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目の色は何だった?

もうずっと昔、まだアメリカに来たての私は教科書やら雑誌やら映画やらで叩き込まれた ”アメリカの図” を頭の中に持っていた。フレンドリーで、人種や文化の違いがあらゆる場面で見られ、言語も習慣も多彩な国。単一民族国家から来た私がここに来た時には 右を向いても左を向いても 同じ顔や同じ様な格好の人がいるわけではないとは重々承知の上でアメリカ生活を始めた。

クラスメイトや寮の中、教授や職員、など身近に接する人も本当に色々な人たちがいて当時言われていた”人種のるつぼ”や”サラダボウル”の表現がぴったりだった。

わかっているのに、わかっていても、そうそう自分が違う文化圏に住んでいるとは日常生活ではなかなか実感せず、それは東京での暮らしの中で外国人の友人が多かったことや映画やテレビで散々見てきたためだったと思う。東京の延長だとちょっと楽に構えていたのかもしれない。そう違いはないよ、と。

そんな私が最初の1ヶ月で あぁ、ここは日本ではないのだ と”アメリカ”を実感した出来事が二つあった。

一つは南カリフォルニアのとある街をひとりでぶらぶら散歩していた時。

美しい街だけれど別に観光地でもなく、通りを行く人は近所に住んでいる人だと思う。信号待ちをしているときに背後から来た白人のおばあさんに声をかけられた。

えぇと、この道のこの番地に行きたいのだけど、どっちの方角かしら?

私は すみません、ここの人間ではないのでわかりません (sorry, I am not from here, so I can't help you) みたいなことを告げ、おばあさんは あっそ、 と去っていた。それだけのことなのだがちょっと衝撃だった。

私の格好は首からカメラこそ下げていないがステレオタイプな”日本の観光客”みたいなものだった。その街角には到底しっくりハマる格好ではなく、いわば ”よそ者” 感が満載だった。それでもおばあさんは、数ある信号待ちの人の中から私を選んで道を尋ねた。それはこの国では見た目や格好だけで ”よそ者” とは思われないことの証明だった。彼女はここでぶらぶら歩いている私を見てそこらへんにいる地元の若者と同じ様に私に接した。

私たちは日本の街で道に迷った時、”この人は外国人かも” という人に道は聞かないのではなかろうか。その人がいかに日本語が流暢でも ”確実に日本人” という人に声をかけるだろうと思う。私ならそうする。

そんなわけで、道を尋ねられた私はそんな些細な出来事から ”これがアメリカか” と自分が異文化にいることを実感した。

2度目は学校のカフェテリアでのこと。向かいに座った女の子と世間話をしているときに共通の知人かもしれない人の話になった。リーザってどんな子?と聞かれた私が ”うーん、私より背が高くて巻き毛だよ” と言うと彼女は

”目の色は何だった?髪の色は何だった?” と聞いた。

その質問とどちらにも私は答えられなかった。目の色や髪の色は注意して見ていなかった。真っ青なブルーアイズとか、すごい金髪か染めた赤毛かグリーンか、などだったら覚えていたかもしれない。でも彼女は ”目はグレイっぽいヘーゼルで、ちょっと明るいブラウンの髪じゃなかった?” と聞く。そんなん知らん。全く覚えてない。

”目を見て話をしたんでしょう?” と彼女は私が目の色すら覚えていないのにびっくりしていた。そして ”じゃ、私の目の色はなーんだ?” とパッと目を閉じて見せた。

わからない。目の前に座ってもう長く話しているのに、目の色を見ていない。

日本に住む私たちは目の色や髪の色や肌の色に注目せず、それ以外の方法で誰かを形容することがほとんどだろう。背が高いとか、太り気味とか、筋肉質とか、髪が腰まであるとか、鼻の横に大きなホクロがあるとか、目がぱっちりしているとか、いつも厚化粧とか、そんなことに注目している。その理由は日本が単一民族だからであろう。目の色も、髪の色も、肌の色も、だいたい同じなのだからそこに注目する意味はない。

海外生活をしていて これが文化の違いか! と思わされることは多々あるけれど、この二つの小さな出来事は私がアメリカというこれから長く住む国について深く考える機会をくれた学びの経験だった。

それから30年。今だに誰かの目や髪の色を見て覚えるのが苦手で、誰かを形容せねばならない時に四苦八苦している。

シマフィー

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