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ジャッジするのは私の仕事ではない

人間が人間を裁くことって本来するものじゃない、と子どもの頃に聞いたことがあって、今もそれが心のどこかに刻まれている。

「良い」「悪い」の二極で決めてしまうことによって、世界が一気に狭くなってしまうような、そんな気がするようになったのは、いつ頃だったか。

良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、でもその間には無限の色が本当はあって、それは平面的というよりは立体的で、繊細で、深みがあって、一言で言うのが難しい味わいがある。
一言で言うのが難しいけれど表現しないと伝わらないから言葉を選ぶことを試みるけど、言葉はいつも、何かを明らかにする代わりに、他のすべてを削いでしまうから、一言で言うのは難しい、というかもったいない。

だから他人に対しても起きる出来事に対しても、そして自分自身に対しても、良いや悪い、好きや嫌い、100や0かのジャッジメントは、とても注意が必要なことだなって思う。

テレビとかニュースを見ていたら、どっちが悪いとかどっちがアカンと決めがちだし、そうさせようと誘導してくるメディアの力があるけれど、絶対やっぱり、それだけじゃない。

感じ入ることってもっとあって、その一つ一つはものすごく小さい点で、一瞬のもので、すぐまたどこかに行っちゃうような、なかなかつかまえるのが大変なんだけど、つかまえられないからといってすぐにわかりやすいジャッジメントで片付けようとするんじゃなくて、つかまえるのが大変なその感受性を大事にしていきたい。
もっと見えるものがあるし、もっと考えるところはあるし、良いもののなかにも悪いものがあったり、嫌いだけど好きだし、誰かがアカンことしててもそれだけですべてなわけないし。

ジャッジするのは私の仕事ではない。

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