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一泊400万円(2食付き)

7月の末、その日は新しい教師候補のデモレッスンだった。
小さくえらいポジションにいる私がスカイプで面接して、この人はいけるかもしれない、という判断をし、教頭やら校長やらの大きくえらい人たちを集めてのデモレッスンを見る日だった。
大学を出たばかりで経験はあまりないが、うちの学校でぜひ働きたいと言う彼女はスカイプでは教師としてのいい素質がたくさんあるような話ぶりと雰囲気だった。ただ、実際に教えているところを見ないと何とも判断はつけられない。チームに入り、他ベテラン10名ほどの教師たちの中でどのような役割を担うか、教育哲学のようなものは合致するのか、仲良くやっていけそうなのか、そんな人間的な部分は実際会い、動く彼女を見ないと私には判断できない。
なのでどうしても、どうしても起きて、化粧をし、綺麗に身支度を整えて学校まで運転しなくてはいけない日だった。

なのに私は前夜から体調が悪く、熱があり、朝起きても調子が悪い。
のたのたと着替える私を見て、夫は “行かない方がいいって、今日のデモは誰か他の人に任せなよ”と言う。
そんな無責任なことはできない、と言う私に、夫は顔が青いので血圧を測れと左腕にカフをつける。1分足らず、数値が出る小さなスクリーンを二人で凝視する。そうして出て来た数値を見て、これは救急センターに行かないとダメだ、と即決した。夫は私がそんなに低い血圧でどうやって立ってるのか不思議だ、と怒った声で言い、そのまま彼の運転でERに行った。

色んな検査をされ、点滴を打たれながら何時間も待ったのちに出た診断はEhrlichiosis (エリキオーシス)というダニが媒介するバクテリア由来の病気だった。
次の日に夫が教えてくれたが、私は前夜就寝中に滝のように汗をかいたらしく、私側のマットレスは水没したように濡れ、ベッドの下は水たまりが出来ていたらしい。
重症だった。

熱があり血圧も低いのでそのまま入院ということになり一人部屋にカラカラと運ばれた。何時間もERで付き添ってくれた夫はそこで帰宅し、あとは自分一人の時間だった。ほどなく看護師が夕食のメニューを持って現れ、夕飯のメインと飲み物、デザートの注文を取り、翌朝の朝食のフレンチトーストと果物、コーヒーとジュース、も小さなメモ帳に書き取り消えていった。
一人になって考えるのは、今日のレッスンと彼女のことであり、同僚に雇うか雇わないかの判断を下してもらう連絡は夫に入れてもらったが、それからどうなったのかさっぱりわからないため、やきもきしていた。

夜には熱も引き、がぜん食欲が出たので夕飯のチーズバーガーとフレンチフライ、デザートのオレンジゼリーとミルクティーも全部平らげて、そのまま爆睡した。

朝ごはんはイチゴが2つ、フレンチトーストが2枚にメープルシロップとホイップバターがついてきた。あと6枚くらい食べたいほど小さかった。
検温と問診に来た若い医者は1週間分の抗生物質を処方してくれ、朝ごはんを食べたら11時ごろまでには出てね、と告げ出ていった。

結局はその後自宅で1週間ほど安静にしてから、学校に出向いた時には、デモレッスンの彼女は正式に雇用された後で、同僚は “良さそうだったから採用にした” と教えてくれた。

8月中旬に教員講習が始まり、初めて実際に会った彼女は思っていたよりも大柄で、両腕両足を隙間なく埋めるタトゥーが目立ち、髪の毛は緑色に染められていた。ん、と思ったが、まぁ外見は置いといて、チームのみんなも色々と世話を焼きランチやパーティーにも誘って仲良くしようと努めていた。
私が決めなくても、良さそうな人を雇えて良かった、と安堵した。

ちょっといい気分で家路に着いた私を待っていたのは一枚の請求書だった。
緊急治療と入院費、しめて400万円強の金額だった。

苦しい自分をERで何時間もまたせ、医者と実際会うのは5分ほどで、夕食はファストフードのようなもので、朝ごはんは子供サイズ。
そんな入院が一晩400万円だった。

保険で賄われるので自分は払わなくてもいいのだが、それにしても法外な数字に腹が立った。どこをどうやったら一晩400万円なのか、わからない。

次の日、緑色の彼女は学校を辞めた。
授業のコマ数と給料が見合わないという言い分で、雇われたばかりなのにプンプン怒って出ていった。
新卒の彼女の年棒は私の一泊二食付き、と大差ないものだった。

シマフィー

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