「高血圧にはタマネギが効果あり」は本当か

 数年前のことである。
 運転中、事故を起こした。
 カーブを曲がりきれずにガードレールに車の脇腹をこすってしまった。
 かなり勢いよくぶつかったため、車は派手に傷ついたが、怪我人がいなかったのが不幸中の幸いだった。

 事故の数日後、保険の担当者が我が家を訪れた。
 諸々の保険金を受け取る手続きのためだった。
 初めて会う保険の担当者は、年嵩の男性だった。
 穏やかに微笑み、丁寧な言葉を使うその人は、決して威圧的ではないのに、何とも言いようのない重厚感があった。
「頼りがいがある人」という形容がピッタリなように思えた。
 何度か修羅場を潜った経験がある人なのかも知れないと、居間に通した彼に麦茶を勧めながらぼんやりと感じてもいた。
 彼の名を、仮にNさんとする。

 手続きに必要な書類を、Nさんの指示に従い書き進めながら、世間話をしていた。
 どういう話の流れだったかはもう忘れたが、高血圧の話になった。
「私は全く正常値なんですが、母方の人たちは、みんな血圧が高いんです」
「そうなんですよ。私、降圧剤を飲むようになる前はね、上がだいたい180とか190とか、そのくらいが普通だったんですよ。高くなると200超えることもよくありました。私だけじゃなくて、親も弟も妹もみんなそう」
 Nさんは、私と母のこの発言に少し興味を持ったようだった。

「高血圧には、タマネギが、効くんですよ」
 Nさんは言った。
「テレビで、よく言ってますよね。聞いたことあります?」
 情報番組や健康番組でしばしばお目にかかる知識。私も母も知っていた。
「ええ。そうらしいですね」
「でも、ああいうのって、ほんとに効くんですかねえ。アレは体にいい、これは病気に効く、って、ほんとに効くんなら、医者も薬も要らんでしょうって思っちゃうわ」

「皆さん、だいたいそういう反応になるんですよね」
 Nさんは、穏やかに言った。
「ああいう情報について、皆さんそういう風に思うのはね。
 皆さんだいたい三日、長くて一週間でやめちゃうからなんです」

 虚を突かれたようにぽかんとした私たちに、Nさんは言った。
「高血圧にタマネギが効く、と聞いたときは、じゃあ食べてみようかなと、その日タマネギの料理を食べるでしょう。
 でも、翌日も、その翌日も、となると、だんだん気持ちが冷めてくる。
 急にいい結果が出るわけでもないですしね。三日も過ぎると、毎日だったのが一日おきになり、二日おきになり、そうして、また元の通りの食生活になるんです。それでは効かないんですよ」

 目から鱗が落ちたような思いで、相づちを打ちながら聞き入ってしまっている私たちに、Nさんは言った。
「たまに食べても効果は出ません。毎日続けなきゃダメなんです」

「毎日ですか・・・。何だか、大変そう・・・。飽きないかなあ」
 思わずこぼした私に、Nさんは穏やかに微笑みながら言った。
「メニューを工夫すればいけますよ。
 毎日のことなので、出来るだけ調理法が簡単なほうがいいと思います。
 味も、私の場合は、シンプルなもののほうが続けやすかったです」

 ん? 『私の場合は』?

「Nさん、実践してらしたんですか?」
「はい。私も高血圧でしたから」

 Nさんは、それ以前、収縮期血圧が160~170くらいだったらしい。
 現在よりもかなり高い数値が基準値だった当時の基準でも、高血圧だと診断される数値である。
 初めは、降圧剤を処方されて飲んでいたのだという。

「でも、薬の種類と数が増えてくると、これ、減らせるものは減らしたいと思うようになりましてね」

 そんな折、『タマネギは高血圧に効果がある』という情報を耳にしたのだそうだ。
 元々タマネギは嫌いではなく「美味しく食べることが第一の目的だと思えばいい。ダメで元々」と、Nさんはタマネギ生活を開始した。

 いろいろ試した結果、毎朝、「電子レンジで加熱し、鰹節とポン酢をかけたタマネギ」を朝食の一品に加えるというやり方が、いちばん無理なく続いたそうだ。
 ときには飽きも来て、「もう明日は食べなくてもいいかな」と思う日もあったそうだが、奥さんが毎朝さっさと用意してくれたおかげで、残すのは悪いという思いで続けることができたと、少し照れくさそうにNさんは語った。

「毎朝、一日も欠かさず、二年間続けました」
 Nさんは、さらりと、そう言った。

 すごいですねと、驚きの声を上げる私と母に、Nさんは続けた。
「確かに簡単なことではなかったですが、続けるだけの価値はありました。
 私の血圧は今、上が130くらいです。
 今はもう、降圧剤は処方されていません」

 Nさんは言った。
 続けることが大切なのだと。
 続けるためには、毎日の習慣にしてしまわなければならないと。
 そのためには、できるだけ面倒くさくない、手間を極力省いたやり方を採用するほうがいいのだと。

 何から何まで、とても興味深い話だった。
 しかし、シンプルなメニューとはいえ、二年間、一日も欠かさずとは。
 私が毎日ほぼ欠かさず摂取できているものなんて、お茶くらいだというのに。
 すごい精神力である。
 私の精神力が弱すぎるだけという説もなくはないが。

 しかし。
 話の流れで、Nさんの前職を聞いたとき、いくつかのことが腑に落ちた感があった。
「私は、この仕事の前は、自衛隊にいたんですけど、・・・」
 Nさんが帰って行った後、そりゃ並み外れた精神力なわけだよねと、母と話し合った。
 優しそうなのに決して弱くはなさそうだという、なんとも言えないずっしりとした雰囲気も納得の前歴。

 というわけで。
「高血圧にはタマネギ」は、効果があるケースもあるようだ。
 ただし、短期間だけ集中的に大量に食べるのではなく、適量を長期的に摂取し続けることが必要であるらしい。
 当然、効果に個人差はあるのだろう。

 結局母は、今も、降圧剤を飲みながら、タマネギの入ったメニューを「血液さらさらになるのよね」などと言いながら不定期に美味しそうに食べている。
 それでいいのだと思う。
 自分の特性に合わせて、選べる選択肢は多い方がいい。

 最後に。
 この手の情報には、共通して言えることだと思うが、「症状が治まったら飲むのをやめていい」と指示されている場合以外は、自己判断での勝手な休薬・断薬は、してはいけない。
 医師、看護師、薬剤師の指示にはちゃんと従ってほしい。

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