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大切な1枚

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 大学時代は写真部に入っていたので、卒業アルバムの撮影のアルバイトでをやっていた。

 ある日、社交ダンス部のスナップ撮影の依頼があって行くことになった。部室は練習場になっていて、その時たまたま練習していた女の娘の脚に一目惚れ、写真はその時にドキドキしながらシャッターを切った1枚だ。社交ダンス部の女の娘はミニスカートで練習していることが多かったが、その中でも彼女のやや肉付きのいい脚が僕の好みだった。女の娘の顔は忘れてしまったが、ハイヒールを履いて踊るその脚は僕の瞼に焼き付いた、と同時にフィルムにも焼き付けた。社交ダンス部に入ればこんな脚は毎日見られるのだろうが、踊ることなんて逆立ちしても出来なかった。そんな邪悪な目的で入部しても、すぐにバレて追い出されただろう。今思えば女の娘をモデルとして頼んで、その脚を撮影することも可能だったかもしれないが、当時は女性の脚が好きなことも誰にも言えず、脚フェチという言葉すらなかった。だからウブな脚フェチ青年にそんな発想が出来るわけもなく、結局その時撮ったこの1枚が僕にとってはベストカットだった。

 勿論フィルムでモノクロでの撮影。この写真はアルバムでは使われなかったが、ネガはずっと持っていて、後で自分用にキャビネサイズにプリントして長い間スクラップ帳に保存されていた。写真的に見ればおもしろさなんて微塵もない凡庸なカットだが、脚フェチのコレクションとしたら大切な1枚だった。

 今のデジカメで撮ればもっと解像度の高い、きれいな写真が簡単にたくさん撮れるだろうが、ここまで記憶に残る写真になっただろうか。この写真はフィルムならではの思い入れのある1枚である。フィルムでの撮影は、手間暇や暗室でのプリント作業、そして何よりもデジカメと異なるのは、その場で撮った写真がすぐに確認できないことである。その不便さが今となっては逆に魅力でもある。この写真もどんなカットが撮れたか、期待に胸を膨らませてフィルムの現像をしたはずだ。フィルム写真にはやはり捨てがたい魅力はある。デジタル写真が主流になってからもしばらくの間はフィルム写真をやれる環境を残しておいたが、結局はやらなかった。フィルム写真をやる続けるには手間と時間とお金もかかるようになったこともあるが、一番の理由はデジタル写真のスピード感が自分の性に合っていたということだと思う。

 しかし、フィルムで撮ろうが、デジタルで撮ろうが、プリントという現物で写真を残すからこそ「大切な1枚」となることだけは確かである。


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