島隆志

写真、デザイン事務所、島製作所代表の島が日々考えたことなどを書いています。

島隆志

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最近の記事

脚の写真、スイスへ行く

7~8年前スイスの女性から脚の写真を購入したいとメールが来たことがあった。英語が出来ないので、どう返事をしていいかわからずI can’t speak englishと返事したままで終わった。その後しばらくして彼女に写真を購入してきて欲しいと頼まれた外人男性が突然事務所に来た。この時はちゃんとしたプリントが手元になかったので、和紙に出力したA4サイズのテストプリントを居酒屋1回分の料金で数枚渡した。先日、今度は彼女の夫の会社の仕事をしている日本人女性から彼女の代理でメールが届い

    • 骨まで愛して

      昔、知人が事務所を開くのでその案内状に使う写真を撮ってほしいと頼まれた。被写体は人骨にしたいと言う。後日彼が持ってきたのは人骨模型のプラモデルであまりにもチープだった。たまたま医療機器メーカーのカタログを持っていたので、そこでリアルな人骨の模型を借りたらどうかとアドバイスをした。後日彼がそのメーカーに問い合わせて持ってきたのは本物の人骨で、インド人女性の大腿骨と骨盤だった。(昔、インドでは医療用検体として死体を輸出していたが、そのために殺人まで行われるようになり輸出禁止になっ

      • デヴィッド・サンボーン死去

        昨日朝のfacebookのタイムラインにデヴィッド・サンボーンの訃報が流れてきた。好きなサックスプレイヤーだった。昼前に郵便局でゆうパックを発送した帰り、車に乗り込み走り出したところで、デヴィッド・サンボーンのことをふと思い出した。その直後に偶然にもカーステレオのCDから彼のThe Dreamという曲が流れ出しちょっとびっくりした。 彼を知ったのは20代の頃、ジャケットのイラストに惹かれてレコードをジャケ買いしたのが始まりだった。聴いてみたら気に入り、それから何枚かレコードや

        • 中平卓馬写真展

           先月、東京国立近代美術館で開催されていた写真家、中平卓馬の写真展「火ー氾濫」を観に行った。館内の展示は一部をのぞきほぼ撮影可だった。写真の絵画主義や1点至上主義を否定していただけあって、いわゆる額に絵画のように収められた写真は少なかった。そして印刷物の展示が多いめずらしい写真展でもあった。写真展というよりは中平卓馬の痕跡をたどるような展示だった。  中平卓馬は大学の写真部の部室にあった「来たるべき言葉のために」という写真集を見て初めて知った。タイトル自体がそれまでの写真集

        脚の写真、スイスへ行く

          忘れられない言葉

           「よくやった、自愛せよ」  その言葉は答案用紙の左隅に赤いペンで書かれていた。それは高校三年生の最後の国語のテストだった。内容はその先生にしてはめずらしく漢字の読み書きだった。僕は97点をとった。漢字のテストで97点をとったぐらいで先生がわざわざ一筆書いてくれることは普通はないことだが、それには理由があった。  その前の年の夏休みのある日、僕は予備校の夏季講習に原付バイクで向かっていた。ちょっと急いでいた。渋滞する車の脇を走り抜けようとしたら、ガソリンスタンドに入るために

          忘れられない言葉

          桜と電線

          テーマを決めて写真を撮り始めると すぐにタイトルを付けたくなる。 しかし結局はタイトル負けして 続かないケースが多いのだけれど。 電線のある風景を撮っていると 「~と電線」というタイトルを 付けてみたくなった。 例えば、「月と電線」「雲と電線」 「カラスと電線」「桜と電線」とか。 「ストッキングと伝線」は好きだけど ちょっと違うかな…。 「脚と電線」も違和感のある組み合わせで なかなか気に入ってはいるが、 一体どうやって撮るのか…。 撮る前からタイトル負けしている。

