島人と旅人と、豊かな日常を、ともに分かち合う場を。
2022年最後の『結-YUI-の焚火会』が無事終了。
2022年2月からはじめた『結-YUI-の焚火会』。
12月22日に年内最後の会を無事に終えることができました。
(2022年2月22日から始めて、2022年12月22日で年内を終える。「2」が多い!)
振り返ると、2022年は、毎月の開催は全7回の開催でした。
その他にもイレギュラー会として・・・
・『屋久島生きると戯れる はじまりの旅』での焚火会(2022年4月からスタートした、森林浴ファシリテーター・あかりんとのコラボ旅)
・サスカレ屋久島の皆さんとの焚火会(greenzの「サステナビリティカレッジ」で学びをともにしている方々を、南西旅行開発㈱のうっちーが旅を企画して、連れてきてくれました!)
・立命館アジア太平洋大学(APU)に通う、もかかはじめ後輩メンバーとの焚火会(屋久島で生きる中で得た自然観、環境や観光などインタビューしたいと依頼を受けて、火を囲んじゃいました!)
ほかにも島結ツアーのリピーターさんと、東京サラリーマン時代の同僚と、福岡で出会った鹿児島の仲間と、とにかく隙あらば、火を囲み、こちらも同じく全7回開催でした。
合計で14回、のべ100名超える方々と、キャンプとあごだしの宿「トッピーの森」(以下、トッピーの森)で火を囲む時間と空間を作ることができました。
この場に集まって頂いた皆さんには、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。また来年以降も一緒にこの場を作っていけたら嬉しく思います。
そして、なにより妻のやりちゃんや、こうへい、ちぇりーにも本当に感謝です。当初は、急に焚火会!?ってどういうこと?って思ったことでしょう笑 それでも続けられたのは、みんなのおかげです。
1年間、『結-YUI-の焚火会』を続けてみて
この場のそもそもの意図は?
この『結-YUI-の焚火会』のそもそもの開催の意図は、第1回の告知をする際に、noteに綴っています。長文なので、ご興味があれば目を通して頂けたらと思います。
簡潔にまとめると…
3つの期待と実践をひとつずつ振り返っていきたいと思います。
1)自然との関わりの質を高めること
焚火という自然の恵みあっての活動を続けることに意味があるんじゃないかと雨の多い屋久島の空とにらめっこしながら続けてきました。
時には、流し虫(シロアリのこと。梅雨に交尾のため飛来する)の襲来にあった焚火会もあり、最後の会も、雨あられに強風で何度かタープが飛びそうになりました!笑 毎回、屋久島の大自然がキャンプ力を鍛えてくれます。
トッピーの森の竹林をもっと活用したかったなという課題はあって、アイデアはいくつかあるので、2023年は実践に向けて動きたいと考えています。
2)人とのつながりの質を高めること
僕がガイドをしていることもあり、ガイドの集まり?と聞かれたこともありましたが、そうではなく、この場に共感してもらえる誰もが参加できる開いた場であることを大切にしてきました。
ガイドだけではないのはもちろん、島民のみならず、移住まもない人、移住を考えている人、そして旅人に、一時的に屋久島でお仕事にしている方までととても幅広いメンバーと火を囲むことができました。すでにあるコミュニティや集まりを横断的につなぐ、そんな場。毎回、誰かと誰かの”はじめまして”がある、そんな場をイメージしていましたが、これは実現できたなと感じています。
ガイドのメンバーとは、普段、山ではゆっくり話せないメンバーとガイドしていてどんな想いを抱えているのか?これからどんな事したいのか?など話が聞けて、この場を作った意味があったなと感じられた瞬間でした。
それからキャンプインストラクター卒業生にも足を運んでくれたメンバーがいたのは、純粋に嬉しかったですね。キャンプの指導者として、まずは自分たちが楽しむキャンプや焚火ができないとその楽しさを伝えられないと思うので!
