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エッセイ

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長いつぶやきのようなものです。
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白猫

 数年前、自宅の庭で飼っていた犬が死んだ。それ以降、うちの庭に猫が出入りすることが増えた。  野良猫のこともあれば、近所で飼われている猫のこともある。  一年ほど前に初めて見かけた白猫も、そんな猫たちの中の一匹だった。  頭からしっぽの先まで真っ白なその白猫を、一目見て私は、野良の白猫とは珍しいなと思った。  野良だと思った理由は五点。  首輪をしていないこと。痩せこけていること。薄汚れて毛づやが悪いこと。目つきが鋭いこと。そして、左後足に大きな怪我をしていたことだった。

内観を、軽い気持ちで試みたら、とんでもない爆弾が出てきた件

 私は、3歳でぬりかべを見たり、大叔母が野生のイタコモドキだったり、母が予知夢を見る人だったり、いろいろあったので、「科学で解明できないこと」が好きな人間です。勿論「科学で説明できるもの」も大好きですが、「科学で解明できそうなのに、できないふりをしているもの」「科学で解明できなさそうなのに、できるふりをしているもの」はそれほど好きではありません。他人に知られると面倒なので普段は内緒にしています。  何か困難に出くわしたとき、周囲や公的・民間機関に助けを求める感覚で、神仏に助

大学の自己紹介コールの変遷

 大学入試に合格し、無事入学手続きを終えた学生が、まず行うことは何か。  シラバスを熟読することか。  履修項目を吟味選択することか。  否。  まず行うこと。それは、飲み会に出ることである。(暴論)  大学によっても、学部によっても、サークル主催か、学部の先輩方が主催なのかなどの、多少の差異はあると思うが、「旨いメシと酒で受験勉強の憂さをはらし、我が世の春を謳歌する」という基本スタイルは同じである。  最近は酒を無理強いする不届者も随分減っていると聞く。喜ばしいことである

輪廻転生に関する仮説:なぜさっさと抜けるべきなのか

 宗派にもよるが、とりあえず仏教では、輪廻転生は「ある」とされている。 「生まれ変わり」と言えば何? と問われたとき、「松田聖子の記者会見」を思い出す人は、今は随分少なくなったろう。  郷ひろみとの破局会見で「生まれ変わったら一緒になろうねって、約束したんです」と涙声で語ったその僅か半年後に神田正輝と結婚した松田聖子の、一片の憂いもない満面の笑みを見たとき、やはりあのくらい面の皮が厚くなければ、トップアイドルにはなれないのだなあと、いっそすがすがしい思いがしたものである。

バラエティ番組のトーク台本が雑だった話

 80年代頃のお笑い番組の台本には、「○○コーナー:たけしのトークで客席爆笑」などという、たった1行のト書きが、平気で書かれていたそうである。出演者の実力次第で、番組の台本がペラ紙一枚に収まることも珍しくはなかったらしい。  まあ、こんな無茶な台本をあっさりクリアできるのは、一握りの天才だけであって、それに加えてコンプライアンスに何かと厳しい昨今は、ほぼすべての発言内容が、台本にきっちり書かれているのが普通である。らしい。知らんけど。  で、今回語る、「雑な台本」というのは

「~になります」は、言わせる方にも責任がある

■腹のたつ日もあるさ、人間だもの  お腹がすいたねとメシ屋に入って注文して、待つことしばし。  店員さんが持ってくる。そして。 「お待たせしました。マルゲリータピザになります」  お腹がすくとね、イライラしやすくなるわけですよ。  早く食べたいから、「ああ、はい」と聞き流しはしますが、 「なりますって何だ。何が、今、ここで、ピザになるんだっ」 「さっきまで皿に載ってたのは、小麦粉かっ。それともお前が小麦粉なのかっ。さてはお前、グルテン星人かあっ」  などとね、思ってしま

ぬりかべ

「霊を見た」「UFOを見た」「オーラが見える」「オバケが出たから収録に遅刻した」なんていう話を聞くたびに、まあ最後のビートたけしのボケはともかくとして、いわゆる霊感のない私は、「そりゃまた随分と特殊な能力をお持ちなんですねぇ」と、少々意地の悪い気持ちを抱くことが多い。  オカルトに限らずあらゆる分野において、私は、非日常的な物事に対する好奇心が若干強い質なので、本当は羨ましいと思う気持ちも数滴ほど混ざっているのかもしれない。  いい歳をして我ながら少々情けない。  そういう

