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この島をもっと知りたくて──地球の歴史へつながる隠岐の島、ここで働くと決めたわけ

貴重な地質資源と美しい景観をもち、ユネスコ世界ジオパークにも認定される隠岐諸島。そのうちのひとつである隠岐の島は、露出する地層を通じて島の歴史に、さらには地球の歴史につながっている。

──隠岐の島出身の井﨑遥さんは、高校卒業後、同島に残って観光協会で働き始めた。島の歴史や自然を学び、ガイドとしてその魅力をお客さんに伝える。島での新しい体験をつくる。自分自身のリズムで暮らし、学び、働きながら、ゆったりしつつも充実した時間を過ごしている。

高校時代、島外に出ることも考えた。そんな井﨑さんがここで働くと決めた理由や、島での生活や仕事への思い、そして隠岐の島の魅力について聞いた。

井﨑 遥(いざき・はるか)
島根県隠岐郡隠岐の島町出身。島根県立隠岐高等学校での地域学習を通して、島への愛着、興味がつのり、一般社団法人 隠岐の島町観光協会へ就職。沢山のお客様や島民と関わり、日々故郷を学び、その魅力を探究し続ける。

苦手な学校の勉強と、大好きな地域学習

隠岐の島町で生まれ育ち、高校を卒業後に島内で働くことを決めた井﨑さん。島に残りたいと思うようになったのは、いつ頃からだったのだろう。

「私は小学校の頃からすごく勉強が苦手で。いわゆる座学というか、算数とか国語とかがダメだったんですね(笑)。中学校もそんな感じで「勉強するの嫌だなあ」と思いながら、島内にある隠岐高校になんとなく進学しました。それで高校に入ったら、いよいよついていけなくて。最初は完全に絶望していました。

そんなとき、高校にいた魅力化コーディネーターの方に出会いました。魅力化コーディネーターは高校と地域をつないだり、高校生に隠岐の魅力を伝えたりする仕事をされていました。先生という立ち位置ではないからこそ、当時の私にとっては話しやすかったです。

隠岐高校には地域学習のプログラムがあります。これは地域のことを地元の方々とかかわりながら学んでいく授業です。たとえば、隠岐諸島と周辺の海岸は、貴重な地質資源や景観を守り、その価値を伝えていくユネスコ世界ジオパークに指定されています。このジオパークの活動について聞くような時間がありましたね。

私は勉強は嫌でしたが、この地域学習は大好きだったんです。高校2年生になったころには、もうジオパークのことを知るためだけに学校に行っているようでした(笑)。なにが楽しいかというと、先ほどの魅力化コーディネーターの方もそうですが、先生以外の大人の話をたくさん聞けること。それまでは正直、隠岐にはなんにもないし、つまらないと思っていましたが、「隠岐にはいろいろな活動をしている人がたくさんいる、面白いじゃん!」って。それは私にとって、初めて隠岐を故郷として感じられた瞬間でした。」

地域らしいやり方と、外からの見え方

隠岐って面白い。そう思えた地域学習。さまざまな人との出会いが授業の魅力だったという。

「授業はただ話を聞くだけではなく、地域のお祭りに参加したり、大人と触れ合う時間があったり、体験的なものでした。

印象に残っているのは、美しい海岸線の続く布施地区という地域のお祭りに参加したときのことです。お祭り自体は体育館でフリーマーケットや出し物をやる小さなものでしたが、そこにいた野菜を売っているおばちゃんのことが今でも忘れられないんです。

ずっと布施に住んでいる人で、野菜のことはなんでもわかる。会場にいる人のこともみんな知っていて、布施の人にもそうでない人にも、野菜をほとんど無償に近い値段で売るんです。私はおばちゃんを手伝って一緒に野菜を売っていたんですが、これで大丈夫なの?って思うくらい。おばちゃんはいわゆる商売とは違うやり方、動き方をしていて、それが本当に眩しく映りました。誰かに無償で与えるってすごく素敵なことなんだと思いました。

それから、地域おこし協力隊としてIターンで来ている方々との出会いも大きかったですね。「30歳になって初めて隠岐に来て、気に入ったから暮らすことにしたんだよね」。そんなふうに語る人がざらにいたんです。17歳の高校生からしたら、30歳なんていかにも大人です。そんな人が都会からやってきて、島暮らしを初めて、ゼロから新しいことを勉強している。当時の自分にとって、驚くことばかりでした。

今となっては、お父さんやお母さんのように、ずっと島で働いている人の話も面白いと感じます。けれども、高校生の自分には、よそからやってきた人たちが語る隠岐のイメージが新鮮だったんです。外の目線を知って、自分も隠岐のことをもっと知りたいと思うようになっていきました。」

家の裏の地層から、地球の歴史を垣間見る

もっと島のことを学びたい。その気持ちにしたがって、井﨑さんは島で働くことを選ぶ。

「高校に入った頃は、漠然と外に出てみたいと思っていました。けれども隠岐のことを知れば知るほど、もっと学びたいという気持ちが強くなって、私は島に残ると決めました。

地域おこし協力隊の方々のなかには、まったく知識のない状態から自分で隠岐の地域資源を研究し、商品開発に取り組んでいる人もいました。そんな方々を見ていたら、いずれ島を出るとしても、今じゃなくていいかなと思ったんです。いくつになっても挑戦できるんだからって。

それで隠岐について広く学べる職場に就きたいと考えて、隠岐の島町観光協会に勤めることにしました。

「実際、就職してから今に至るまで、勉強の連続でした。まずはガイドとしてお客さんに島内を案内するために、主要な観光スポットや道路の知識を身につけるところから始まり、バスでのガイドができるようにバスガイドの講座を受講したり。それから、島の歴史や自然のことを学ぶ機会もたくさんいただきました。

