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一言も二言も多い大人

”もちろんデビーはいい先生よ〜だってもう母親を10年もやってるんだから”

数年前の職員会議で中学部の校長がこう言ったときに、私はつい ”はぁ?” と声を出してしまった。(*アメリカの私立校で教師をしています)

前に立つ彼女にはもちろん聞こえなかっただろうから、彼女はまだ続ける。”お母さんをしてると教えるのも上手なのよ!”

今度は私の隣に座る独身男性教師がこっちを向いて言った "What the f--k? 何だよ、オイ”(*f--kは悪い言葉ですのであまり使わない方が良いです、what the heckだとマイルド表現)

周りをぐるりと見回してみると、みんな何となく居心地悪そうな表情をしていた。そしてその誰もが "What the f--k?"と口に出さずとも思っていただろう。

”母親”の教師は全体の3割に満たないほどだったと思う。その場にいた独身子なし、既婚子なし、子持ち男性、その皆んなが何となく自分の教師としての価値・評価が彼女のトンチンカンな一言で0になったような気がしたのではないだろうか。さらには母親の皆さんも、自分がこれまでに時間もお金も労力も投資して磨き上げたスキルを全否定されたように感じたのではないだろうか。

彼女はこの一言+二言で一気に信用を無くした。


先日、遅くまで仕事をして帰り支度をしていたときにあまり顔を合わせない同僚が教室に顔を出した。私の顔を見て、Hello と声をかける前に ”なんだ疲れた顔をしてるな” と大きな声で笑った。”朝5時起きで今まで12時間労働なんだからそら疲れるわ” と返す私に彼は ”俺は今朝4時半に起きたぞ” と謎のマウントを取ろうとした。まるで子供が ”僕みかん8個食べた!” ”俺は10個食べた!”と意味のない競争心を見せ合うような返答だった。

私は本当に疲れていたので ”So what? だから何よ” と答えたのだが、彼はさらに続けた "So I should be even more tired だから俺の方が疲れているべきなんだよ” 。

"ワーオ、すごいね、本当だ”(棒読み)と返したら不服そうな顔をした。


編み上げのブーツを履いて学校に出向いた日、哲学の先生に声をかけられた。

”そのブーツ、どこで買ったの?”と聞くので、これはTrippenというドイツの会社のものだと教えると早速メモして別れた。

後日また彼に呼び止められ、”Trippenを調べたら高すぎて買えない、こんな高いブーツなんて学校に必要ない” と主張された。私が ”安くて良いブーツはたくさんあるのだから別に同じのを買わなくてもいいんじゃない” と返すと、彼はそれでも ”シマが今履いているのもTrippenだろう。そんなに高い靴もTJMaxx(ディスカウントデパート)の靴も一緒だよ、靴なんて50ドルも出せば良いのが買える” と捲し立てた。

そんな謎の哲学、知らんがな。

"You buy what you want, Stephen あなたが好きなのを買えばいいんよ” としか言えなかった。


私の周りにいる一言も二言も多い大人、6月の学年末で皆さんいなくなります。言ってはいけない人に、一言も二言も言ってはいけないことを言い続けたのかな。

シマフィー 




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