本棚

百科事典

好きなように文字をつらつら並べて好きなことを語りたいと思い立った。
周りを見渡してあるものはスマホに手帳、お気に入りのカップに入った甘いコーヒー、シンプルなカレンダー、電卓、のど飴、しっとりティッシュ。
顔をあげるだけで語れそうなあれこれがあるではないかとふと気づく。
そもそも今使っているPCだって使いたい理由があるから選んだのだ。
弩級の機械音痴に加え日頃の荷物の多さから、軽くて薄くて簡単に扱えるもの、キーボードを触ったときのぱちぱち感が心地よくマットな黒色が好ましい。機械が分からないなりにディテールとやらにこだわるのである。
私の目にとまってから数年お仕事をともにしてくれています。
そうやってひとつひとつお気に入りを増やし囲まれているがいつの間にかただのモノとしてあるだけになってしまう。
常々私のお供をしてくれる相棒達にスポットライトをあてて良いところをみつけてあげようではないか。
そんなくだらないことを楽しんでやってみることにした。
そんなお気に入り第一号は祖父の百科事典。

祖父の書斎には大きな本棚が二つあり一番上の棚に古い百科事典が並んでいる。厚みと重みのある大きな本がなぜ取りにくい一番上に置いてあるのか。
そんな疑問を持ちつつ子どもの頃は蓋のついたゴミ箱にのって一冊づつとって意味の分からない言葉をただ眺めていた。
小柄だった私は自分の顔よりもずいぶん大きな本を持っているだけで嬉しくなった。文字がびっしり書かれているのを見るだけで博士になったような気もして分かってもいないのにふむふむなるほどねぇとみんなに聞こえるようにひとりごとを言ってみたりもした。
18冊もあるので読んだふりをするために時々第8巻を開いてみたりする。
順番は関係なく言葉を学べるのでたまたま目に入った言葉を覚えて
ねぇねぇ、〇〇って言葉知ってる?と自慢げに話す。
すごいねぇそんな難しい本読んでるの。と親戚の人に言われると誇らしい気持ちになった。

ぺらっぺらっというページをめくる音も好きだった。
一冊750ページほどあるのでめくって遊ぶだけでも楽しむことができた。
同い年の友人たちからガリ勉メガネザル(小さい頃から瓶底眼鏡)と呼ばれたりもしたけれど、この面白さがわからんとは。とつーんとしていることもあった。

大きくなるにつれて私は祖父の書斎に入り浸るようになった。
外に出かけたり友人と遊ぶこともなく、古い本や大きな地図、地球儀やパズル、世界中の美味しいものの本など飽きることなくずっと見ていた。
祖母はいつもミカンをくれて、祖父は何も言わずにずっと隣に座っていた。
そのころには体重も増えゴミ箱には乗れなくなってしまったので本棚の3段目に百科事典を置いてもらった。
今思えばもっとひとつひとつのことをじっくり読んで学べば身になっていることも山ほどあっただろうに眺めることを楽しみとしていたので大人になった今も博士には到底なれず知らないことだらけである。
あぁ実にもったいないことをした。
しかし視覚的にぼんやりと記憶に残っていることもありふとした瞬間に埃まみれの記憶の引き出しがぎぎぎーと出てくることもある。
知っている喜びよりも懐かしい風にまとわれて優しい気持ちになれる。
それだけでも十分価値があるので良しとしよう。

祖父が亡くなってからは祖母の部屋となり大量の服と雑貨で本棚が半分隠れてしまい、勝手に部屋に入ることも禁止になって以来その百科事典に触れることはなくなった。
その祖母も亡くなり荷物の整理のために10年ぶりに書斎に入った。

祖母の部屋には誰も入ることはできなかったので一体どんな部屋だったかすらぼやっとした記憶になっていたが、足を踏み入れた途端あの頃の香りが残っていて本棚も地球儀もパズルも人形もあった。
ただ荷物で埋もれていて探すのが大変だったけれど。

あの百科事典は?と気になって本棚のあたりの荷物をかき分ける。
あった。昔と変わらない佇まいでちゃんと18冊並んでいた。
ずっしりとした重みを感じてミカンの汁がついてしまったページを見つけたら祖父祖母との記憶が蘇ってきて少しだけしんみりとしてしまった。
思い出が詰まった百科事典をどうしても捨てたり売ったりしたくなくて今も大事に置いてある。
たまに読みたくなってぱっと手に取った巻の適当なページを開いて難しい専門用語を一つ二つ読む。
昭和42年のものなのでもうずいぶん古く、説明の言い回しも昭和の言葉遣いを感じさせる。
今の物は綺麗で見やすくなって紙も艶があり、内容も沢山増え変わり全く別物になっているはず。
もし自分の子どもができたら新しい百科事典を買って一緒に読もうと決めている。
様々な言葉を一緒に学びながら知見を広めてほしい。
今と昔を比べながら見るのも一興。
百科事典は今日も本棚でお役目を待っている。

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