ある手品の記憶

 子供の頃の話である。  私は居間で、母とふたりでテレビを見ていた。  番組のタイトルはもう思い出せない。  専業主婦向けの、午後の情報番組だったと思う。  その番組の終盤で、スタジオ内で作られた料理を出演者が味わっていた、という部分だけが、かろうじて記憶に残っている。連日行われていた企画なのか、その日限りだったのかはわからない。  一見、何の変哲もない料理企画。しかし、それは、通常の料理コーナーとは少々趣が違うものだった。  料理の作り手が、手品師だったのだ。  メニ

「可愛い」→「〇〇そう」?

 先日、ツイッターで、こんな内容のツイートを目にした。 「『おいしい』→『おいしそう』  『楽しい』→『楽しそう』  じゃ、『かわいい』の場合は、どうなるの?」  ギャグとして言ってるのか、それなりに本気で悩んでいるのか、よくわからないつぶやきである。  しかし、少しばかり興味をそそられたので、考えてみることにする。一口で説明できる自信がないので、まず間違いなく長文になる。そこはご了承願いたい。  ちなみに、言語学方面の下調べは一切しないので、誤りが混じる可能性は多分にあ

「高血圧にはタマネギが効果あり」は本当か

 数年前のことである。  運転中、事故を起こした。  カーブを曲がりきれずにガードレールに車の脇腹をこすってしまった。  かなり勢いよくぶつかったため、車は派手に傷ついたが、怪我人がいなかったのが不幸中の幸いだった。  事故の数日後、保険の担当者が我が家を訪れた。  諸々の保険金を受け取る手続きのためだった。  初めて会う保険の担当者は、年嵩の男性だった。  穏やかに微笑み、丁寧な言葉を使うその人は、決して威圧的ではないのに、何とも言いようのない重厚感があった。 「頼りがい

落語講談雑感・談志と伯山

※文中では、著名人の敬称は略します。  小さな頃から落語が好きでした。  小朝と歌丸は上手いなあと思いながら育ち、大人になってから、談志と志の輔の落語に頭をぶん殴られ、惚れ込んで今に至ります。今は、志ん朝も聴きやすくて良いなと思う。上善如水という言葉が浮かびます。  しかし私は随分歳をとるまで、講談の方は、まともに聴いたことがありませんでした。  それまで私が知る講談の演目と言えば、談志が演る源平盛衰記くらい。  源平と言っても、談志が演っている時点で、いわゆる「講談」で

カレーを食べたい日の私

 カレーを無性に食べたくなることがある。  手軽にレトルトを温めるのもいい。  たまには、愛想がいいんだか悪いんだかわからないインド人がやっている店のチキンカレーに、ナンをちぎって浸して口に放り込もうか。  しかし、いちばん厄介なのは、「何かそんな気分じゃない」と思ってしまったときである。  作るしかないじゃないか。  とはいえ、私は、カレーを「作りたい」わけじゃない。  カレーを「食べたい」のだ。  だから、よく解らない名前のスパイスなんかは使わない。  寝ても覚めてもカ

父との会話の記憶・復員兵の選択

 私が小学生だった頃。  その夜いつものように、家族で夕食の卓を囲んでいました。  小学校の授業の一環で、クラスの中でお遊戯会の出し物のようなことをすることがあって、当時私は、劇の台本を書くことを任されることがよくありました。  当時から、完全オリジナルで作り上げることができるほどの才は無く、勢い、童話や昔話をベースにちょいちょいといじって別物にするという手法はこの頃すでによくとっておりました。パロディとか言うんですかね。いいんだよ。手法その物はその昔芥川だってやったことで

私の本棚

 うちの両親は、子の買いそろえた本を、平気で捨てたり勝手に人にあげたりすることがある人だった。  今ならいろんな人から同情される事案であろう。それでも彼らには彼らなりの理由があったのだと思う。私は、家に帰ったらゴロゴロ寝転がって本ばかり読んでいる軽度の活字中毒者だった。両親は多分「余計な趣味に時間を使わなければ、その分勉強の時間を増やせる」と単純に信じていただけで、基本的に善良で真面目な人達だったのだ。だから今更それは咎めまい。  しかし、そのせいで私は、気に入っている本ほ