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『論語』過ちを認めることが身を救う

これは有名なフレーズかもしれませんが、『論語』学而編第8章に、

「過ちては則ち改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」

という言葉があります。意味は改めて説明するまでもありませんが、「過ちをしたとき、それを改めるのを躊躇してはならない」ということですね。

この何の変哲もない言葉をなぜ取り上げるかと言いますと、第一に僕自身の経験と深く結びついているからです。加えて、処世上大事なことだと思うからです。
過ちを改めるためには、当然のことですが「自分が過ちをしてしまった」と認める必要があります。
ところが、それが簡単ではないことは改めて言うまでもありません。なぜなら、多くの場合は過ちを犯しても自分一人だけの問題では終わらず、他人に対して謝罪したりなど、他人に対しても「自分は過ちを犯してしまいました」と自分の非を認める必要があるからです。
これは単純につらいことですし、相手からの非難を覚悟しなければなりません。それゆえ人はしばしば「嘘をつく」や「ほかのものに責任転嫁する」などの手法を用いて自らの非を隠す場合があります。

ここで、僕自身の経験を振り返ってみます。

僕は、中学生になってバドミントン部に入りましたが、この部の顧問の先生は厳しい方でした。怒鳴って指導することもしばしばでした。この先生に怒られるのは大変怖かったことを思いだします。
1年生のはじめのころは、基本的に中体連は2・3年が出場するので1年生はコートに落ちた羽をひろうなど、雑用をするのがふつうです。そうなると、先輩方のようにコートに入っているわけではなく、コートの外に待機する時間が生じます。本来であればそこでも先輩の応援をしたりなど部員としてやることはあったのでしょうが、僕らは雑談をしたり、ふざけたりしていました。
それがおそらく上級生の目に入ったのでしょう、その翌日くらいに1年生は全員呼び出されました。

先生「この前の練習中にふざけていたやつは誰だ」

この重々しい口調の先生の発言を前に、僕は直感的に、「これはもはや隠せない」と感じ、仲の良い友達で、僕と同じように練習中にふざけていた者二人に目で合図をしました。そして、僕ら三人は手をあげました。すると、それにつられて1年生はみな手をあげたのです(僕は別に全員に非があったとはおもいませんが)。今思えば、友達を巻き込んだのは僕の弱さだなと思っているので、僕一人が即座に手を挙げるのがよかったでしょう。

僕は先生からの怒号が飛んでくると思いましたが、先生の発言は意外なものでした。
「この前の練習の話がキャプテンを通じて俺の耳に入った。そして、こうして呼び出された段階で君たちはもはや自分たちの過ちを隠せないことはわかっていたはずだ。それなのに多くの人は先に手をあげた三人にぶらさがっただけで、自分から手を挙げなかった。自分の失敗を認めるということからすべてが始まる。認めることができる人間になりなさい」
そして、その後に
「俺は最初に手をあげた三人を評価する」と

これは驚きでしたね。先生は後から手を挙げた人を叱り、逆に僕たちは怒られるどころか評価されました。
このミーティングが終わると先生は僕たち三人を呼んで次のように言いました
「大人でも自分の過ちを隠そうとする人がいる。君たちは、今日のことを忘れずに今後もこういう態度を大事にしてほしい」と、静かな口調で語りました。それは、僕が先生に対して抱いていた「短期で怒りっぽい」というイメージとはかけ離れたものでした。

この話は、もう9年も前のことで、その先生も転勤で僕の町を離れ、僕が通った中学も統廃合でなくなりました。しかし、この話は忘れませんし、忘れたくない大事な経験だと思っています。

僕はこの経験を経て、「過失を認めることがかえって自分の身を救う」ということを学びました。
誰だって怒られるのは嫌です。ただ、そこから逃げようとするともっと悲惨なことになります。信頼を失ってしまうかもしれません。だったら、勇気を出して自分の恥ずかしいところ、間違ったところも素直に出してみる。そうすると、非難してくる人もいるでしょうが、真に誠実さを大事にする人は必ずあなたを信頼してくれるはずです。そういう人こそ、真に関わる価値があり、大事にすべき人間関係でしょう。目先の「怒られたくない」「恥ずかしい」に気をとられ、本質を見失ってはいけません。

顧問の先生は怒ると怖かったですが、思えば先生は成果にはあまりこだわらず、言葉と行動が矛盾している場合や自分を取り繕うことに対して厳しかった気がします。結果を残しているとか残していないかで部員をひいきしたことはないですし、心の内面をとても重んじていた先生でした。
僕はたくさん怒られ、それに部活ではレギュラーメンバーにもなれずに終わりましたが、処世上部活や先生から学んだことは億万の富にも勝り、その意味で先生には大変感謝しています。

「過ちを認めない大人」と言われないためにも自分の態度には気を付けたいです。


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