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我慢に代わる私の選択肢:我慢しない

”我慢して!”   最後にそう言われたのは何年か前に夫とJFK空港に向かうハイウェイだった。(*アメリカ東海岸で教師をしています)

何年か前の今頃、クリスマス休暇でダイビング旅行へ出かける私たちは朝の5時ごろに家を出て雪がチラチラと降る中、JFKに向かっていた。寒いのとコーヒーをたくさん飲んだのとで私はあと30分で空港に着く、というところで尿意をもよおし、夫にお願いしたのだ。

”ちょっとどっかガソリンスタンドとかで停めて、おしっこしたいから”

夫はちらりと私を見て ”無理だよ、近くにはないし高速を降りたら予定通りにつかないから、我慢して!” と言う。

私は大人なのでどうにか我慢して旅の始まりにおしっこを漏らすことはなかったが、これが一番最近の”我慢”した出来事だと思う。

パンデミックで色々な我慢を強いられている状況でもそれは自分には我慢ではなかった。待つことやルールを守ることは私にとっては我慢ではない。

#我慢に代わる私の選択肢  という企画が面白いな、と思い自分は果たしてどんな我慢をしているのか、と考えてみた。そして3日ほど悩んで上記の”おしっこを漏らさない” という我慢が一番最近の我慢だったな、と思う。

家庭でも職場でも社交の場でも、価値観や視点の違う他人と時間や空間を共有する時には様々な摩擦や衝突があり、それを避けるために私たちはたびたび我慢を強いられる。上下関係や誰かの機嫌の良し悪しや、お金や時間や都合なんかに振り回されて ”自分がちょっと我慢すればいい” と納得させることもある。

私は割と最近までその”自分が我慢すればいいや” の人間だった。

友人や家族や職場や夫などと何かしらの”違い” が場を悪くするかもしれないと察したらそれを回避するために ”いいよ、いいよ” と我慢していた。学校では他人がやりたくないことは自分がニコニコしながらこなし、家では夫が言う通りに家具や壁の色を決め、自分はそれを ”まぁいいか、自分一人が我慢すればいいんだから” と納得していた。

でももうそれは6年前に辞めることに決めた。

大人の世界で我慢することは自分にとってはプラスにならず、ストレスが溜まり、それが人間関係や仕事の生産性にネガティブな影響を与えるとわかったからだ。ちなみにそれは私の人間関係に存在していなかった第三者の心理カウンセラーに会うことで学んだ。ストレスと我慢でもう学校辞めよう!離婚しよう!と思っていた時だった。

嫌なことは嫌と言う、同意できない事柄は理由をきちんと告げる、話し合って歩み寄る、自分や他人と交渉する、取るに足らないなら無視する、我慢しないでよくなるよう計画を立てる。いろんな方法を駆使して 我慢をしない 自分になるよう努力をしている。もちろん大人なので相手の立場も考え、言葉を選び、波風立てないように”我慢をしない”のが前提なので、相手に我慢させないように配慮しつつ、自分が我慢回避している。

我慢の意味を改めて辞書で引いてみた(https://kokugo.jitenon.jp)

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今回自分の在り方を振り返り、我慢をしないという自己改革は正しかったなぁ、と改めて思う。

以前の私は、嫌な仕事や誰かの好き勝手を耐え忍んでいたが、自分のストレスの本当の原因は ”どうして自分が” とか ”自分の方が偉いのに” とか ”自分の方が正しいのに” とかの 2や3の部分が多かったからだと思う。

今はもう我慢していない。自分を押し通すようなわがままも言わない。人間は皆違った感情や、視点や、立場や、過去やなんかを背負っているのだから毎日自分の思い通りにならなくて当たり前だ。私のストレスは他人の考えや視点を変えられず、自分が我慢することが理不尽だ・不公平だ、と考えてきたからだった。

他人は変えられない、だから自分が変わる。

我慢しない自分になってから仕事も楽しくなり、夫とも仲良く、数少ない友人ともうまくやっている。

おしっこも我慢したくないので、長いドライブの時はコーヒーを飲みすぎないようにして、GPSでトイレ有りのスタンドを下調べしている。

シマフィー 

↓もう我慢せんぞ!と決めた私が捨てた友人の話


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