3)参加者が勞を貸し合いながら仲間たちとこの場を続けていくこと
当初からこの焚火会は、僕がサービスとして提供する場でないことは明言してきました。だから、Pay it forward (恩贈り)方式を初めて取り入れてみました。
12月の今年最後の会は、集まった仲間のほとんどが料理やデザート持参してきてくれて、結局、屋久島の呑ん方でやる”持ち寄り形式”が理想的なのか?とも思ってしまったり…。
でも、ここに旅人がいたら、料理は作って来れなかったりするので、お金で"ありがとう"の気持ち伝えたい!とか、島の仲間でも忙しくて何も用意できなくて…という時に、お金や他の形で、この場への恩贈りをできる仕組みを残したいなと思ったので、もう少しPay it forward (恩贈り)方式を探求してみようと考えています。
続ける中での行き詰まりや苦悩も…
自分でやり始めて、悩むなよ!笑って思われるかもしれませんが…自ら意図を持って始めたことでもあるので、ただ続ければいいってものでもない。
実は、何度か会を重ねる中で、この場のあり方だったり、自分の立ち位置(物理的な立ち位置ではなく、この場での自分のあり方)だったりに、これでいいのか?という行き詰りというか、疑問が湧いてくるタイミングがありました。
そのきっかけは、忘れもしない第5回の開催後のこと。
「ささっちょ(私)は、もっと真ん中にいて、みんなと話をした方がいいんじゃないかな?みんな、ささっちょと話したいんじゃないかな?」という参加してくれた仲間からの問いでした。
普段やっぱり、ガイドというサービス業をしているので、お皿がなければ取りに行ったり、薪が足りなければ取りに行ったりと、なかなかじっとしていられない僕を見て、仲間は案じてくれたんだと思います。この場の意図はどこにあるのか?ということを。そして、僕に配慮してくれたのか、妻を通して、言葉を残してくれました。
数年前の自分であれば、おそらく自分で悩んで、自分で考えて、自分で結論を出していたと思います。でも、焚火会を続けてきたことで、この場に参加してくれた仲間とそんな悩みや思っていることも打ち明けられる関係性が少しずつ出来ていたんだと思います。
だから、会に参加してくれた仲間の何人かに、正直にその話をしたら、相談したメッセージの3倍以上の励ましのメッセージをもらい、逆に衝撃を受けました。こんなにこの場のことを想っていてくれたの!と。
参加してくれた仲間のお子さんは、「毎回行きたいな、行きたいな」て言うんですよって。”こんなに子どもが行きたい!って言う場が他にあるでしょうか!?”と…。
そんなメッセージのやり取りをさせてもらって、こんなふうに思ったわけです。この時代に、今、必要だと思うから場を開こうと思った。すべてはそこからはじまっている。もし誰も集まらなくなれば、その場は必要なくなるか、役割を終えたということ。であるならば、いっそのこと必要とされる限り、この場を開き続けていく!そんな覚悟が芽生えたのでした。
焚火会を通して、僕の方が、参加者のみんなから色んなものを頂いているなと思っていて、この場は自分自身のためでもあるんだなとあらためて感じた瞬間でもありました。
特に悩み事や困り事(そこにはいろんな感情が付きまとう。特に、ネガティブなもの)も仲間とフラットな関係の中でオープンに話ができたのは、自分の中では大きな出来事で、あらためて自分の大切にしていることを気付かせてくれました。
どんな気付きかというと、それは、僕にとって、情報がオープンであることは、”信頼”の表れだと思っていることです。フラットな関係性の中で、オープンに話がお互いにできる…そんな些細なことに喜びを感じれたのは、自分が生きていく上で、本当に大切にしたい価値観にあらためて触れることができたからなのかもしれません。
まるで屋久島で暮らすかのように、火を囲む
年内最後の会では、”あること”を試してみようと画策(←そんなに大袈裟なことではない笑)していました。
焚火会の10日ほど前に、長崎のある街で25年間続いている集まりの話を、仲間が教えてくれました。その会は、参加者ひとりひとりが順番に話をすることになっていると。一人3分ほどで内容は、自分の近況でも、自分の事業の宣伝でも、困りごとでも、何でもいいからみんなに話をする。そこから新たな会話や連携が生まれていっているということでした。話を聞いた時は、それは面白そう!と思い、年内最後の焚火会でもやってみようと考えていました。
ところが、当日、その場であり、集まった仲間たちの雰囲気を感じた瞬間、今日は必要ないなと感じてしまったのです。色々と段取りなどはイメージしていたのですが、自分の感覚として、今この場の雰囲気が心地よいと思えたのです。
焚火会を終えてあらためてその瞬間のことを思い返して、なぜ必要ないと感じたのか?自問自答してみました。そこであらためて気付いたことは、自分は、”今、この瞬間どうなのか?”そのインスピレーションであり、直感をを大切にしたいんだなということでした。
