優れた臨床家、マスターセラピストとは
自分がセラピーを受けるときや、
自分の大切な人がセラピーを受けることを必要としているとき、
この人に頼みたい!!
と思われるような優れた臨床家である「マスターセラピスト」についての研究があるんです。
ここでいうセラピストとは、
「心理臨床家」のことなのですが、
いやいや、いやいや、これはほんとに
心理臨床家に限ったことではなくて
いろんな業種、お仕事の哲学、生き方として
とっても価値あるものだと私は考えています。
マスターセラピストの3つの特徴
「認知的特徴」
「感情的特徴」
「対人的特徴」
の3つの特徴から取り上げています
これを見て、ワクワクしませんか?
私はしました。
胸が沸々とわいてくるような
メラメラと燃えてくるような
飛び出したくなるような感覚。
「複雑さや曖昧さを歓迎する」
これはどういうことでしょうか。
たとえばユングという人の
内向や外向のタイプ論は
個人を明確に類型別に分けることを目的にしているわけではありませんでした。
内向的な面もありながら
外向的な面も含みつつ
あるときはこんな感じで
また別のあるときにはこんな感じ。
心には実態というものはなくて
エネルギーなのだといったような考えがそこにはあったように思います。
現実に起こっている出来事とか
人の心の中にあるものも
「わかる」=「分けることができる」といった単純で簡単なものでは決してなくて、なんだかよくわからなかったりします。
でも、
「それじゃあ、もうどうしようもないじゃないか」
というものなんかではなくて、
あくなき好奇心、知的挑戦をもって常に追求しようとする姿勢。
つまり、もっといろんな視点で考えてみようじゃないか!
これは、心理臨床家だけでなく、何かの専門家であればそれは当たり前の姿勢なのではないでしょうか。
「貪欲に学ぶ」
そしてこの
「貪欲に学ぶ」ことの姿勢には、観察力を磨き、感受性を高めることに力を注ぐことが含まれます。
熟練した臨床家にインタビュー調査を実施したところ、
引用しますね、
うなりました。
クライアントさんと関わる数が増えれば増えるほど、知識も引き出しも増えるだろうから、今目の前にいる人の観察や介入も、経験則で素早くスマートに行うことができるわけなんかではなくて、
むしろその都度その都度、その目の前にいる人の状況にかかわり、その人の理解に励むということ。
ほんと、自分もそうありたいと思います。
さっきの、複雑さやあいまいさに対するあくなき好奇心、追求なんですよね。
「そんなことよりわかりやすくて単純明快な結論で解決しよう」なんていう考えでは、人間のことってなかなかわかることができません。
特に心理のことでいえば
数年前は普通だったことが今では普通ではないことがあるのは普通のことだし、一昔前は問題視されていなかったことが今では最も問題視されていたり(その逆もあったり)して、そういう時代や社会や文化の移り変わりが「心」というものは影響されるわけです。
そんな心を持って私たちは生きているわけだから、知識とか経験則というものは、そのままの形でシュッとシンプルに解決策になるというものではありません。
「フィードバックを歓迎するオープンネス」
それから、
対人的特徴のところにある「フィードバックを歓迎するオープンネス」。
これもなかなか難しい所ではあるけれど、オープンネスでありたいと思います。
私たちは見たい部分を見たいし、見たくないものは見たくないです。
自分の都合に合わせてフィードバックを求める傾向は確かにあります。
それでもやっぱり成長はしたいです。
「成功」というよりも
「成長」は常にいつまでもし続けたい。
であれば、やはり
フィードバックを歓迎するオープンネスな姿勢、
あるいは対人的特徴に限らず
いろいろな物事、状況の結果に対するオープンネスな姿勢についても意識していきたいと私は考えています。
というわけで、以上、「マスターセラピスト」についてでした。
お読みいただき、ありがとうございました。
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