先日、銀座のキャノンに用事があり、待ち時間が出来たので、久しぶりに周辺をうろついてみた。大通りに面したビルは有名ブランド店の奇抜なデザインが目立つが、裏道に入れば古いままの銀座もまだ残っている。さらに足を延ばすと、丹下健三設計のかつての電通本社ビルは跡形もなく消え、その敷地は白い工事塀で覆われていた。広告制作の仕事で若い頃にはこのビルに随分と通った。この風景を見た時に、最初にこのビルを訪れた時のことを思い出した。 それは今から40年前、グラフィックデザイナーになって3年
今日はちょっと風が冷たかったけれど、気持ちのよい秋日和で小津安二郎の映画を思わせるような空気感の中、大分前に亡くなったグラフィックデザイナーの墓参りに行ってきた。昔一緒に仕事をして、最近また久しぶりに仕事をしているスタイリストの友人が、毎年墓参りに行っているというので、青山墓地のそばにあるお寺の墓に案内してもらった。その墓に眠る人は僕が若い頃在籍していた会社の先輩のグラフィックデザイナーで、当時生意気だった僕は随分と叱られたが、同時にかわいがってももらった。今日は彼女がスタイ
仕事を通して35年以上の付き合いがあった友人、田中公仁郎氏が今年の6月に癌で逝去しました。Oyazineで執筆や取材をしてくれたりしていたので、彼を追悼したOyazineを特別号として制作しました。彼が余命宣告を受けた後、06号を発行する際に連絡をしたら、ぜひ寄稿したいということでした。しかし体調不安定な中で集中して長い文章を書くことが出来ず、寄稿することは叶いませんでした。コピーライター・プランナー、さらには様々な事業を展開した経営者でもあった多彩な才能を持った人間でしたが
仕事が一段落したので一昨日は阿佐ヶ谷の本屋へ写輪歩しながら向かう。毎号購読する雑誌はなくなったが、ここ数年「暮らしの手帖」だけは購読している。女性向けの記事が多いが、エッセイや取材記事などは男でも充分楽しめる。佐藤雅彦の連載「考えの整頓」が好きで毎回楽しみにしている。多くの雑誌がPR誌化する中、この雑誌は自社広告以外は一切掲載しないで続いている希少な雑誌である。編集からもデザインからも丁寧さと良心が伝わってくる。いい雑誌はやはり紙で読むのがいい。この雑誌は捨てることはないと思
7~8年前スイスの女性から脚の写真を購入したいとメールが来たことがあった。英語が出来ないので、どう返事をしていいかわからずI can’t speak englishと返事したままで終わった。その後しばらくして彼女に写真を購入してきて欲しいと頼まれた外人男性が突然事務所に来た。この時はちゃんとしたプリントが手元になかったので、和紙に出力したA4サイズのテストプリントを居酒屋1回分の料金で数枚渡した。先日、今度は彼女の夫の会社の仕事をしている日本人女性から彼女の代理でメールが届い
昔、知人が事務所を開くのでその案内状に使う写真を撮ってほしいと頼まれた。被写体は人骨にしたいと言う。後日彼が持ってきたのは人骨模型のプラモデルであまりにもチープだった。たまたま医療機器メーカーのカタログを持っていたので、そこでリアルな人骨の模型を借りたらどうかとアドバイスをした。後日彼がそのメーカーに問い合わせて持ってきたのは本物の人骨で、インド人女性の大腿骨と骨盤だった。(昔、インドでは医療用検体として死体を輸出していたが、そのために殺人まで行われるようになり輸出禁止になっ
昨日朝のfacebookのタイムラインにデヴィッド・サンボーンの訃報が流れてきた。好きなサックスプレイヤーだった。昼前に郵便局でゆうパックを発送した帰り、車に乗り込み走り出したところで、デヴィッド・サンボーンのことをふと思い出した。その直後に偶然にもカーステレオのCDから彼のThe Dreamという曲が流れ出しちょっとびっくりした。 彼を知ったのは20代の頃、ジャケットのイラストに惹かれてレコードをジャケ買いしたのが始まりだった。聴いてみたら気に入り、それから何枚かレコードや
先月、東京国立近代美術館で開催されていた写真家、中平卓馬の写真展「火ー氾濫」を観に行った。館内の展示は一部をのぞきほぼ撮影可だった。写真の絵画主義や1点至上主義を否定していただけあって、いわゆる額に絵画のように収められた写真は少なかった。そして印刷物の展示が多いめずらしい写真展でもあった。写真展というよりは中平卓馬の痕跡をたどるような展示だった。 中平卓馬は大学の写真部の部室にあった「来たるべき言葉のために」という写真集を見て初めて知った。タイトル自体がそれまでの写真集
