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究極のお揃いアイテム、結婚指輪

私は普段からアクセサリーをほとんど着けない。元々ファッションセンスがちょいダサいことをバレないようにするためにシンプルな服を着て取り繕っている人間である。なのでアクセサリーをあえて着けていないのではなく、まあまあおしゃれに服を着るのに精一杯で、アクセサリーまで手が回っていないというのが本音である。

だからか結婚指輪にもこだわりがなかった。丸くて、手を洗うときに気を遣う物質(ダイヤなど)が付いていないシンプルなデザインならOKだった。しかも私はひねた人間なので、結婚指輪を必ず着ける必要もないのではないか、と指輪というものを軽視していた。だって、指輪がなくとも心で繋がっているんだもの、オホホホホ……と、頭が花畑状態でもあったわけだ。

夫も結婚する時点で必ず指輪が必要だ!という強硬派でもなかったので、結婚後しばらくは指輪がなかった。ただ、挙式の指輪交換の時までには用意しておかないとまずいんじゃないかということになり、指輪を探し始めることになった。

探し方は至ってシンプルだった。ある百貨店の指輪が集合しているフロアを一周し、気になったものを試着したり、パンフレットをもらったりしてその日は帰宅。後日、一番気に入った指輪があるブランドの本店に向かい、即購入した。ちなみに今はどうかわからないが、当時はパンフレットをもらうだけでも紙袋に入れてくだすったので、何も買っていないのにティファニー様やカルティエ様の紙袋を手に入れることができた。

そうして無事挙式までに指輪を用意することができた。今私はというと、近所のスーパーに行く程度であっても外出する時は必ずと言っていいいほど着けている。指輪を着けるだけで毎日がハッピーライフ、ハッピーホーム、タマホームだ(ハア?)。「指輪がなくとも心で繋がっているから」精神はどこへやら。何尖っていたんだろう、私。

スニーカー、腕時計、キャップなど、夫とお揃いのアイテムはたくさんある。それでもお揃いの指輪というのは別格だ。指輪を着けて1人で出かける時、夫も連れて出掛けているような気持ちになる。危うく指輪に「良い天気だね」なんて話しかけそうになっている(もう話しかけているかも)。

何が良いって、今後一生お揃いであり続けるアイテムを手にしたということだ。例えば、あと70年夫と揃いのスニーカーを履き続けることはないだろう。でも、この指輪はそれがあり得る。死ぬまで着けて、最期棺桶に入って焼かれる時に、私の体はこの世からなくなっても、指輪が溶けずに残っていたら、それはまるでアンデルセン童話の「すずの兵隊」みたいだ。実際は燃やされる前に外されるだろうけど。だとしても、「指輪を二つ重ねてどこそこに置いておいてください」と遺書に書いておけば、夫と私が一緒に生きた証であるこの指輪が、地球のどこかにほぼ永遠に存在し続けることができるかもしれない。それってなんだか壮大で感動する。

余談だが、夫は指輪を作った当初、相当指がむくんでいたようで、2号小さく直してもらうことになった。私の場合はサイズは問題ないが、極度の手汗製造マシンのため、早いうちに錆びるのではないかと気が気ではない。かつて夫にもらったイヤリングを耳汗で錆びつかせた経歴があるほどの汗っかきなのだ。

そんな心配はさておき、先ほどの妄想が現実となることを願って、今日も大事に指輪を着ける。

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