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チワワを探して800マイル旅した私がメキシコでマシンガンを持った男達に取り囲まれた話

コロラド州での大学時代に何を思い立ったかメキシコのチワワ州までドライブしたことがある。
理由は ”チワワ州にはチワワがたくさんおるんじゃなかろうか?” という今考えると馬鹿すぎるものであるが、その時はいい考えに思えた。
私は当時チワワ2匹の親であり、彼らのルーツを探しに訪ねたかったのだ。(*犬は連れて行けませんので元カレに預かってもらいました)

自宅にネットもなければ携帯電話もない90年代の中頃は、憶測と噂と経験者の話でしか情報が集められず不安もあるが、地図を見ると一直線に南下でチワワにつく。

ね、一直線!ラクチンラクチン!

友人は口々に 危ない、騙される、誘拐される、殺される、絶対にやめてくれ!と心配していたが若かったので考えなしに車に一週間分ほどの荷物を放り込んで出発した。
今ならメキシコ、特に国境近くの治安を考えれば絶対にやらないと思うが、当時だって本当は安全安心なルートではなかった。行動力のある無知は恐ろしい。

チワワまでは高速を飛ばして15時間以上かかったと思う。
途中トイレ休憩したような記憶があるが、あまり詳しくは覚えていない。ただ道路脇に野良犬の死体が点々と転がっているのに胸がキューンと痛んだのは覚えている。アルマジロの死体もあった。

ちょっとやばいかな、と感じたのは国境を超えてからシウダッド・ワレス (Ciudad Juarez)という街を通るときに車の窓をちゃっちゃっと水で洗い(撫でて) “Quarter!”(25セント)と叫ぶ子供に車を取り囲まれた時くらいだった。今はそれも値上がりして “A dollar!” になっているのかな?

チワワ市に到着してから、適当に見つけた中級ホテルに宿を取り、最初の3日くらいは街をぶらぶらしたり屋台で3つで1ドルのタコスを食べたりした。
残念ながらチワワは街には1匹もおらず(当たり前)片言のスペイン語でフロントのお兄さんに ”チワワなのにチワワがおらんなんて詐欺や!”とジョークを飛ばすと、お兄さんは ”チワワはアメリカ人が全部攫ってしまい、メキシコではもう絶滅した” と笑った。

そんな風に危険な雰囲気は全く感じられない旅だったのだが、チワワから、さらに南下してトレオンまで行く途中で ここで死ぬかな? と思う情景に遭遇した。

夜遅い方が高速が空いているだろうと思い日が暮れてからチワワをでてトレオンまで向かう途中(今地図で確認したら5時間以上かかる道のりでした、何を考えていたんだ、自分)に遠くに火柱が見えた。
道路の両脇に煌々と火が燃えあがっているのが見える。

近づくにつれ、その周りに人間が十人ほどずつ立っているのが確認できると胸がドキドキしてきた。何だろう、検問だろうか、それとも追い剥ぎ団・・・。
高速なので曲がり道はなく、Uターンもできないのでそのまま火柱と人間に向かって車を走らせるしかないが、もっと近づくと人間がマシンガンを抱えているのが見えた。
その瞬間ハンドルを握る自分の手がサーーッと冷たくなるのがわかり、急にドキドキがソワソワに変わる。

このマシンガン人間は軍隊なのか、ゲリラなのか、ギャングなのか、見当もつかぬまま車のスピードを落としつつ果たして彼らに何を言えばいいのか考えていた。
私が話せるスペイン語は限られており、彼らが英語を話してくれるかはわからない。そもそも何かを説明する猶予は与えられるのか。
小さな旗を振られたので、ソワソワのまま減速し旗を振る男の前で車を止めると、男は窓を下げろとのジェスチャーと共にナンバープレートにチラッと目をやった。

”お前、アメリカから来たのか?”

