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人間は決断を嫌うらしい

最近、意識的にマーケティング関連の本を読むようにしているのだけど(今更)、どの本にも共通して書いてあるのは「人間は決断を嫌う」という内容。

脳のエネルギー抑制、心理的要因、はたまた遺伝子などが決断を嫌う要因として挙げられているけど、そんな学術的根拠がなくたって生きていく中で「決めることって、めんどくさいよね」というの感覚は至極当たり前な気もする。


例えば二郎系ラーメン。

二郎系ラーメンは極太麺と極厚チャーシューに大量の野菜、背脂、ニンニク、カラメをトッピングをするのだけど、着丼の前に「コール」という儀式を行わなくてはいけない。

(所謂ニンニクマシマシとかいうやつです)

このコールというやつは実に厄介で、店ごとにマシの量が決まっておらず、初めて行くお店に関しては周囲のお客さんを見ながら判断し、己の腹の空き具合にあったマシ量を決めなくてはいけない。

「ああ、今日お腹空いているけど、野菜マシこんなにあるんだ。普通にしておこう……」

「カラメ頼んでいる人多いけど、味薄いのかな……」

「ニンニクでこんなにあるんだ。じゃあ少なめにしよう」

などなど。ラーメンを食べるまでに、考えるポイントが多く、「決断」によって満足感が変わるスタイルなのである。

そのため、二郎系ラーメンに行くときはお腹のコンディションだけではなく「決断力」も必要で、ある程度の気合がないと中々足を運ぶことができないのであった。


お店の雰囲気とか、あの緊張感とか好きなんだけどね、二郎系。

疲れた日は迷わず家系になる。そんな己の「決断力」の無さに、辟易するのであった。

決断を避けるのが人間の性だというのは何となくわかる気がする。

二郎系なんかとは比べられないくらいの大事な決断から逃げたことも多々あるし、決めたくなさ過ぎて話し合いの場からいなくなったこともある。

逃げることは時に必要なのだけど、やはり後悔が付きまとう逃げというはあって、それは何かというと「好きなこと」から逃げること、これは非常に最悪だった。


心残りがえぐいのよね、単純に。当時は逃げることに必死だったけど、あのまま続けていたら何か違っていたのだろうというタラればを時々考えてしまう。


今の僕は目の前のことにどれだけ向き合えるだろうか、どれだけ真剣に考え、後悔のない決断をすることができるのだろうか。

後悔しないって、そもそもありえるんですかね?

挫折しか知らない、未熟者の話。


追記:

二郎系youtuberさんはアカボシマシマシTVがおすすめです。





最後まで読んで頂きありがとうございます!文章を読んで少しでもほっこりしてくれたら嬉しい限りです。