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「僕なんか」と思っていたサイエンスライターの10年間とこれから

会社員を辞めて、自営業として税務署に開業届を出したのは2012年4月1日。あれから10年が経ち、フリーランスのサイエンスライターとしてまさかの11年目に突入しました。

決して円満退社したわけではない「僕なんか」がフリーランスでやっていけるのか。あるいはフリーランスだからこそやっていけるのか。不安を抱えたまま、そして収入が少ないので奨学金の返済を一旦ストップして国民年金の納税も少し減らしてもらった最初の数年間でしたが、なんやかんやで生き延びてきました。

僕の場合、大学4年と大学院のときにやっていた個人のウェブサイトで、遺伝子の研究にちょっとでも親しんでもらえるように、クスッと笑ってくれるように、おもしろい遺伝子の名前を紹介するページを作っていたんですね。

そうしたら、出版社から連絡があって、「本にしないか」というお話をいただきました。それは大学院の修了間近で(確か修論を提出した日の夜だったはず)、これから給料がもらえるバラ色の会社員生活が始まるし、いきなり副業もアレだよなということでお断りしました。

そうしたら6年後、また同じ方から連絡が来て、またどうですかと相談されました。そのころになってくると、バラ色の会社員生活は自分にとって幻想だったと悟っていたので、いっそのことフリーランスで生きていくしかないか、と思って開業届を出しにいったわけです。「僕なんか」がライターになってもいいのかと思いながら。

そうやって翌年には、『おもしろ遺伝子の氏名と使命』を出すことができました。

幸運の中の幸運だったわけですが、これを機にニュートンで記事を書くようになったり、腸内細菌解析サービスCykinsoのオウンドメディアを任せられるようになったり、東京工業大学で非常勤講師をやったりしているので、それで10年間歩み続けることができました。昨年には『遺伝子の不思議としくみ入門』も出すことができました。

11年目の心構えは何かというと、相変わらず「がんばらずに生きる」です。僕は何か壮大な目標があってフリーランスになったわけではなく、会社に属する以外の方法でなんとかお金を稼がないといけないという、ただそれだけの理由でした。やりたいことは特にないです。個人的には、やりたいことがないことはいいことだと思ってます。

どのような生き方にしろ、どのような環境にしろ、「僕なんか」と思うよりは、今にしかできないこと、今だからこそできることを、ただ淡々と取り組んでいくのが僕には合っているのかな、と思います。

3月には40歳を迎えました。40歳の「僕なんか」と思わず、これからも人生上り坂で精進していきます。

え、「僕なんか」がやけに多いって?

3月30日に日向坂46の東京ドームライブの初日に行きまして、日向坂46のライブは初めてだったんだけどすごくて最初のVTRを見ながら目頭が熱くなって20人がステージに出てきてから少し遅れてこさかなが登場してまさかの全員で『ひらがなけやき』だし『キュン』でこさかながセンターだし『青春の馬』の爆速トロッコに乗るおすしは清々しかったし『アディショナルタイム』では目の前のサイドステージになっちょときょんこがめちゃかっこよく踊っているし『ドレミソラシド』では気球に乗ったこさかなと丹生ちゃんにサイリウムを振る日が来るとは思わなかったしトロッコに乗っているかとしは本当に不審な動きをしているし『イマニミテイロ』のなっちょとみーぱんの涙には歴史を感じたし『半分の記憶』のまなもさんは美しかったし何の曲か忘れたけどべみほが目の前のサイドステージに来たときはとんでもないほどかっこよかったし『NO WAR in the future』のまなふぃは圧倒的王女感だったし『誰よりも高く跳べ』でついにキャプテンの叫びを聴くことができたし『JOYFUL LOVE』では本当にサイリウムで虹は作れるんだと感動してその5万分の1になれたことは誇りに思っていて最後に『日向坂』で全員がサイドステージにやってきたときは改めて22人全員を推しメンにしようと心に誓うほど素晴らしいライブを40歳にもなって経験させてくれて本当にありがとうチーム日向坂。

いかん、最後オt……ファン特有の早口になってしまった。サイエンスライター11年目の40歳はこれからも日向坂46を推していきます。

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