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こんにちは、子宮です

ある日、子宮がわたしの家を訪れた。

こんにちは、嶌(しま) マリヱと申します。恥ずかしながら俳優…と名乗るほど活動できておりませんが、俳優です。

わたしは38歳で妊娠し、出産しました。今は女の子のお母さんです。
結婚したのが37歳と晩婚だったので、授かれたら幸運だねと主人と話していました。妊娠できたのは本当に奇跡だと思います。

結婚や妊娠は、自然にご縁に恵まれる人もいますが、わたしは違いました。

選択し、決断しないと、夫にも娘にも出逢えませんでした。

俳優のキャリア計画

高校や大学を卒業して、30歳くらいまで仕事やプライベートを楽しんで、ある程度キャリアの土台を作ってから結婚…と考える方は多いのではないでしょうか。
俳優も一定の経験を積めば売れっ子に…だったらいいのですが、もちろんそんな風にはいきません。ずっと役名がつかないこともあるし、一生懸命に演技を磨いても、一次の書類選考を通過しないこともよくあります。
芸能事務所に入れたからといって、定期的に仕事がある人は本当に一部で、わたしはそこには入れなかった。
自分なりに小劇場で頑張ってみたり、数え切れないくらい色んな作品に応募しました。でも、活動の場は広がらなかった。
オーディションも毎月いくつもあるわけではないので、俳優として何も動けない月もあります。
それでも時間は流れ…そうして、35歳になりました。

積み上がらない人生、重ねる年齢

わたしは三人兄妹の長女で、妹と弟がいます。二人の方が断然しっかりしていて、着実に人生を歩んでいます。
家族仲はいいけれど、わたしは自分だけが停滞していることで、時間とともに実家に帰ったりみんなで集まることが怖くなってしまいました。2回目の引越しで実家からより離れた場所を選んだのも、無意識に避けようとしたからかもしれません。

二人がスキルアップしたり昇進するのを「おめでとう」と言いながら、このままでもいいのになあ…など姉としてよろしくないことを心では思っていました。
そんな燻りまくりな毎日を送っているなか、妹が結婚することになりました。結婚というものが生々しく、焦りがますます強くなります。

わたしの焦り…それは、本当に産まなくていいの?という女性の本能によるものでした。

すべてを捨てて、夢だけを追う!という人生のかけ方は情熱的でとても素敵だと思います。
わたしも映画や戯曲、演技メソッドとたくさん勉強しました。でも、家族を持つ夢も蔑ろにできなかった。
そのことを、当時通っていた演技スタジオのコーチに相談したことがあります。指導した俳優に何名か妊娠してレッスンを辞めた人がいるけど、2~3年経っても活動再開したという話は聞いてない、とのことでした。
既に知名度があり、活動の基盤ができている人は心配しなくてもいいことかもしれませんが、わたしはどちらもありません。
結婚や出産は、売れてない人が望んではいけないことなんだろうな…。

やりたいことが見つからない人も多いなかで、夢を追えてるだけ幸せと思わないといけない。そう納得させようとしました。

登場人物、子宮

もともと現実が夢によく現れるタイプでした。
ある日、わたしはリフォームする前の実家にいました。昔の家の玄関を、誰かがドンドンと強く叩いています。普通に考えたらかなり怖い状況なのに、わたしは誰なのか確認することもなくドアを開けました。
すると、目の前に見たこともない女の人が立っていました。
一説によると夢は現実世界で起きたことを整理しているので、登場人物とは過去に出会っているらしいのですが、やはり見覚えはありません。が、わたしは顔を見た瞬間、

あ、子宮だ。

と確信しました。
繰り返しますが夢です。
女性の姿となって現れた子宮さんは怒りながらこう言いました。

「あのぉ…そろそろ使ってくれませんかね!!」

その後のことは覚えていません。

やべえ夢みちまったぜ…としばらく余韻を引きずりつつも、これを見たことで「あ、わたしやっぱり欲しいんだ」と自分が子どもを望んでいることを実感しました。
じゃあどうするのか。
子どもを持つなら結婚したい。結婚したいなら相手を見つけないといけない…そうだ、一度真面目に婚活してみよう!

いわゆる適齢期を過ぎてしまったわたしに可能性はあるのか?
これからも俳優として活動していくことに反対されたらどうしよう?
そもそも誰かと一緒に生きてくなんて出来るのか?

不安ばかりですが、まずはやってみよう。それでもし、駄目だったらちゃんと諦めよう。
こうやって婚活がスタートし…コロナ禍になったり、色々、本当に色々ありましたが主人と出逢い、かわいい赤ちゃんが来てくれました。

いったん、お休みで!

わたしが今まで追ってきた夢は、自分一人が思い描く夢で、ひとりで勝ち進んでいくようなものでした。だけど今は、家族みんなが喜ぶ夢の追い方をしたいと思っています。
この3年間、本当に色んなことがありました。コロナも大きかったけど、親が病気になったり、お世話になった方が亡くなったりと、まわりと自分の老いをまざまざと感じました。

夢を追うなら、きっとひとりの方が身軽で進みやすいと思う。そんなのわかってるのに、わたしは家族を持つこと”も”選択しました。

夢の見方は、年齢によって大きく変わるのだと思いますし、変えるべきだと思います。責任は増えたけど、この歳に相応しい歩き方をやっと選べた気がします。
コーチが言ったとおり、俳優としての活動はやはり休むことにはなってしまいましたが、娘と過ごす時間、母や妻という大変貴重な経験を毎日重ねています。
この選択を正解にすることが、ひとつの目標になりました。


SNSで俳優仲間の活躍を知って闇落ちしたり、ぐずりがひどくてイライラする日もありますが、呑気にオナラをしながら寝息を立てる娘を見ていると「ま、いいか」とふっと肩の力が抜けます。

また皆様の前に立つときは、この経験が活きて、もっと深みのある表現ができますように。

悔しいことばかりで「クソクソクソ」が口癖だったのが、毎日娘に「愛してる」と伝えてる。

あのとき踏み切ったわたし、ありがとう。

子宮の擬人化なんて考えたこともなかった

#あの選択をしたから

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