好きな言葉 『孟子』編2
今回取り上げたい言葉は、
「君子は其の人を養う所以(ゆえん)の者を以て人を害せず」
であります。これは、『孟子』の梁恵王編下に出てくるものです。
この言葉の意味は、「君子たるもの、人を養うためのもののために人を傷つけるようなことはしない」といった感じです。
この言葉は、孟子本人の言葉ではありません。この言葉がどういう文脈で用いられているか。孟子は、滕(とう)の文公という諸侯から相談を受けます。
「私の国は小さい。力を尽くして大国に臣従したところで、侵略を免れないだろう。どうしたらよいものか」
これに対し、孟子は歴史の事例を示して答えます。それは、殷王朝を滅ぼした周の武王の曽祖父にあたる人物、古公亶父(ここうたんぽ)=周の大王の話です。
大王ははじめ、今の中国陝西省の都市西安から北西100キロ余りの場所にあったらしい邠(ひん)という地域にいました。ところが、そこに北から異民族が侵入してきます。大王は、邠にあった毛織物や家畜、宝物など差し出せるものはどんどん異民族に差出し、邠に迫る異民族を追い払おうとします。ところが、異民族にはそれが通用せず、侵攻がやみません。
そこで大王は、長老たちを集めて以下のように語ります
「敵がほしいのは私たちの土地だ。私は、君子たるもの人を養うための者のために人を害するようなことはしないと聞いている。おまえたちは、私が去っても君主がいないことを心配しなくてよい(きっと別の君主がやってくるだろうから)私はこの土地を去ろう」と言い、邠を去ります。つまり、住民を戦争には巻き込まず、土地を敵に明け渡したのです。
ところが、そうやって邠に残してきたはずの住民たちは、「大王は仁人で、あのような君主を失うわけにはいかない」と、みんな大王についていくのです。最終的に岐山という場所に至り、ここを根拠地に、周は後々天下を支配する力を持ちます。
さて、以上のような事をふまえると、孟子は、「たとえ今いる土地を失っても、人徳が優れていれば人々はあなた様に従いますよ」と言いたかったのでしょう。
そして、「人を養う所以の者」はここでは「土地」を指していることがわかります。このことは、とても重要なポイントだと思うのです。
思えば、今も昔も、戦争とはつまるところ土地の取り合いであります。土地への執着が戦争を生んでいるともいえます。それは目下発生中のロシア・ウクライナ戦争をみても明らかです。その土地の取り合いのために多くの命が失われ、町も自然も荒廃してしまいます。しかし本来、土地とは作物が実ったり豊かな自然を享受したりと、人々の生活を豊かにするはずのものです。ところが、その豊かさを求めての欲でしょう、人間は戦争をして土地を奪いあい、結果的にその土地も、そして人をも滅ぼすような行為をしてしまう。孟子の時代も、そして今もです。孟子は、その愚かさに気付いていたのでしょう。別の場面で、王様に対して利益や武威による政治ではなく仁義に基づく政治を訴えるのはそのためではないでしょうか。
ただ、周の大王のようにいざ自分の土地を奪われそうになってそこを手放すということはそうそうできることではありません。しかし、欲望を自制したり、事前に戦争を避ける努力はできます。また、土地に限らずとも、本来人間を豊かにするはずのものが人間を傷つけているという例は多くあるでしょう。例えば、飛行機は人間の移動時間を飛躍的に短縮させましたが、一方で爆撃に使われ、戦争をより悲惨なものにしています。インターネットも、情報の素早い伝達を可能にしましたが、新たな犯罪も生まれていますね。
どんな便利なものができても、それを使う人間の素質を高めなければかえって悲劇を生む。2300年の時を越えて聞こえる警鐘だと思えてなりません。
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