マガジンのカバー画像

I Recall, Therefore, I Am

94
山あり谷ありの海外生活。今思えば毎日が自分を作る・伸ばすチャンスの場でした。チャンスをつかんだこともあれば、逃したこともある。そして今振り返ってやっと”あれがチャンスだったんだ”…
運営しているクリエイター

2021年1月の記事一覧

チャーターしたボートにおばちゃん2人付いてきた

ちょっと離れた島までボートをチャーターし、潜りながら行こう、と決めたのは出発の前々日だった。 この島から目的地の島までは止まらず行けば3時間で辿り着く道のりだけど、その途中には素晴らしいダイビングポイントがあるので、ぜひ2−3ヶ所潜りながら進みたい。 ライセンスを取るときにお世話になったダイブマスターにそう相談すると、 オーケーじゃあボートキャプテンに連絡して、お昼ごはんを適当に用意しておくよ と快諾してくれた。費用は全部ひっくるめて200か300ドルくらいだったと思う。

初めてのアメリカは戦争で終わった

18歳になってすぐどこかの会社に斡旋されるまま3週間ほどのホームステイにカリフォルニアまで行ったのが、私にとってアメリカ初体験だった。 どこにステイするかは着いてみるまでわからず、今のようにネット社会ではなかったので自分で知らぬ土地について調べるのも簡単ではなかった。 両親はどんな街のどんな所にお世話になるのか気になっていたのかもしれないが、私は初めてのアメリカ滞在に興奮していて、正直どんな田舎のどんな家庭でもいいと思っていた。きっとどこに行っても楽しい。 成田空港の集合

たった2枚だけ:マドリッドにて

中国で5年過ごした後にどこへ移動しようかを考えていた。 土地勘のあった旧東ドイツのドレスデンにしようか。 ボーイフレンドのビットリオの実家があるイタリアのミラノにしようか。 ご飯が美味しくてみんな優しい、大好きなタイの南部かマレーシアの海岸町か。 とり合えず選択肢になかったのは中国に留まることと日本に帰ること。 アメリカに戻ろうとも思ってなかった。 博士号の途中で息抜きのつもりで来た中国だったが、5年がすぎてしまい、もうこれから大学院に戻ろうとは考えられなかった。 研究仲間

エンヤは歌う、心臓は止まる

随分前になるが心臓の手術をした。 カテーテルの先にカメラがあり、それを太ももの付け根にあけた穴から静脈にいれ、心臓まで送りそれを見ながら何か切ったり貼ったりするらしい。 すーぐ終わりますよ、大体20分くらいです。あなたが一番最初の患者さんで、その日はあと5人同じ手術をします。前日に問診をした若い医者はそう言った。 人生のほとんどをこの病気と過ごし、もう治らないものだと思っていたのに、私が国外をぶらぶらしている間に医学は進みその面倒な病気は完治できる確率が限りなく100に近

Do Anything: 捨てられた私の思い出の曲

不思議なことにミネアポリスに住んでいた時は音楽関連で楽しいことがたくさんあった。以前プリンスとの小さな思い出を書いたが、それもミネアポリスでのことだ。 ミネアポリスはシカゴほど大きい都市ではないがほどほどに大きく美しい都会で、自然だけではなく美術や音楽などの文化も大切にされていた。 プリンスの出身地だけあってライブハウスでも質の高いバンドが演奏していたし、カフェや大学構内のホールでもクラッシックからジャズ、ラップにゴスペルまで色んな音楽と触れ合える機会が山ほどあった。 そ

友人と縁を切る、ついでに幸せになる

職場に3人、とても仲の良い人がいた。 教科は違えど全員が教師で、歳もだいたい同じで、自然と固まることが多くなり、いつも4人で集まっては美味しいものを食べたり、音楽を聴いたり、ビーチでおしゃべりをした。採用時期はバラバラだったが私が一番早く、歳も上だったこともありなんとなく仕切り役として動いていたような気がする。(*アメリカ東で高校教師をしています) といってもグループのために何かを決めたりすることはなく、みなが集まりたいといえば家を開放し、誰かが何かを食べたいといえばレストラ

幽霊裁判:敗訴2例

小学校高学年のころ住んでいた家は大きな病院のすぐ目の前だった。 夕方薄暗くなってからは、その病院の入院棟の前の小さな道はちょっと怖いくらい静かで、まだ早い時間、6時とか7時とかでも、しんと静まり返った古いコンクリートの大きな建物を通り過ぎる時は自然と早足になった。 ある夕方私はその道を歩いて家に帰る途中に、建物の外に立ち、窓枠に手をかけて中を見ている白っぽい人間を見た。一瞬よりももっと長く見たが、ちょっと怖くなって確かめることもなく走って逃げた。 確かめる、とはそれが生身の

お尻押し係の退任

私は今でもそうだが、学生の頃は特に、ギリギリのギリギリになるまでやる気がわかないタチで、時間のプレッシャーに押しつぶされる時に最高の出来の何かが書ける人間だ。なので何の宿題でも前日、前夜に取り掛かり、徹夜でやり終えるのが常だった。だいたいはその直前までお酒を飲んだりもしていた。 そんな私には夜更けに宿題をしているかどうかを確認する電話をかけてくる友達がいた。 夜10時とか11時になるとトビーから電話がくる。 “シマ、どれくらいお酒飲んだ?”最初の質問は毎回同じだ。 “ウオッ

知らぬ所で基準になっていただきありがとうございました

何かの偶然で神様と出会って、意気投合して “よぉ、シマリス、誰でもいいから一人だけ時間と空間を超えて会いに行かせてやるよ” と言われたら悩まずに2人の名前を出す。 ただ、一人、という条件なのでその2人の間で悩まないといけない。うーん。 一人はDavid Attenborough(デビッド・アッテンボロー)さん。 BBCの自然科学ドキュメンタリーシリーズでお馴染みの彼は今年95歳。その功績と影響を讃えられ、エリザベス女王に Sir の称号を与えられた。 サー・アッテンボロー

一泊400万円(2食付き)

7月の末、その日は新しい教師候補のデモレッスンだった。 小さくえらいポジションにいる私がスカイプで面接して、この人はいけるかもしれない、という判断をし、教頭やら校長やらの大きくえらい人たちを集めてのデモレッスンを見る日だった。(*アメリカ東で教師をしています) 大学を出たばかりで経験はあまりないが、うちの学校でぜひ働きたいと言う彼女はスカイプでは教師としてのいい素質がたくさんあるような話ぶりと雰囲気だった。ただ、実際に教えているところを見ないと何とも判断はつけられない。チー