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落語講談雑感・談志と伯山

※文中では、著名人の敬称は略します。

 小さな頃から落語が好きでした。
 小朝と歌丸は上手いなあと思いながら育ち、大人になってから、談志と志の輔の落語に頭をぶん殴られ、惚れ込んで今に至ります。今は、志ん朝も聴きやすくて良いなと思う。上善如水という言葉が浮かびます。

 しかし私は随分歳をとるまで、講談の方は、まともに聴いたことがありませんでした。
 それまで私が知る講談の演目と言えば、談志が演る源平盛衰記くらい。
 源平と言っても、談志が演っている時点で、いわゆる「講談」ではないんですけど。
 晩年こそ「談志と言えば芝浜」という印象が強くなっていましたが、古くからのファンには「談志と言えば源平」という方も多くいると言われるほど、その評価は高かったようです。
 私も談志の源平は好きです。関係ないけど蟇の油も好き。

 談志はよく、講談の演目を落語の形で演ることがあるようでした。
 談志が演る、落語の形の講談演目は、講談パートと枕や冗句のパートが交互に組み込まれている、スリリングなジャズセッションのようなスタイルでした。
 初めて聴いたとき、私は、枕や、笑いをとるための冗句の部分は、てっきりアドリブなのだろうと思っていましたが、何度か違う音源を聴いたとき、その多くは緻密に組上げられた台本だったということがわかりました。
 誰も聴こうとしない講談の魅力を、どんな形にしてでも、伝えてみたい、という思いもあったのだろうと、私は勝手に思っています。談志の芸風が講談と相性が良かったというのもあるでしょうね。

 時は流れて。
 神田一門に、後に講談の救世主となる人物が現れます。
 神田松之丞。現在の、六代目神田伯山です。

 落語のことでさえ詳しい知識を持たない私は、講談のことはもうそれ以上に知らないわけですが、とりあえず私が聴いたことのあるのは、神田と一龍斎を数人ずつ。寄席が近くにないので全部YouTube音源です。生で聴ける都民が羨ましい。
 何となく芸の印象として、動の神田と静の一龍斎というイメージがあります。勝手な印象ですが。それぞれ良さがありますね。

 で、神田伯山。彼の読みは、とにかく迫力がある。講談は落語と違って「滑稽な笑い」や「軽妙さ」には拘らない世界なので、持ち味が最高に発揮されるんでしょうね。
 ろくでもない悪党を演らせたら、今右に出る人いないんじゃないですか。あの若さであの重さ。惚れ惚れしますよ。あれだけテレビに出てるのに、芸が荒れませんしね。
 でも、神田伯山のとにかくすごいところは、「講談を、講談のまま、現代の客に聴かせ愛してもらう、立役者になった」という点だと、個人的には思ってます。

 彼は多分、考えたんだろうと思います。
 どうすれば、講談を消さずに残せるのか。
 それは多分、かつて談志が、どうすれば、落語を消さずに残せるか、考えたみたいに。

 だからなんじゃないかと思うのです。
 神田伯山は、松之丞という名の二ツ目だった頃、毒舌で名を売ります。
 それは、現代の芸人とは比べものにならないレベルの毒舌で鳴らし、政界や芸能界を舞台にかぶいてみせた談志に、そっくりな手法でした。
 その手法は、実力が伴って初めて成功する手法で、実際初めは随分叩かれたようでもありますが。
 高い実力があるところも、若くして天才と呼ばれたところも、その実努力の人でありそうなところも、やっぱり談志にとてもよく似ていました。
 志らくがこれをやろうとして何度か失敗してるのと、ちょっと対称的だなと思うこともあります。これは一つは志らくがどうこうというより「師匠と弟子の関係だったから」という要素が大きいような気もしていますが。

 神田伯山の読みは、そのキャラクターからすると少し意外なほどの、正統派のスタイルです。
 若さ故の荒削り感は多少残っているのでしょうが、物語の力を信じて限界まで引き出そうという読み方をする。それでいて強い個性がある。そしてその個性に中毒性がある。
 変な言い方ですが、「談志が志ん朝の芸を演ろうとしているみたいだ」と思ったことがあります。本当に変な言い方ですけど。

 昭和中期にもし講談の方が隆盛で、談志が講談の世界に入って頭角を現していたとしたら、こうなったかもしれない、と思わせるのが、当代神田伯山です。

 談志が死去してしばらく、談志が大きくしたその名跡を、一体誰が継ぐのか、話題になっていたことがありました。
 志の輔か志らくかみたいな話に収束したまま立ち消えましたが、実際あの名跡を継げる人は当分現れないだろうと思います。

 個人的には。
 技術は志の輔が継いで。
 思想は志らくが継いだ。
 そんなふうに感じてます。
 私は志の輔の落語が好きです。あのドスの効いたダミ声に師匠譲りの話芸。たまんないですよ。あの人の数分のトークは落語一席聴いたくらいの満足感をくれます。蜆売りは絶品ですね。志らくは正直あまり。でも。

 談志が今この現代に、若い状態で生きていたら。
 もしかしたらそのとき談志は、伯山にとてもよく似ているんじゃないかと、私はそんな気がしているのです。
 逆に言うと、もし伯山が昭和のあの頃に生まれていたとしたら。
 当時の談志にとてもよく似たかぶき方をしたかもしれない、という気も、少ししているのです。
 両雄並び立たずと言いますし、時代が違っててほんとに良かったなと思ったりもしています。

 結局何が言いたいかというと。
 談志の落語と、伯山の講談は、何度聴いてもたまんないですね、という、ありふれた結論に行き着いてしまう、そんなお話。
 本当に、都民が、羨ましい。

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