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大学のときの友人と、投資の基本

大学のときの友達と、画面越しながら久々に会って話をした。

同じ学部ということで大学2年のときに知り合って、かれこれ20年以上の付き合い。僕を含めた5人のうち3人は今でも大学で研究を続けていて立派な研究者、1人は形成外科の医師としてバリバリ臨床の現場に立っていて、僕だけがフリーランスのサイエンスライターという胡散臭い職業を続けている。こんな集団はそうそういないだろうと思いつつ、昔から今のことについての話に花が咲く。

子どもがいる人もいるし、地方の大学でコツコツと研究をしている人もいるし。子どもの育て方やパートナーとの機嫌合わせとか、学生への指導とか、一人一人気を遣っていることが違うわけで。僕は数年に1回は引っ越しをしていて、「年賀状が送れなくなったぞ」と怒られた。すいません気をつけます。後で今の住所を教えるということで。

そして、研究者3人からの声として「やっぱり」と思ったのが、研究の世界における中国の勢いだ。


今や中国は膨大なリソースを注いで、実用的な研究はもちろんのこと、物理学や化学、生命科学、天文学などの基礎研究にも力を入れている。世界から優秀な研究者を集めてきて、優れた研究環境を提供しているという話もよく聞く。日本で開催された国際学会に参加した友人がポスター発表をしたとき、中国からやってきた学生が熱心に質問をしてきて驚いたというかすごいと思ったという。日々の研究への情熱も半端ないものがあるようで、日本の学生との違いを感じたらしい(もちろん国際学会に来るほどの人は国に関係なく基本熱心だと思うが)。

ただ、これは個々の研究者の体感にとどまらず、学術論文の数や質にも如実に反映されている。今月、文部科学省の科学技術・学術政策研究所が公開したレポートでは、2019年から2021年の3年間に出た自然科学分野の論文について、注目度の高い論文(他の論文に引用された回数が各研究分野で上位10%に入ること)の数は、1位が中国、2位がアメリカ、3位がイギリス。日本は12位で過去最低。13位には、少しずつ順位を上げている韓国がついている。日本は2002年には4位だったのが、ずるずるとずっと落ち続けている。

この停滞、あるいは陥落の原因は、大学に幅広く配布する運営費交付金の減少と、各研究者が申請して獲得する競争的資金の重視化とされている。いわゆる「選択と集中」だ。インパクトをもたらすと期待できる研究を選択し、そこに資金を集中的に投下するというものだ。ただ、申請書を書くにも時間がかかり、応募すれば必ず採択されるというものでもない。だから、申請書をいっぱい書くことになる。研究するために書類を書くはずが、いつしか書類を書くことが仕事になり、研究者が辟易する事態になっている。

そして、選択と集中が成功したかというと、そうではないようだ。今月、筑波大学などの研究チームは、国が1991年以降に支給した研究費(科研費)のうち生命科学・医学分野の18万件以上を分析し、投資効果を検証した。その結果、500万円以下の比較的少額の研究費を多くの研究者に配る方が、5000万円といった高額な研究費を少人数の研究者に配るよりも、論文数、イノベーションにつながるような研究、ノーベル賞級の発見につながりやすいということがわかった。

つまり、「選択と集中」ではなく、「浅く広く」というわけだ。一般的な投資でも、極端に絞り込むのではなくリスク分散として広く投資するのが失敗しない方法として紹介されるが、それと似たようなものなのだろう。研究費は、将来への投資なのだから。


もちろん、少額はいくらだ、という問題はある。友人は、ある雑誌に論文を投稿するのに7000ドルかかったと言い、別の友人はシンガポールの学会に行くだけで50万円かかったと言った。お金がすべてではないが、お金で解決できることは多い。願わくば、研究者の友人たちが少しても気兼ねなく研究できますように。

【エッセイから始まるサイエンス】その1 「大学のときの友人と、投資の基本」

参考文献

参考図書

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