ジオパークに認定されていることもあって、地層の勉強は大切です。隠岐では普通に住んでいる家のすぐそばに、当たり前のように地層が見えているところがあって、その歴史を紐解いていくと地球のことがわかってくるんです。自分の暮らす小さな島から、地球の歴史が見える。素敵だなあって思います。」

雨の日のシーグラス

ガイドの仕事をするなかで、いくつかの課題に気がついたという。

「そうして勉強しながら、観光ガイドとしてお客さんと直接お話するようになりました。現場に出ると、どんな商品や体験が必要か少しずつわかってきます。リアルな市場調査をしているような感じですよね。

お客さんの反応のなかで悩ましかったのが、雨の日の観光です。隠岐の島町の観光はどうしても自然が中心になるので、雨が降ってしまうとやれることがかなり減ってしまいます。窓口でお客さんががっかりしているのを見ると、なんとかしなきゃって。

女性観光客が少ないという悩みもありました。世間的には「女子旅」といったワードも話題になっているなかで、隠岐には女性向けの体験や企画があんまりなかったんです。これは職場でも課題として認識されていました。

そこで開発したのが「Sea Jewelry」というシーグラスのアクセサリーづくり体験。これは海で拾ったシーグラスをきれいにして、お客さんに好きなものを選んでもらい、ピアスやヘアクリップ、ストラップを作る企画です。雨の日に室内で実施でき、女性向けの体験としてもマッチします。

もともとシーグラスに着目したのは、ひょんなことからでした。私はドライブが好きで、休みの日によく一人でドライブするんです。それで海外線を走っていると、きらきら光るシーグラスがたくさん落ちている。それを集めるのが好きだったんです。あくまで趣味なので、まさか商品になるとは思っていませんでした。

最初はシーグラスがどんなものかもよく知りませんでした。あれは昔の船に使われていたガラス製の浮きやガラス瓶が割れ、その破片が波に揉まれながら丸くなっていき、やがて海岸に漂着したものなんですね。最終的に浜辺に着くまでは50年から60年くらいかかるそうです。これは海洋ゴミの問題でもあって、周辺環境に影響があるとも言われています。

実際に企画を初めてから2年目になりますが、お客さんの反応は上々です。お子さんでも気軽に挑戦できるので、ファミリーの方にも好評です。ひとつとして同じものはないシーグラスを使って、自分だけのアクセサリーが作れる。それが満足度につながっているのかなと思います。環境問題に対する啓発になるところも評価をいただいています。」

つながりやすい環境に

自身の趣味から、島での新しい観光体験を生み出した井﨑さん。次の挑戦はどのようなものなのだろう。

「個人的には、私自身が人との出会いをきっかけに島に残ると決めたこともあって、隠岐の人の魅力をもっと知ってほしいと思っています。

観光のお客さんはもちろん、島内の中学生・高校生に隠岐の人間の面白さを感じてもらいたいですね。現状では、観光でいらっしゃる方がいきなり人と触れ合うのは難しいですし、私がかつてそうだったように、島の子どもたちも意外と地域の人との接点がありません。

ですから、まずは私自身が知り合いを増やして、人と人とがつながりやすい環境をつくりたいんです。

たとえば、私が観光協会に入った頃から良くしてくださっている世話焼きのおばちゃんがいます。

そのおばちゃんは、ヒオウギ貝や片麻岩を使った観光体験をやってくださっているんですが、そればかりじゃないんです。趣味でおぜんざいを作っていて、自分のお客さんだけではなく、近くを通りかかった観光客の方にも振る舞ってあげるんです。

ちょっとしたことではあるけれど、そんな交流が少しあると島での体験は全然違ったものに感じられるはずです。これは観光向けに作られたものではない、隠岐の大事な魅力だと思っています。

隠岐のことがもっと知りたい

井﨑さん自身は、島の暮らしのなかで、どのような体験をしているのだろうか。

「家族はずっと島内に暮らしていますが、少し前に思い立って一人暮らしを始めました。友達とかと遊ぶときに、家族がいるとどうしても気を遣うので。遊ぶのは同級生もいれば、飲み屋で知り合った友人もいて、うちで鍋をしてお酒を飲んだり、カードゲームしたり(笑)。あと、新しくお店がオープンしたら、一緒に行ってみたり。

一人でドライブに行ったり、実家に戻って野菜やお米、みかんをもらったりすることもあります。小さい頃から家でつくった食べ物で育ってきていて、お米なんて1回も買ったことないですよ(笑)。自分でお金を稼ぐようになって、ものを買わずに暮らせるってすごいなと思います。

最後に、改めて島での暮らしの魅力を尋ねると、こんなふうに話してくれた。

「島にいると、生活も仕事も自分のペースでやっていけます。だから過ごしやすいんですよね。周りにいる人から急かされることもないし、電車も走っていないから時間を気にすることもない。ゆっくり勉強できるし、サポートしてもらえる。自分がやりたいことや知りたいことを見つけたり、決めたりしたとき、それに費やせる時間が島にはたくさんあるんです。

かといって、ただのんびりしているだけでもないですよ。周りには挑戦している人がたくさんいて、だからこそ、若者の挑戦も応援してくれます。焦らず、何事も挑戦。そんなふうに考えている人が多いんじゃないかな。」

「友達と話していると、ときどき「将来もし島を出たらどうする?」なんて話題になることがあります。私はまだ島の外に住んだことはないけれど、いつかそんな日が来るかもしれません。

でも、隠岐にいるとしてもいないとしても、ずっと島にかかわっていたいんです。高校生のときにここが故郷だと気づいたときの気持ちを忘れたくないし、もっともっと隠岐のことを学びたいんです。なんにも勉強したくなかった中学生の自分に、今の自分を見せてあげたいな(笑)。