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スイカ兄弟の目論見

デザート用のスイカを半分に切り、赤い果肉を見た時にふと思い出した。

ずっと前に中国の大都市に住んでいたある夏、あまりにも暑いのでスイカジュースを毎日3杯以上飲んでいた。

*どれくらい暑いかっていうのはこちらの記事に書いています。

スイカジュースを作るために、自宅には常に大玉のスイカを2個冷蔵庫に入れていたのだが、とにかく大量に飲むため、1日おきくらいにスイカを買いに行かねばならない。大抵は仕事帰りに2ブロックほど離れた道に路駐されたオンボロのトラックで一玉(というか細長いタイプ)買い、両手で抱えてアパートまで持って帰っていた。

値段はバカみたいに安かった。一斤(ジン=500g)いくらで買うのだが、ひとつ6−7元・100円したかしないかくらいだったような気がする。

トラックでスイカを売っているのは遠くの田舎町から出てきた若い兄弟だった。まだ二人とも10代後半だったろうと思う。ボロボロの青い軽トラの荷台に山のようにスイカが積まれてあり、それをこれまたボロボロの天秤ばかりで重さを量って売っていた。

全部頑張って売っても何千円にしかならないと思う。大量のスイカと共に都市に出てきた兄弟はそのスイカを完売するまで田舎には帰れないのだ、と聞いた。何日か、何週間か、まともにお風呂にも入れない。二人とも白いランニングシャツが黒ずみ、ズボンは辛うじて足を隠しているようなつぎはぎと穴だらけで、足元は何年履いているかわからないようなズックであった。スニーカーではない。ズック。

そんなどう見ても裕福ではない、ひょっとするとご飯も満足に食べていないボロボロの兄弟から、近所のおばちゃんたちは値切りに値切ってスイカを買っていた。一個買ってもしれた値段なのに、まだ負けろ、とすごみ、負けないなら違うトラックで買う!と脅す。違うおばちゃんはこの前のスイカがあまり美味しくなかったので、今買うスイカを負けろと叫ぶ。

バーで飲んだ後、夜中にその道を通ると、お兄ちゃんは座席で、弟はスイカの山の上で寝ていた。

ある日の夜は二人でスイカを半分に割ってガツガツ食べているのを見た。ご飯を食べるお金がなかったのか、食べた後のデザートだったのか、わからない。

そんな二人を見ていた私はある日からスイカを倍の値段で買うことにした。まぁ、言えば100%のチップを払うことにしたのである。そのチップは兄弟が好きに使えばいい。私にとっては100円が200円になるのは痛くもかゆくもないが、ひょっとしたらこの兄弟には食事内容に大きな変化があるかもしれない。(知らんけど)我慢してたコーラも、食べたかったアイスも、大きいサイズのラーメンも、手に入るかもしれない。

最初の日に量ってもらったスイカを ”5元です” と手渡された時に10元札を渡し、”お釣りはいらないよ” と言うと弟は目を丸くして驚いた。謝々!!!と大きく叫び、ニイちゃんに よーーお!ナントカカントカ! と笑いながら叫んだ。どこかの方言だと思うが何と言っているのか全く理解できなかった。

翌々日にまた行く。そしてまた言われた倍の値段で買う。

その次もまた言われた倍の値段で買う。

行くたびに荷台のスイカは減っている。もう少しで田舎に帰れるかもしれない、よかったね、と思っていた何度目かのスイカショッピングで驚くことを言われた。

”20元です”

は? 

いつも5元から10元ほどの値段だったスイカが倍以上に値上がりした。

やや考えて20元札を渡し、”じゃあね” と去ろうとした時に見えた弟と兄ちゃんはちょっと不満そうな顔をしていた。

彼らは私がどんな値段を言ってもこれまで通り倍の値段で買うだろうと思い、最初から倍以上の値段を言った。ひょっとしたら私は計算が出来ないバカだと思ったのかもしれないし、金持ちだから少々ふっかけても払うだろうと思ったのかもしれない。

私は言われた値段どおりの20元を出したがそれだって値切りまくる近所のおばちゃんが払う2−3倍は払っているのだ。

こちらの親切心が親切と受け止められる保証はなく、親切は親切で返ってくるわけではない。何も見返りは求めていなかったけれど、それはちょっと違うんじゃねーの?? と腹が立った一件だった。

次の日にはスイカが全部売れたのだろう、青いトラックは消え、ボロボロの白いトラックが停まっていてパイナップルを売っていた。

仕方ないので向こうの通りの果物屋でスイカを買った。

20元だった。

シマフィー 

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