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オンボロ車は行くよ

アメリカに来て衝撃的だったのはオンボロ車が普通に公道を走っていることだった。(*現在はアメリカ東に在住です)

ボディに傷や凹み、窓ガラスに大きなヒビ、塗装がハゲていたりトランクが閉まらずバンジーコードで留めてあったり、給油口がガムテープで塞いであったりしている。そんな車が降り立ったロスアンジェルス空港からサンディエゴまでの片側3車線、4車線もあるハイウェイにうじゃうじゃ走っていた。

日本で綺麗に洗車されて整備され、中も外側も手入れをしてある車しか見たことがなかった私は本当に驚き、帰国した時に両親に真っ先に報告したのがその車事情の違いだったと思う。90年代初めの話で、デジカメなどはなかったので写真はないが、現在ならばバシャバシャ写真を撮っていたと思う。良くも悪くも アメリカって大きいんだなーーー と感じた。

アメリカにも一応車検はあり、だいたいの州が2年ごとの検査を義務付けているが、日本ほど細かくも厳しくもなく、最低限なのかなと思われる。私の車も先週検査に持って行ったが1時間ほどで返ってきた、そして検査代は無料(そのディーラーで購入したので。していない場合は50ドルくらい)。


コロラド大学で教えていたころ、いつも遅刻してくる学生がいた。私が担当していたパブリックスピーキングの授業は必修科目で、これにパスしないと卒業できない。そして週3回の授業は毎回スピーチがあるので、1学期に3回欠席だと必然的に”落第”となり、また次のセメスターで履修せねばならない。これは私が決めたのではなく学部ルールなので、スピーチ担当の講師は全員きっちり守っていた。ちなみに3回遅刻で1回の欠席になる。

ルークは時間通りに授業に来たことはなく、3分、5分、と遅れてやってきては "Sorry, bad traffic (渋滞で)” と頭を下げて席に着く。授業態度は真面目で宿題もキチンとしてくるが、あまりにも遅刻が多いので2週目が終わる頃に注意をした。

”いつも道路が混んでいるのはわかっているのだから、10分早く家を出なさい”

そういう私に ”はい、そうします” と神妙な顔で答えたのに翌週の授業は30分遅れてきた。

”ルーク!なぜ遅れたの?”  ちょっと怒りの口調で問いただすと、”My car broke down 途中で車が壊れてしまって、そこからバスで来ました” と言う。そんな事情なら、とその遅刻は大目に見てあげたのだが、なんと次の2回も遅れてきた。

そして言い訳はどちらも ”My car broke down 車が壊れて” だったので私はそんな馬鹿げた嘘にもう騙されるもんか!と憤慨した。いくらオンボロ車が多いとはいえ、週に何度も壊れる車があるわけないだろう、と怒りが沸いた。

大体の学生は遅刻や欠席の時に嘘をつく。まるまるの嘘ではないかもしれないが誇張したりちょっと付け足したりして全部真実ではないことが多い。1学期に何度も両親が入院したり、祖父母が死んだり、バスが遅れたり、水道が停まったり停電だったりする。

ルークの話は信じられない。一回大目に見たらシマは簡単に騙せるバカだと思ったのかもしれない。

”ルーク、そんなに頻繁に学校に来る途中に車が壊れるなんてあるわけないでしょう。本当はなぜ遅れたの?正直に言いなさい。”

そう聞く私に彼は ”本当です!信じて!” しか繰り返さないので、私はとうとう最後の手段に出た。

”車を見せなさい。それからあなたを信じるかどうか決めます。”

ルークの顔が見る見る間に赤らんできた。”本当に見るんですか?”  そうおずおずと聞くので ”今から案内しなさい” と答えるとがっくりとうなだれ、広大な駐車場の隅っこまで私を連れて行った。ゆっくりゆっくり歩く様は死刑囚のようだった。

果たしてそこにあった車は・・・・・・オンボロ車という名称では追いつかないほどのボロボロのピックアップトラックだった。

フロントグラスには右から左へ大きなヒビがあり、ボンネットは車体と全く違う色だった。ボディのペンキは剥がれサビついており、車輪のホイールは全部ない。トラックの荷台の真ん中には大きな穴もあいていた。

唖然とする私にルークはさらに真っ赤な顔で言った。”自転車では遠すぎるところに住んでいるので・・・”

恥ずかしそうに下を向いた彼に、私は彼に頭を下げて謝った。疑って悪かった、本当のことを言っていたのに恥ずかしい思いをさせてすまない、そう繰り返した。

私は彼が嘘がバレるのが怖くてゆっくり歩いたのだと思ったが、彼は心の底から誰かにこのオンボロ車を見られるのが恥ずかしかったのだろう。その証拠に車は私たちの校舎からは遠い、駐車場の隅に停めてあった。

その後、彼がどこに住んでいるのかを聞き出し、近所に住むクラスメートを探して送り迎えをお願いした。それからは遅刻もなく、ルークは素晴らしい成績でスピーチのクラスを終え、そのまま卒業した。

どんな事情でそんな車に乗り続けたのかはわからないけれど、その経験が私に教えてくれたことは大きかった。世の中には色んな境遇の人間がおり、私の普通は通用しないこともあり、”あり得ない”なんてことはない。

ルークの最後のスピーチはアメリカ空軍のエンジニアになるという夢についてだった。

叶っただろうか。叶ってるといいな。ピカピカの大きなピックアップトラックに乗っているといいな。

シマフィー 

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