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イライラ vs バカジャネーノ

怒っている人は何故ガタガタガチャガチャと音を立てるのだろう。
向こうの部屋で必要以上の音が鳴っている。

自分の思い通りにならないと怒る人は、誰かが言った通りに、計画通りに、もしくは“こうあるべき”という場面で自分の思い通りにならないと、途端にイライラする。よその人が相手だと流石にあからさまに怒ってますよ、という態度は見せないけれど、家族だとそうもいかない。親しき中に礼儀あり、は大抵通用しない。

自分の頭の中ではきちんとプランが立っており、次はこうする、さぁ今こうする、と決まっているのだろうが他の人にはもちろんそれは見えないので、思うような流れにならないことも多い。そんなことは日常茶飯事なので、イライラするのは無駄だと思うのだが、もうどうにもならない。
勝手に一人でイライラして怒っていればいいだけの話なのに、怒りは壁やドアを通り抜けてこちら方面にも漂ってくるので、めんどくさい。

“悪かったね、ごめんね、いまやるね”となだめることもしていたけれど、もうやめた。
面白くないので。しらーっとして黙っている。
心の中で バカジャネーノ? と思っている。
日本語がわからない相手なら口に出しているかもしれない。

どうして怒ってるの?などとは絶対に聞かない。そんなことに興味はない。
あの時は何をイライラしていたの?なども聞かない。
悪いことに怒っている本人はその怒りが過ぎ去ると “自分は怒っていた、そしてそれは周りにバレバレだった” ということは忘れてしまう。
そして “あのとき怒ってたよね” と言おうものなら そんなことは決してない、大げさな、事実ではない、とまた怒る。本当に忘れているのなら勝手だし、本当は覚えているのに認めないのも勝手なものだ。

小さなお金を借りた人は忘れちゃうけれど、貸した方は忘れない。
小さな怒りも同じなのだろう。何に対して怒っていたかも忘れている。
嫌な気分を覚えているのはこちらだけだ。
なので絶対に関わらない。”ちょっとー、いいかげんイライラするのやめてくれる?” などとイライラに参加することによって記憶がよりハッキリとなり、ふとした時に思い出すのが頭にくるからだ。

まだ遠くでガチャガチャと音が立っている。
私はこれを書きながら バカジャネーノ と思っている。


シマフィー

*この記事は私が書いても夫が書いても同じ文章になります笑

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