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この街の未来をつくるのは、私

自分の住む街を、みんなどのように決めるのだろう。
好きな街は、色々ある。例えば、私は京都が好きだ。でも私にとっては、住みたい、ではなく訪れたい街である。

高松はここに住もう!という強い意志を持っているというよりは、色々あってここに流れついて、悪くないから住んでいる、というのが正直なところだ。

コンパクトな街は自転車で大体の場所に行けて、電車もバスも街を網羅し、仕事でも遊びでも困らない。行きたいところに思いのままに行ける、というのは本当にいい暮らしだ。お店の選択肢は正直少ないけれど、ネットショッピングがあれば十分満足できるし、飲食店はお気に入りのお店との付き合いが深くなるという意味では、面白い。狭い街は知り合いと顔を合わすことが多いけど、面倒なことが起こるほどの狭さではない(ぎりぎり)。街の狭さに時々は気を張らなくてはいけないことはあるけれど、自由きままに暮らしている。この1年概ね平和に暮らせたことや、やりたいことを叶えられたり、仕事とプライベートの境界が無いような今の生活はこの高松という街によって形成されている、という意味ではこの街を気に入っている。

自分の街に、責任を持っているか

自分の住む街に対する責任、などと言うことは36年、殆ど考えたことも無かった。なんならここに住んで税金を納めているから、あれこれのサービスは受けて当然、という考えが潜在的にあった。香川県の半数以上の市町村が消滅可能都市とされ、良くも悪くも日本の未来を最先端を走る地方で暮らす自分が、この街をどうするのか、どうしたいのか。この街が消滅したら、他の土地へ行けばいい、そんな風に考える人は実は少ないんじゃないだろうか。しかし、この街のために、だとかこの街の未来は自分にも責任がある、という意識を、少なくとも私はこれまで、ほぼ一度も持ったことはなかった。

今の現実を作っているのは、私

20代前半の頃、「今世の中で起こっている何かに対して間違っている、おかしい、と思うことがあるだろう。でもこの世界を作ったのはこれまでの私たちであり、責任は私にも、あなたにもある」という話に出会った。その時は頭では理解できても、まるで他人事のようにその言葉は私を通過していた。
今はその言葉を理解できるし、何かに憤りを感じるたびに、じゃあ今後の私の判断基準にこういう視点が加わるな、ということや、こうだったらいいのに、ということを一つひとつ声にするようになった。何もアクションを起こさない、ということは受容なのだ。
今の現実を作っているのは、というのは少しスケールが大きいかもしれない。もう少し身近なサイズで考えると、この街を作っているのは、この街に関係するあらゆる人だ、と最近は思う。例えばこの街で働く人、暮らす人、訪れる人。この街にかかわるすべての人が、この街を形成する要素である(人がすべてとはいわない)。私がこの街で働き、労働を提供すること、それによってお金が動くこと、そのサービスを誰かが使うこと。この街で私が飲食をし、買い物をし、お金を使うこと。この街にあるものを無意識に享受していること。

でも、この街でさまざまなことを享受している自分がこの街の未来をつくる、ということを考えているだろうか。例えば、こんな行動などが挙げられる。
・ネットで買い物をするのではなく、地元の産業で物を選ぶこと。
・どんな人がどんな思いでそれらをこれまで紡いできたのかを知ること。
・この街から消えてなくなったものとその理由を考えること。
・この街のことを、多角的に知ること。
・残るべきと考えるものに対して何らかの形でサポートをすること
具体的に言うと、お気に入りのカフェがあったら、そこに通うことが、私の街の未来をつくることのひとつだ。そのお店の売り上げが立たなければ、そのお店は無くなってしまう。

ほんの少しの意識で、未来は変わる

この街の残したいもの、あったらいいなについて考えることは、この街の未来をつくることの第一歩。もちろんチェーン店で飲食もするし、ネットで一番安いものを探して購入することもある。少しでもそこに未来のための選択肢が加わったら。この意識一つで、未来は想像以上に変わるんじゃないか。

例えば、和歌山和歌山商工会議所青年部が提言した政策「シフト20億円!BUY LOCALで地域内経済循環を活性化しよう!」は地域内経済を循環・活性化することを目的としたものだ。

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具体的には1人毎月500円を地元消費に切り替えるだけで、年間20億円以上の経済効果を生み、ひいては雇用増加やさらなる域内消費へつなげられるという。毎月500円を追加で地元消費に切り替えることは、とても手軽だし、それがこんなに効果を生む、ということに驚いた。こういったわかり易く、始めやすい対策を地域が真似し合っていけばいいのにな…。こちらの政策をみてから、少し地元の産業や地元での消費について意識するようになりました。(自分の街ではどうなるのか、簡単に算出できる方法を賢い人、教えてください…。いくらの消費なら20億円の経済効果を生むのかOR500円の追加消費でいくらの経済効果を生むのか)

私がはじめたこと

コロナ禍で休業していた様々な観光施設が、5月からじわじわと再開した。小豆島の観光名所でも営業再開したときに、そこで働く友人のことを考えた。ずっとお客さんの顔を見れなかったから、うれしいだろうな、という気持ちと、島外からどれくらいの人が一定のリテラシーをもって島に入ってくるのか、コントロールできないのは不安じゃないだろうか。(島は医療機関も限られているし、高齢者が多いので、県内でも島への移動は制限されていた時期がありました)売り上げを立てるにも、来てください!という気持ちはあるだろうが、大きな声でとにかくきて!というのはまた違うのだろうな…などと色々と考えました。そんな気持ちから、ウェブメディア瀬戸内通信社で始めたのが、「旅するように、自分の街を楽しむ #discoverjimoto 」という企画でした。

旅するように、もっと地元を楽しめるんじゃないか。ふと思い立ち、県内の気になるスポットをめぐり始めた。
この数カ月、コロナ禍で休館していた施設は多く、観光客の戻りはゆるやか。観光は厳しい状況になっているようだ。また、多くのエリアで自粛は解除されたものの、まだまだ県外へ遠出しにくい人も多いのではないだろうか…。そういえば、身近な観光スポットにはいつでも行ける気がして、足を運べていないまま。身近な場所を楽しむことで、結果的に自分の住む街が元気になるんじゃないか。そんな思いで街中からちょっとだけ遠くへ。

こうである、こうあるべきだ…と何かを訴えるのは、ものすごく難しい。正解なんてないのがこの世の常であり、人の数だけ考え方が存在する。それでも、勇気をもって文字にしてみたい。
この街の未来をつくるのは、私。
あなたの街の未来をつくるのは、あなた。

私の経験値も考えも浅いと思う。なにか考えが変わることもあるだろう、このまま考え続けていきたい。加えて、どんな街に暮らしたいのか=この街をどうしたいのかイメージしていなかった。こんな高松がいいから、こんなアクションを。そんな風に少しずつ意識していきたい。

そして、こんな思いから気になる場所をめぐり始めたけれど、自分自身が楽しめているという思いがけない副産物が。高松にきてから、忙しさに埋もれて殆どこの街をめぐれていなかった。東京にいたときは、原美術館や新国立美術館、ミッドタウンや旧芝離宮恩賜庭園、元気があるときは鎌倉まで、などとお気に入りの癒しスポットがそこかしこにあったけど、高松ではまだそのリストを作れないままだった。これからもっと、増やしていきたい。


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