島津清彦
よく「いま、ここ」っていうワードを聞くけど いまいちピンとこない、という方も多いのではないでしょうか? いろんな解釈、いろんな説明方法(方便)がありますが 私なりの説明でお役に立てれば。 「いま、ここ」とは 視覚 聴覚 嗅覚 味覚 触覚 の五感にしか存在しません。 いま、自分は何を視ているのか? いま、自分は何を聴いているのか? いま、自分は何を嗅いでいるのか? いま、自分は何を味わっているのか? いま、自分は何に触れているのか? 「いま、ここ」とはその「
かれこれ7年のお付き合いになる クライアント経営者にセッション中に こんな質問をしたことがあります。 「社長(クライアント)にとって 僕の価値って何ですか?」 しばらく考えた末に、彼はこう答えてくれました。 「うーん、言語化がとても難しいです。 島津さんの仕草や発する言葉、間、ジャッジ・・・ すべてが気づき、すべてが学びなんですよね」 この曖昧さ、ある程度、予測はしていたものの 改めてこう言われるとうれしい反面、 困惑している自分がいました。 なぜ、困惑したかという
禅の修行を続けて行くと タイトルにある二つの言葉に出会うことが多い。 二つの言葉はとても近しいのだけれども それぞれの言葉の意味を紐解いていくと その意味は微妙に、いや絶妙に違っています。 ありのままといえばそう、アナ雪ですよね。 Let It Go〜ありのままで〜 歌詞から一部抜粋してみます。 「とまどい 傷つき 誰にも打ち明けずに悩んでいた それももうやめよう ありのままの姿 見せるのよ ありのままの自分になるの だってもう自由よ なんでもでき
禅とは何か? これほど答えが難しい問いはありません。 それは禅の教えそのものが 「不立文字(ふりゅうもんじ)」 つまり文字や言葉で言い表せない 実践や体験で「体得」していくものだからです。 私はよく禅のセミナー、講演等でこんな言い方をします。 「禅を理解していくのは ジグゾーパズルのピースを埋めていく作業に近いんです」 例えばこんな気づきのピースを。 禅とはいまここ 禅とはじぶん 禅とは真理 禅とは自然 禅とは宇宙 禅とは静寂 禅とはシンプル
言葉のもつ力って本当にすごい。 人を傷つけることも、勇気づけることもできる。 であれば、どうせだったら 勇気づける方向に使いたい、って考える派。 20代の頃、会社の上司から聞いた言葉で 今でも時折り思い出す言葉がある。 「主因、我にあり」 若い頃の僕はその言葉を、上司が考えた言葉だと ずっと思っていたけれども、あとから調べてみると それは松下幸之助の言葉からの引用だと知った。 この言葉、結構奥が深い。 良い結果を産んだ原因が自分にあると思えば 慢心して