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ケッコンって良いもの?

「結婚のメリットは?」テレビから聞こえてきた。ざっくりとした恋愛のコーナーの中で、司会者がゲストに話を振っているところだった。

結婚のメリットとデメリットを考え始めると、何も選択できなくなるのではないだろうか。「ケッコン」と聞くと、何か大それたことを成し遂げるような、ものすんごい決断をしたように聞こえることがあるが、中身は実体がなく、空洞で、ただそこに丸裸の私たちがいるだけである。これまでと変わらず、二人、それぞれのかたちで。アルテイシアさんも『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由』で「結婚は単なる箱で、中身は50年の共同生活」と述べておられ、まさにその通りと首が痛くなるくらい首肯したしだい。

ケッコンに自分たちの前を歩かせることなく、「ああ、そういえば後ろにケッコンがついてきてるぜ」くらいの気持ちで、箱にとらわれずに夫と手をつないで、てくてくとこれからも歩いていきたい。

ところで私は今、夫との暮らしに勝る幸せはない。この気持ちは、一緒に暮らし始めてから、ゆっくりじんわりと灯っている。大雨の中びしょ濡れで帰ってきても、この一つの灯りがあれば、そこは暖かく安心できる居場所であるように。

一緒に暮らしていると似てくる。同じことを言いだしたり、同じタイミングで歌を歌い始めたり。私がもう一人いるのかと思うほど似ていることがあり、たまに怖く感じるくらいだ。夫と暮らし始めてから性格が丸くなったと思う。人には言われないけど、自分でそう感じるのだ。彼の何事にも大きな心で受容する優しさと強さが私にも移ってきているのかもしれない。

家族になったと思うタイミングは人それぞれあるだろう。みんながみんな婚姻届けを出したときに感じることではない。私の場合は以下のことができるようになったときだった。
夫の食べ残しをなんとも思わず食べられるようになったこと
夫がぶらさげていた鼻〇ソをそっと取ってあげられるようになったこと
でかめのおならを出せるようになったことなど。
よだれ、鼻〇ソ、おならなど、いわゆる「汚い」に分類されるものも、夫に関係するとすべて「愛おしい」に変わるのが不思議だ。

最近、こんなことがあった。私が糸ようじで歯を掃除していると、大きめの歯〇ソが取れた。あまりにもご立派だったので、夫に「見て!めっちゃでかいの取れた!」と見せたところ、夫に「見せないで!」と言われた。「家族なのに…?」「家族だから、〇〇(私)の歯〇ソでギリギリだよ」

夫は歯〇ソと共演NGということを新たに知れたのだった。



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