***エピローグ***

今回のキャンプ実践の中では、火、水、風、大地を五感と身体感覚で向き合い続けた。そんな4日間の体験を詩にしてみた。
タイトルは、『源へ そして源から』

『源へ そして源から』
焚き火の灯火は 天敵から仲間を守る友となる
森を巡る水の音は 記憶なき時代の子守唄となる
空を駆け巡る風は この世が常ならぬことを教えてくれる旅人となる
闇夜の大地から臨む 月と星空のランデブー
源へ そして源から
ともに生きよう
ともに息しよう

2024.2.3 K.sasagawa
シダの葉の隙間から
森歩きは、Art×Science×Heart ♪


【番外編】立ち現れたビジョンへ向けて

今回の講習会を経て、2つのビジョンが立ち現れてきた。

ひとつは、仲間と共に焚火を囲む『人類キャンプ』を開催したい!
開催までのミーティングもオール焚火会で、身体の共鳴をしよう!

もう一つは、これからのキャンプインストラクター養成講習会の実施や、
『人類キャンプ』開催に向けて、まずは任意団体としてではあるが、
Yakushima Learning Camp Association (YLCA)設立へ向けた準備をしたい。

Learning by doing:実践から学べ!を合言葉に、
仲間たちと記号接地しながら、新たな共同体を模索していきたい!

フジ、ヤマキー、ゆっきー、ヨンさん、ザワ、アキさん、タッチさん
皆さんとの出会いから力をもらいました。また火を焚きましょう。

(2024.02.03 節分)


【謝辞】
屋久島にゾウムシを探しにくる養老孟司氏からはAI社会に関する示唆を頂き、社会学者で映画評論家の宮台真司氏には社会を見るまなざしを教えて頂いた。どちらもお会いしたわけではないですが、書籍などを通して、力を与えて頂きました。ここに感謝を示したいと思います。
ありがとうございます。

最後に、今回講師としてチームを組んだ
やっくん、りん、こぺにあらためて感謝の気持ちを伝えたい。
そして、6月6日から9日の4日間もまたよろしく!

Fin.


***PHOTO Gallery***

野外炊飯の談笑風景
参加者発表シーン
火を焚く
森でのフレーミングアート
共に料理を作る喜び
ささっちょフレーミングアート
森の住処完成!
ガジュマルの下で
和気あいあいと♪
こぺのレクチャー。次回へ続く!

Thanks!!

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