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モンテッソーリ教育・オルタナティブ教育って?(2020.6.14)

モンテッソーリ、レッジョエミリアなどオルタナティブに精通している木村智弘さん。
これにとどまらず、ロジカル育児ゼミ、ティール組織からzoomの使い方ガイドまでオンラインイベントも多数開催しています。
さまざまな顔を持ち、マルチに活躍されている木村さんの裏話、共感したこと、質疑応答で印象に残ったことなどをまとめます。

そもそもGaiaxってどんな会社?

一言でいうと退職すると6割が起業する会社、だそうです。
社員が上司、部下という関係性は持っておらず、投資先という関係性。
会社の行事も全てオープン。
社員が来るかどうかも自由。

そういう会社だと心理的安定がみられ、とても居心地のいい空間なんだろうな、と感じました。
組織に所属しながらも個を尊重するまさに私が理想とするインクルージョンに近い状態の組織です。

評価をこわしたい

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評価を受けることにより楽しんでいたことが楽しんいられなくなるとい事例をあげていました。

絵を描いて「上手だね」と言われている姉をみて、妹は絵を描かなくなってしまいます。

この事例から感じることは評価をすることによって、何かを苦しめているのではないかということです。
よかれと思っていい評価を下したつもりでも、「上手だね」と言われた姉は次、もっと上手な絵を描かなければという無言のプレッシャーがかかってくる。
一方、妹は絵の上手な姉と比べられ、上手、下手の判定をくだされてしまう状態をプレッシャーと感じてしまう。
無言の圧力って怖いですよね。

社会人になってもそう。
営業活動などで一つのノルマをクリアすると賞が与えられ、その一瞬はすごく幸せな気分になります。
でも、それが更なるプレッシャーに変わるのに、それほど時間はかかりません。
ハードルはだんだん高くなっていく。
周りからの期待値もアップする。
自分はこんなにがんばっているのに、という余裕のなさにつながり、自分で自分の首を絞めるような感覚に陥ってしまうのです。

それに対して、モンテッソーリの考え方は「事実を(写実的に)伝える」というもの。
だから、先述の絵を例にたとえると「いろいろな色が使えたね」とか「お花のえ、かけたね」という声がけになります。

先日の工藤先生・木村先生の対談の時にも「ほめる」のではなく、「事実」を伝える、子どもたちの事実がすべてである、というお話をされていたこととも合致しています。

子どものモチベーションに効果的かと小目標を達成するたびにモノでつる、ということを子どもに対し、塾の生徒に対ししていたな~と反省しきりです。
もしリベンジの場がこの先あるのなら、声がけの部分は最も意識して取り組みたい課題です。

事実をそのまま伝えることが心理的安全につながる。
あえて評価をするのであれば、それは他人ではなく「昨日の自分」との比較、といったところでしょうか。

絆の反対は?

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一生懸命頑張る自分と改めて向き合ったとき、気持ちが楽になったという木村さん。

唐突に、「絆の反対は何だと思いますか?」と問いかけてきました。

木村さんの回答は、人に合わせる、ということでした。

人に合わせる、ということは同時に自分を裏切るということにつながり、周りを値踏みしているということにもなります。
自分という人間を押し殺して人に合わせているかのようでは絆は作れない。
傷つくかもしれないけれど、それでも本当のことを話していくことで関係性が深まり絆は深まる、という理論です。

モンテッソーリの幼稚園を卒業したあと型にはめられた学校に入ったらどうなる?

日本では幼稚園でモンテッソーリの教育を受けるケースは多いものの、小学校以降は教育機関が限られているため型にはめられた学校に入る、というケースもよくみられます。
そういう子どもたちは型にはめられた学校に入った時窮屈さを感じるのではないかという質問がありました。

木村さんの答えは、「ノー」です。

モンテッソーリを出たあとに型にはめられた学校に入った子は、とても平和的に物事を見る子に育つのではないか、とのこと。
木村さんはもしそういう子が自分のクラスにいたとしたら嬉しいとおっしゃっていました。
心配するのはいいけれど、結局、心配をするということはそれだけ子どもを信頼していないことにつながってしまいます。
子どもの人生なわけで、子どもはこども。
子どもが自分で考えているわけであって、それを大人が勝手に奪ってしまうのではよくないのではないのでしょうか。

よく、失敗をしないように大人が先回りする、ということがありがちです。でも、失敗がどれだけできるのかが重要であって、そこから成長していく過程をみていきたいのでむしろ無茶な選択肢をしてくれた方が大人としては嬉しいのです。

いわゆる「鳥の目」で全体をとらえ、より平和的解決をはかるための行動をとることだと自分は解釈しました。

外から見た公立学校

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お子様をきのくにに通わせている木村さん。
そんな木村さんは公立の学校をどう見ているのか。

回答は「いいと思います」

逆に、イヤだと思うのはどういう状態かと聞いてみたころ「ちょっかいをかけすぎる」ところではないか、とのこと。
公立はそこまでちょっかいをかけない。手出しはあまりしない。
人生踏み入れていく度合いといえば、公立はそれほどでもありません。
むしろ進学校のような、「どれだけ進学率をあげるか」にフォーカスしている学校のほうがちょっかいをかける頻度が高いのではないかと分析していました。

一番の学びは遊びからうまれます。
子どもがその行為に夢中になって無茶をする。チャレンジをして失敗してしまうかもしれないけれど、そのワクワク感がいいのではないか、ということではなまるの高濱先生のお話を出していました。

男子はやたら高いところから飛ぼうとします。
変なリスクもあるのにどうしてもやってしまう。
遊びとはなにか。境界線はないのではないか。
何かを得られるためにやるのは外発的動機でやります。
でも、内発的動機が心の発達にはとても大事なところです。
専制君主にしたいのであればどれだけ内発的動機を大切にするか。
集中してやっていることなんてなんでもいいんです。

どのような環境下におかれても、大人は子どものすることにいちいちイライラしない(ここがなかなか難しいのですが)、温かい目で見守りつつ事実のみを伝えることの重要性を改めて感じました。

その他エピソード

・根拠のある自信より根拠のない自信
・モンテッソーリ的「こどもがジュースをこぼした時」から得られる学び
・内省とは
・木村さんおススメの本、映画
・ティール組織について

まとめ

アツイ思いをたくさん感じた2時間でした。
大人である自分たちが現状を受け止め、その先どうするという事実を丁寧に伝えていくことの重要さを改めて学びました。
評価ではなく、比較ではなく、ありのままを伝える。
簡単だけど難しい、だけど大事なことを教えていただいたような気がします。


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