「よくやった、自愛せよ」 その言葉は答案用紙の左隅に赤いペンで書かれていた。それは高校三年生の最後の国語のテストだった。内容はその先生にしてはめずらしく漢字の読み書きだった。僕は97点をとった。漢字のテストで97点をとったぐらいで先生がわざわざ一筆書いてくれることは普通はないことだが、それには理由があった。 その前の年の夏休みのある日、僕は予備校の夏季講習に原付バイクで向かっていた。ちょっと急いでいた。渋滞する車の脇を走り抜けようとしたら、ガソリンスタンドに入るために
テーマを決めて写真を撮り始めると すぐにタイトルを付けたくなる。 しかし結局はタイトル負けして 続かないケースが多いのだけれど。 電線のある風景を撮っていると 「~と電線」というタイトルを 付けてみたくなった。 例えば、「月と電線」「雲と電線」 「カラスと電線」「桜と電線」とか。 「ストッキングと伝線」は好きだけど ちょっと違うかな…。 「脚と電線」も違和感のある組み合わせで なかなか気に入ってはいるが、 一体どうやって撮るのか…。 撮る前からタイトル負けしている。
大学の時の写真部の顧問が大学の近所のカメラ屋のオヤジで 写真部の写真展に来て寸評を言うのだが 風景を撮った写真を見て 「この電線はなかった方が良かったな~」などと言う。 僕たちは何言ってるんだおっさんと言う感じで聞き流していた。 そこにあるのだからしょうがないだろう、現実なんだから。 というのが僕たちの考えだったと思う。 しかし、カンパしてくれるので聞いているふりはしていた。 最近「天と地」という大げさなタイトルを設けて 空や地面を撮っているが、街中で空を撮ると大抵は 張り
雑誌Oyazineを送るとお礼のメールや手紙を いただくことがあります。 僕より年配だとスマホやパソコンを使わない方もいて (当然SNSもやっていない) そういう方からは手書きのお礼状をいただくことがあります。 僕は仕事でパソコンを使うようになってから 当然のように文章の手書きは減り、 さらに手書きの手紙はここ何年も書いたことがありません。 手紙はパソコンで書いて出力しています。 手書きは強いて言えば、 年賀状に添えるあいさつ文ぐらいでした。 いただいた手書きの手紙を拝見し
フリーのカメラマンになって1年目の暑中見舞い。 カメラマンになったら自分の作品も撮ろうと決めていました。 被写体は脚でしたが、スマートな脚ではなく 日本人特有の肉感的な脚を撮りたいと思っていました。 作品として最初に撮った脚の写真と 陶芸用の土の写真を組み合わせて暑中見舞いを作りました。 まだまだ(今でも)外人の細くて長い脚が良いとされていたので 面白いと言ってくれる人もいましたが なんでこんな脚がいいの、と馬鹿にもされました。 でも仕事じゃない自分の好きな写真を撮りた
2017年 自分で発行している雑誌 Oyazine vol.4から 最近雨が降ると事務所の窓から階下の歩道を行き交う人達を撮る。と言ってもみんな傘をさしているから顔や体はちゃんとは見えない。雨の中を移動していく様々な傘の動きに惹かれて撮り始めたのだが…。 足早に歩く男傘、スマホを見ながら歩く女傘、ランチ時は色とりどりの傘が重なり合って移動していくOL傘など、傘の下にいる人によって様々な動きをする。大小の傘が付かず離れず移動していく親子傘などは微笑ましい。宅急便
大学時代は写真部に入っていたので、卒業アルバムの撮影のアルバイトでをやっていた。 ある日、社交ダンス部のスナップ撮影の依頼があって行くことになった。部室は練習場になっていて、その時たまたま練習していた女の娘の脚に一目惚れ、写真はその時にドキドキしながらシャッターを切った1枚だ。社交ダンス部の女の娘はミニスカートで練習していることが多かったが、その中でも彼女のやや肉付きのいい脚が僕の好みだった。女の娘の顔は忘れてしまったが、ハイヒールを履いて踊るその脚は僕の瞼に焼き付
岩手の大学を中退し、実家のそばにあった横浜の美術学校に通いながら、写真雑誌の編集を手伝っていた頃に撮った写真。岩手は特に冬は路面が根雪で覆われるからパンプスを履いた女性はほとんど見かけなかった。編集の仕事でたまに東京に出ると、パンプスを履いた女性が多くて、さすがに東京の女性は垢抜けていると思った。被写体は80年代前半、大手町で出会ったランチタイムに信号待ちをするOL達。 勿論フィルムでの撮影で、自分で現像してプリントした。ピントも露出もマニュアルで、しかもノーファイ