大きな声で ”パサポルテ!”と叫んだので慌てて助手席のバッグを探り赤い表紙の日本のパスポートを差し出す。その間も彼はマシンガンを抱えたまま私を凝視し、周りの人間の視線も全て私に向いているのを感じていた。

パスポートを奪われたら私は生きて帰れたとしてもアメリカの国境を越えられない。
でももうこの時点でちょっと覚悟していた。ここで死んでもおかしくない、身包み剥がれて殺されて、誰も私の消息をつかめず、行方不明になっても捜索もしてくれないだろうな、何故こんなところまで来ちゃったんだろう、と真っ白の頭で考えていたと思う。

男が2、3人駆け寄ってきて何か話し、向こう側の人間も何人か呼び寄せる。顔を上げていいのか、アイコンタクトをとったほうがいいのか、それともハンドルに突っ伏した方がいいのか、全くわからないままに目はうつろなまま真っ直ぐに闇に消える高速道路を見ていた。

窓から覗き込んだ男が ”お前は本当に日本人か、このパスポートは本物なのか” と大きな声で聞いた。

そうです、日本人です、と伝えると男は目を大きく見開いてこっち側と向こう側のマシンガン人間全員に大きなジェスチャーで こっち来い!! と声をかける。

血の気が引き固まって動けない私に、”車から出て火のそばに座れ” と片言の英語で誰かが手招きし、言われるままに車を降りた自分に何故かすぐにコーヒーが差し出された。
そしてタバコを勧められ、座れ座れと促されるまま粗末な椅子に腰を下ろすと周りにマシンガン人間が全員座る。

みんなで座ってタバコに火をつけながら私の顔を覗き込み、パスポートを回しあい、何やら笑顔で話している様子から
あれ、殺されないのかな? と、ちょっとだけ警戒心が解けたのだが何が起こっているのかはわからない。

私のタバコに火をつけ、コーヒーを飲め飲めと促すニコニコしたマシンガン青年に グラシアス、と言うと同時に皆一斉にガヤガヤと話し始めた。

君は俺らが出会った初めての日本人だ
日本のパスポートを初めて見た
日本人はここら辺の原住民に似ているな
日本人はメキシコは好きか
何か美味しいものを食べたか

歓迎の言葉だった。
片言の英語でなんとか私とコミュニケーションと取ろうと身振り手振りで話しかける。マシンガンを抱えたまま、お揃いのつなぎを着た若い兄ちゃんたちが満面の笑顔で私のパスポートを見てキャッキャっとはしゃぐ様を見てようやく よかった、死なないんだ と安堵した。

訳の分からぬままにジェスチャー混じりで会話をし、タバコを2本吸い終わり、コーヒーがカラになったところで隊長の様な人が
”トレオンまではまだ距離があるからタイヤの空気圧を見てやるよ” とちゃっちゃっとタイヤを点検してくれ、パスポートを丁寧に手渡されて
”安全運転で行けよ、日本人!” と送り出された。

お礼を言い、車に乗り込んでからどっと汗が出た。
ゆっくりとアクセルを踏み、しばらく進んでからバックミラーに見える火柱の影に大きく手を振っているたくさんの青年たちが見え、涙が出てきた。安堵もあり、恥ずかしいやら、嬉しいやら、バカバカしいやら、興奮やら、色々な感情が混ざったよくわからない涙だった。

一体彼らは何者だったのかを調べる手立てはないが、少なくとも私にとっては悪い人たちではなく、むしろ誰も体験出来ないであろう思い出を作ってくれた。

私が日本人でなかったら、日本のパスポートでなかったら、結果は変わっていたのだろうか? 
それは知る由もないけれど、私が日本人だったことで彼らはいい暇つぶしが出来、私はメキシコの不思議な思い出が出来た。

死ぬのではないか、と感じたソワソワはこれまで生きてきてこの時だけ。

今回はラッキーなだけだったかもしれないと思い、一人で思うがままの旅行もこれで終わりにした。

トレオンにまだ暗いうちに辿り着いた私が飛び込んだ宿がメキシコ版ラブホテルだった、とか裏手は大きな牛の屠殺場だった、とかの思い出話はまたいつか、ここで。

シマフィー

*以前書いた記事を再編集・加筆して再掲載しています。

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