下書きの墓場 #3
Amazonの欲しいものリストに「君の心」と書いて公開しておけばそれを差し出してくれるのか?
いずれきたる未来、Twitterのサービスが終了してしまうのに備えて、自分の過去ツイートをすべてプリントアウトして、それを綴じて保存しておこうか、くらいのことは思ってる。インク代がもったいなくてやれてない。
各々それなりに感染に気を付けていても感染が収束せずに徒労感のある「非常事態の日本」は、各々それなりに頑張ってるのに経済が落ち込み続ける「いつもの日本」にあまりにも似ている。
俺が斜に構えてるんじゃない、俺はまっすぐなのに世界が斜めなだけじゃん、みたいなスタンス?
日常生活で何か言葉を発するとき「これは明朝体で言おう」とか「今のはゴシック体っぽい」とか思いながら暮らしていても、なんでもかんでもポップ体にすればいいってものじゃない。
誕生日とかキライだったから非公開にしてたのだけど、来年からはちゃんと公開して「つながりのための道具」として利用することにした。全部道具。
最近は余分な自我が消えつつあるという実感がある、けど、そう実感してるってことは逆説的に、自我をまだ強固に保っていることと同じ。
そして本当に自我の透明化に成功してしまうと、最早ユーモアもイロニーも消えてしまう。自我には繊細な調節が要る。蛇口を少しずつ捻るように。
お酒をあまり好きじゃない理由は自我の連続性とその外部をどう捉えるかという点に集約されるし、インスタのストーリー嫌いは社会的集合記憶の弱体化みたいな問題意識から来ている。でも何もかも、難しい漢字や概念で説明できると思っちゃいけない。
飲み会でもなんでも、「コンテクストを共有してない人が圧倒的に置いていかれる会話」が展開される場面が本当に嫌。そういうのは早めに切り上げるか、わかるように説明すべき。たしかに全員に気を遣ってたら話題は限定されてしまうんだけど、言葉は常にそういう有限性のもとにあるわけじゃん。今ここにあなたがいる、ってこと以上に尊重すべきことなんてない。
終
あとがき:
ツイートの下書きにあったものを適当に放り込んでます。
第1回、第2回よりだいぶシンプルなノリになってしまった。
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