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ペアダンスにステップはいらないかもしれない

僕の夢は、タンゴをはじめとしたペアダンスがもっと社会の日常に溶け込んで、まるでカラオケやダーツにいくかのようにフランクに踊りに行くようなライフスタイルを浸透させることだ。

別に、みんながうまく踊れる必要なんてない。うまくても下手でも関係なく、「歌いたいから」「盛り上がりたいから」「仲良くなれるから」カラオケに行くのと同じ感じでペアダンスがあればいいのにと思っている。

思っているんだが、正直なところ、やはりペアダンスは少し難しいのかもしれないとも思う。

ペアダンスを少しでもやったことのある人なら、「"正しく"動くことに頭がいっぱいになって、もうパンパン、楽しむ余裕なんてない」という状況に一度はなったことがあるはずだ。ここがペアダンスの第一回目の挫折ポイントかもしれない。

だったら、いっそのことステップなんて捨ててしまってはどうだろうか。

まずは簡単なステップから、ではなくて、もうステップさえ踏まない。手を取り合って音を感じるだけでオーケー、十分にペアダンスだということを、僕は今後積極的に口にしていこうと思う。

今隣にいる人と繋がりたいという欲求と、音楽に乗りたいという衝動がぶつかり合った時に、ペアダンスが生まれたんでないかと思う。その純粋で自然発生した名のないペアダンス、始祖のペアダンスには、先駆けて存在した共通認識としての「ステップ」なんてものはあろうはずがない。

そう考えるとステップはペアダンスの本質ではないような気がしてくる。ペアダンスにおいてステップとは「超便利だけどなくてもどうにかなる発明品」だ。

数学でいうところの「公式」みたいなものだろうか。ステップとは先天的に、始めからそこにあったものではなく、年月をかけて少しずつ生み出されてきた発明と発見の図鑑である。

そういえば僕は、ペアダンスが自然発生する現象を見たことがある。僕がタンゴのワークショップをしていた時に、それを外で見ていた若い女性の二人組が「私たちも踊れるもんねー」と、ふざけながら見様見真似でそれはそれは雑に、無茶苦茶に、手を取り合って踊ったのだ。

「何だこれww」と笑い合う二人を尻目に、僕は感動していた。

おそらく彼女たちはタンゴのステップなど一ミリも知らなかったはずだが、そこには確実にダンスがあった。

子供が音楽を聴いて飛び跳ねるような、純粋さと尊さがあった。

今僕はダンサーとして人にタンゴを教えたり、より良いダンスを目指して練習したりしているわけだけども、いつも気がつけば心と頭がどこかへ行ってしまって純粋なダンスの楽しさや初心を置き去りにしてしまう。「このステップの正しいやり方」みたいなつまらない思考パターンにハマってしまう。

ペアダンスにステップはいらない。理想主義かもしれないが、必要なのは音楽とソウルだけだ。

ふざけて踊る彼女たちに僕が感動してしまったあの瞬間を、今度は僕が作り出してみたい。いつか自分の踊りを見た人が、「あぁ、いいなぁ、楽しそうだな」と思えるような、そんなダンスがしたい。


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