そういえば、2021年にオンラインの学びの会で出会った大学生に、「ささっちょが大切にしたいことは、”spontaneous”ね!」と言われたことがあって、「ス、ス、スッポン、タニアス!?」僕も初見の英単語で、調べてみて、この言葉のニュアンスが自分の感覚ととても近いことに気付いたのです。彼女曰く、日本語では言葉にできない…英語ならささっちょの感じているニュアンスを伝えられそう!とこの言葉を教えてくれました。
焚火会を続けてきて思ったことが、みんなと火を囲むというのは、まるで屋久島で暮らすかのようなだなと。それは、常に変わり続けていくということ。自分自身も変化の中にある。そして、その自分自身と、自然との関係も、人との関係も、そして、地域や社会との関係も同じ。だからこそ”今”どうなのか?これからも今を感じ続けていくんだろうなと思うのです。
島結の日常風景になりつつある「焚火会」
焚火会をはじめた時に意図したことは、いろんな寄り道をしながらも、しなやかに育まれているのかな~と、この一年を振り返りながら、そんな風に感じています。
一方で、当初はあまり意識してなかったことも自分の中に立ち現れてきました。今年からはじめたばかりの『結-YUI-の焚火会』ではありますが、島結の日常風景になりつつあるなと感じていることです。たった7回で日常と呼ぶにはまだまだ早いかもしれませんが、その方向へ向かって一歩ずつ歩み出しているなと感じています。
自分自身、屋久島のガイドとして、観光客にとっての”非日常”を作り続け、案内し続けてきました。しかしながら、その”非日常”を豊かにしようとすればするほど、自分の日常が色褪せていくように感じたことがあるのです。
旅人のために、無理矢理、”非日常”を作る旅は、将来的に続いていかないんじゃないかと想像しています。そうではなくて、自分たちの日常をいかに豊かにするか、その意図から育まれる時間であり、空間にこそ意味があり、そんな時間や空間を、旅人にもお裾分けして、ともに分かち合えたら、ともに幸せだなと思っています。それはおそらく島外から来る旅人にとっても”豊か”だと感じてくれるはずです。今は、そんな確信めいたものがあります。
ガイドツアーやプログラムは、一人で作れたとしても、この地域の日常は一人では作れない。地域の人々とともに、この地を感じながら、日常を共に編んでいくほかない。だからこそ、地域の人・屋久島の仲間と支え合いながらともに日常を豊かにしていきたいなと思います。
豊かな日常にこそ、光がある。そこに観光の未来がある。
みなさんは、”日常”と聞いて、どんなイメージをお持ちですか?
日常というと、朝起きて、仕事行って、ご飯食べて、家事をして、寝るまでの日々みたいなイメージがありますが、それだけではないと思うのです。
地域に住む人たちが、今、この瞬間を大切にしようと、作り出す時間や空間も今、この時代の屋久島の日常のひとつだと思うのです。
”日常”はどこか冴えなくて、”非日常”は煌びやかなイメージが…。僕も東京で会社員をしている時は、旅という”非日常”を常に渇望していました。
旅に出て”日常”を忘れ"非日常"に浸る、"日常"に帰りまた"非日常"を渇望する。このサイクルがどこまで続くのか…。20代後半までこの循環は、永遠だと思い込んでいました。でも、僕は、2011年にこのサイクルに限界を感じてしまった。自分の中でもう巡らなくなってきていた。だから、今、屋久島に住んでいるんだと思うのです。
このサイクルが心地よいという人もいると思います。でも、僕の心身には合わなかった。人それぞれに生きていくサイクル・循環のリズムや速さがあるのだと思います。
「観光」と「地域」を繋ぐ”窓”としての『結-YUI-の焚火会』
「観光業」といっても観光業には、様々な業界、業種が関係しています。
宿泊業、飲食業、ガイド業、小売業、一次産業も…。インフラを整備している業ももちろんです。ガイド業の〇〇さんとして話を始めた瞬間に、その各業界のそれぞれのあたりまえで話し合おうとしてしまう。
でも、大事なのは、ひとりの人として、どんな未来を描こうとしているのか?どんな未来だったら豊かだと感じられるのか?これまでのそれぞれの経験やそこで湧いた感情をも抱えて、どんなことを大切にして生きていこうとしているのか、そんな話を安心して語り合える場が必要なのではないか、そう思うのです。
僕は、屋久島の「観光」と「地域」はもっともっと繋がっていける。そして、その繋がりから今までにない新たな可能性を見出していけるのではないか?そんな希望を抱いています。
人口増加の経済が右肩上がりの時代であれば、これは地域が豊かになる最も有効な考え方だったかもしれません。
しかし、もう時代は変わりました。
今、屋久島という地域に住む一人一人にとって、”豊かである”と感じられる日常はどんな時間なのか?どんな空間なのか?そして、そこにはどんな繋がりがあるのでしょうか?
