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父との会話の記憶・復員兵の選択

 私が小学生だった頃。
 その夜いつものように、家族で夕食の卓を囲んでいました。

 小学校の授業の一環で、クラスの中でお遊戯会の出し物のようなことをすることがあって、当時私は、劇の台本を書くことを任されることがよくありました。
 当時から、完全オリジナルで作り上げることができるほどの才は無く、勢い、童話や昔話をベースにちょいちょいといじって別物にするという手法はこの頃すでによくとっておりました。パロディとか言うんですかね。いいんだよ。手法その物はその昔芥川だってやったことです。レベルは全然違いますけどね。いややっぱりよくはないですか。

 その夜も、「どういうのを書こうかなあ」というようなことを、食卓の話題に出したのだと思います。
 どういう話の流れからはもう覚えてはいませんが、父が、第二次大戦後の復員兵の話題を出しました。

「戦争中、日本はだんだん勝てなくなってきて、軍人だけでは兵隊が足りなくなって、普通の男の人が兵隊にとられるようになったのは、もう学校で習ったな?
 健康な男はみんな兵隊にとられた。うちだと、俺がお前達を残して戦争に行かなきゃいけなくなる、そんなことが日本中で起ってた。わかるか?」
「うん」
「戦争が終わったとき、戦死した兵隊さんは帰れない。戦死した兵隊さんのうちには、『戦死しました』という知らせが届くか、骨が届くかする。でも、生き延びた兵隊さんは、帰ってくる。うちだと、お父さんが生き延びたら、お前達の所に帰ってこられる」
「うん」

「でな。お父さんが居なくなった後、お母さんひとりでは、いろいろ大変だろ? それはわかるな?」
「うん。わかる」
 当時、女性の社会進出は極めて厳しいものでした。
「そういうとき、『お父さんが戦死しました』という知らせが入ったとする」
「うん」
「そんな顔しなくていい。喩えだからな。お母さんは一人でお前達を育てなきゃいけない。大変だよな? そういうとき、場合によっては、別のおじさんともう一度結婚することがある」
「…」
「そんな顔する気持ちは解るけどな、こういうことは、あの頃日本中で起ってたんだ。お父さんはお母さんのこと好きだし、お母さんもお父さんを好きだと思うよ」
「うん」

「じゃあ、ここからちょっと考えてみろ。いいか。
 お母さんは、お父さんが死んだと思ったから、よそのおじさんと結婚した。そのおじさんも、それを全部わかってお母さんと結婚した。
 そこに、お父さんが、本当は死んでいなくて、生きて戻ってきたとする。
 お父さんが家に帰って、それを見たとする。
 そのときお父さんは、どうすると思う?」

 ここまで母は、父にも、私にも、全く口を開いていません。
 黙ってごはんを食べながら穏やかに聞いてます。

「えっ。だって、生きて帰ってきたんでしょ」
「うん」
「どうするって、『ただいま』って入ってこないの?」
「…ただいま、って、入る?」
「だって、お母さんと私が住んでる家なら、お父さんの家じゃん」
「新しいお父さんになったおじさんは?」
「えっ、だって、お父さん生きてたんだから」
「よかったねって言って、おじさんが出て行く?」
「うん」
「じゃあ、その家が、元々おじさんの家だったら?」
「…えっと、皆で前の家に帰る…」
「そうか。まあお前はまだ子供だからな。やっぱりまだ早かったかな」
「違うの?」
「違う」

 私には、わかりませんでした。
 それ以外の答えなんか思いつかなかった。
 父は、何の気負いも無い口調で、言いました。

「そんなことにならないように、黙って外からしばらく眺めて、俺が戻ったことを絶対に気づかれないように、そのままそこから立ち去る。そして二度とお前達のところには戻らない」

 どうしてどうしてどうしてと、手に持ってた茶碗をテーブルに置いて叫んだのを覚えてます。
 全然理解できなかった。
 だって戻って来れたのなら、どうして。

「帰って来たくないの?」
「違うな。家に帰りたい、お前達に会いたい一心で生き延びるから」
「帰って来たかったのに、家に入らないの?」
「入らない。チャイムも鳴らさないし、お前達にも会わない。遠くから隠れて眺めてそのままどこかに行く」
「どうして? お母さんと私たちのことが嫌いになるから?」
「違うよ。お前たちがいちばんだいじだからそうするんだ。嫌いになった方が、多分家に入れる」

 やっぱり全然わからなくて、私は、隣の席の母の顔を見ました。
「そうなの?」と訊いた私に、母は私を柔らかく見て、一つうなずき、「うん」とだけ言いました。

「お父さんだけじゃない。
 大人の男は、そういう状況になったら、多分皆そうする」
「…」

「お母さん、それでいいの?」
 母は、黙ったまま何も答えませんでした。

「これはな、お父さんが男だからじゃない。もし逆の立場に立ったら、お母さんも多分、似たようなことをする。…だよな?」
 母に何か確認するように発言した父の言葉に、さらに驚いた私は、バッと母を見ました。
 母は、やっぱり「うん」とだけ、言いました。

「お前も、お母さんくらいの歳になったら、多分わかる」


 まあ、こんな話が、小学生のおゆうぎの台本の参考になんか、これっぽっちもなるはずはなく、そのときは確か、結局シンデレラをベースにいじりまくったコメディを作ったんですが、それにしても、子供の頃の記憶というのは、やけに鮮やかに残ることがあるものです。
 私は、小学生の頃に聞いたその話を、解るところもあれば、解らないところもあるという、悪く言えば中途半端な歳の取り方をしました。
 先の話は、当時の価値観に基づく話であるだろうし、父が言ったように「皆そうした」のかどうかも解りません。
 でも、どんな形であるにしろ、懸命にもがいて生きる姿というのは、皆美しいものだなと、それだけは、感じているのです。

 ちなみに、父は、小学生の子供相手にこんな話ばかりをしていたわけではなく、普通に「宿題やったか」とか「家の手伝いしろ」とか「日曜日には皆で遊びに行こう」とか「いじめられたらすぐ言え」とか言う、どこにでもいるおとうさんでしたので、変人扱いするのはよしてやってください。

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