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禅とは何か?

禅とは何か?

これほど答えが難しい問いはありません。


それは禅の教えそのものが

「不立文字(ふりゅうもんじ)」

つまり文字や言葉で言い表せない

実践や体験で「体得」していくものだからです。


私はよく禅のセミナー、講演等でこんな言い方をします。


「禅を理解していくのは

ジグゾーパズルのピースを埋めていく作業に近いんです」


例えばこんな気づきのピースを。

禅とはいまここ

禅とはじぶん

禅とは真理

禅とは自然

禅とは宇宙

禅とは静寂

禅とはシンプル

禅とは道

禅とは生きること

禅とは活かすこと

禅とは実践

禅とはありのまま

禅とはあるがまま

禅とは一体

禅とは一如

禅とは坐禅

禅とは禅問答

禅とは仏教

禅とは智慧

禅とは空

禅とは修行

禅とは安楽

禅とは調和・・・


坐禅を長く(ちなみに私は8年)続けていると

様々な身体感覚を味わいます。

イライラ、ざわざわ、そわそわ、脚がシビれる〜、どーん

から

スッキリ、じわーん、気持ちいいー、自然の一部になったかも

まで

ほんと、いろいろです。


ん?

ちょっと待った。。


禅とは「不立文字(ふりゅうもんじ)」といいながら

ここまで随分と文字を使ってしまいましたね。

気にせず続けます(笑)


さて、冒頭の問い「禅とは何か?」に戻りたいと思います。


ここからは核心をついた先人の言葉をご紹介することで

禅とは何かを考えてみたいと思います。

禅の大家と言われる鈴木大拙(1870~1966)の言葉です。


禅とは何か?

「禅とは自己の存在の本性を見抜くであって

それは束縛からの自由へのを指し示す。

言い換えれば、

我々一人一人に本来備わっているすべての力

解き放つのだ、ということもできる」


ちょ、ちょっと、凄くないですか???


まず「禅とは術である」と言っています。

つまりゴールに到達するための方法でありスキルです。


ゴールは何かというと「束縛からの自由」だと言っています。


「本当の自分はこんなんじゃない」

と思いながらも

力を発揮できない日々。

周囲に合わせすぎて

本当の自分にふたをして

無理やり自分を納得させる。

夢はあくまで寝て見るものである。


子供の頃の夢はどこへやら

大人になると組織や社会に同調するようになる。

鈴木大拙氏は禅を学ぶことで

座禅を実践することで

誰でもこのような束縛から自由になれる

と言っています。


「我々一人一人に備わっているすべての力を解き放つ」

とまで言っています。


「それは我々の心に生まれつき備わっている

創造と慈悲の衝動を、すべて思うままに働かせることである。

一般に、我々はこの事実、

すなわち、我々は自分を幸福にし、

互いに愛し合って生きていくのに必要な機能を

ことごとく備えているのだという事実に気づかないでいる」


新しことをスタートするときのワクワク感や、

0から1を創り出す時の高揚感、


他人を助けたり、他人に良いこと(利他行動)をして

喜ばれた時の満足感が

あなた自身を幸福に導くと言っているのです。


坐禅をすることで、本当の自分を生きることができる。

本当の自分を生きることができれば

本来だれにでも備わっている創造性と慈悲が発揮され

幸福な人生を歩むことができる、といっています。


禅が「人類を幸福へ導くための術(スキル)」だとすれば

禅の教えは、現代社会が抱える様々な問題を解決する

一筋の灯りとなり得るでしょう。


かつて日本が混乱を極めた戦国の世に

禅が、一気に日本人の心を捉えて、浸透していったように


正解のない時代に入った「いま」だからこそ

禅の教えはきっと役に立ちます。


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