〇〇はひとつではないかもしれません。ひとりひとり異なるものが入るかもしれません。そもそも”入る”ではないかもしれません。お金だけではない、様々な〇〇をお互いに認め合うことも大切なように思います。頭で考えるだけではなく、豊かさを五感で感じて、言葉にしてみるのもいいかもしれません。
自然も、人も、地域も、社会も”豊かさが循環する”屋久島を創造していきたいなというのが今湧いている想いです。
屋久島に島外から人が訪れることによって、島人もその豊かさをともに分かち合い、旅人もまた島人と屋久島の豊かさをともに分かち合う。それによって、屋久島の中で、豊かさが巡っていったらいいなと想像しています。
そんなことを火を囲みながら、語り合える時間があってもいいなと考えています。『結-YUI-の焚火会』が「観光」と「地域」を繋ぐ窓となるかもしれない…そんなワクワクを今感じています。
一つだけ。誤解して欲しくないので、言葉にします。この場に、力やお金を集めたいわけではないのです。むしろ、この場から外へ向かって、集まってくれた人々がエネルギーを放ってくれたらと思います。
それは、まるで焚火をするかのように、薪をくべ、火を焚き、その火の付いた薪を持って、また別の場所で火を焚いて欲しい。この場から、新たな希望の火種が生まれて行ったら…と願っています。そして、もしここにお金が必要であるならば、それはこの場を続けていくための限られたお金になると思います。
豊かな日常から『はじまりの旅』へ
『屋久島で生きると戯れる はじまりの旅』を4月に初めて開催して、ともに
この旅を企画したあかりんが、旅を終えての振り返りで「はじまりの旅は、ささっちょにしかできない。」という言葉を残してくれました。
その真意は、すでにトッピーの森という場に、僕の日常であり、島結の日常があるから、それを他の誰かが表現することはできないということだったのだと思います。また、妻のやりちゃんが日々ここでトビウオを捌き続けてくれている、炭火で焼き続けてくれているというのは、この場の日常の豊かさに繋がっているのだと思います。
『結-YUI-の焚火会』を通して、僕らの日常を豊かにして、その島結の日常を『はじまりの旅』を通して旅人とともに分かち合う、そんな豊かさの循環を2023年も育んでいけたらと小さな一歩を積み重ねていきたいと思います。
最後に…
寄り道をしながらも、仲間に支えられて何とか1年続けてこられた『結-YUI-焚火会』。1年やり続けたことで、この場に新たな可能性も見出すことができました。2023年は、果たしてどんな焚火会となるのでしょうか?
もしかしたら、また立ち止まることもあるかもしれません。時には、妻のやりちゃんにいつものように”もっと場を仕切れ!”と罵倒されるかもしれません。(仕切るつもりはないけど笑)それでも、心を乱さず、今この瞬間を大切にしながら、”野生のファシリテーション”を発揮できるようになりたいな!と思います。
余談ですが、焚火会で夫婦喧嘩もよくあることで…そんなシーンを見せられるのも周りの仲間を信頼しているからこそだと思っています!笑。
これも笹川家の日常のひとつなんですよ。ってね笑フフフ
***執筆後記***
一年、火を囲みながら自分が導かれたのは、自分の原点へ還ることでした。
この場を作り上げる過程で、自分が生きていく上で、本当に大切にしたいことにあらためて気付かせてくれました。
そして、それは、2012年に開業して、2022年に10周年を迎えた「島結」のガイドツアーでずっと大切にしてきたことでした。
屋久島を3度楽しむ
屋久島に詳しいお友達
人も自然も一期一会
『結-YUI-の焚火会』のサブコピーには…
”A journey back to the origin”
"心に火が灯る場へ"
と綴っていて、自分の中にはここにたどり着くことをどこかで予感していたのかもしれません。さあ、次なる旅路がどんなものになるか…また仲間とともに歩んでいきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。多謝。
世界遺産の島で奮闘中!!よろしければ、応援よろしくお願いしますm(_ _)m