          桜と電線

          電線絵画展

          大学の時の写真部の顧問が大学の近所のカメラ屋のオヤジで 写真部の写真展に来て寸評を言うのだが 風景を撮った写真を見て 「この電線はなかった方が良かったな~」などと言う。 僕たちは何言ってるんだおっさんと言う感じで聞き流していた。 そこにあるのだからしょうがないだろう、現実なんだから。 というのが僕たちの考えだったと思う。 しかし、カンパしてくれるので聞いているふりはしていた。 最近「天と地」という大げさなタイトルを設けて 空や地面を撮っているが、街中で空を撮ると大抵は 張り

          電線絵画展

          手書きの手紙

          雑誌Oyazineを送るとお礼のメールや手紙を いただくことがあります。 僕より年配だとスマホやパソコンを使わない方もいて (当然SNSもやっていない) そういう方からは手書きのお礼状をいただくことがあります。 僕は仕事でパソコンを使うようになってから 当然のように文章の手書きは減り、 さらに手書きの手紙はここ何年も書いたことがありません。 手紙はパソコンで書いて出力しています。 手書きは強いて言えば、 年賀状に添えるあいさつ文ぐらいでした。 いただいた手書きの手紙を拝見し

          手書きの手紙

          29年前の暑中見舞い

          フリーのカメラマンになって1年目の暑中見舞い。 カメラマンになったら自分の作品も撮ろうと決めていました。 被写体は脚でしたが、スマートな脚ではなく 日本人特有の肉感的な脚を撮りたいと思っていました。 作品として最初に撮った脚の写真と 陶芸用の土の写真を組み合わせて暑中見舞いを作りました。 まだまだ(今でも)外人の細くて長い脚が良いとされていたので 面白いと言ってくれる人もいましたが なんでこんな脚がいいの、と馬鹿にもされました。 でも仕事じゃない自分の好きな写真を撮りた

          29年前の暑中見舞い

          雨の日の情景

          2017年 自分で発行している雑誌 Oyazine vol.4から  最近雨が降ると事務所の窓から階下の歩道を行き交う人達を撮る。と言ってもみんな傘をさしているから顔や体はちゃんとは見えない。雨の中を移動していく様々な傘の動きに惹かれて撮り始めたのだが…。    足早に歩く男傘、スマホを見ながら歩く女傘、ランチ時は色とりどりの傘が重なり合って移動していくOL傘など、傘の下にいる人によって様々な動きをする。大小の傘が付かず離れず移動していく親子傘などは微笑ましい。宅急便

          雨の日の情景

          大切な1枚

           大学時代は写真部に入っていたので、卒業アルバムの撮影のアルバイトでをやっていた。  ある日、社交ダンス部のスナップ撮影の依頼があって行くことになった。部室は練習場になっていて、その時たまたま練習していた女の娘の脚に一目惚れ、写真はその時にドキドキしながらシャッターを切った1枚だ。社交ダンス部の女の娘はミニスカートで練習していることが多かったが、その中でも彼女のやや肉付きのいい脚が僕の好みだった。女の娘の顔は忘れてしまったが、ハイヒールを履いて踊るその脚は僕の瞼に焼き付

          大切な1枚

          なる程

           岩手の大学を中退し、実家のそばにあった横浜の美術学校に通いながら、写真雑誌の編集を手伝っていた頃に撮った写真。岩手は特に冬は路面が根雪で覆われるからパンプスを履いた女性はほとんど見かけなかった。編集の仕事でたまに東京に出ると、パンプスを履いた女性が多くて、さすがに東京の女性は垢抜けていると思った。被写体は80年代前半、大手町で出会ったランチタイムに信号待ちをするOL達。  勿論フィルムでの撮影で、自分で現像してプリントした。ピントも露出もマニュアルで、しかもノーファイ

          道路に描かれた言葉たち

           以前、東京杉並の自宅周辺を散歩しながら撮影した「道路標示」をコラージュした写真。「カスレ」具合もそれぞれで、これはなかなかデザインとして面白い。錆と同様にこういう無作為な「カスレ」も好きだ。  この「カスレ」は道路上の小石や空き缶などのゴミと、車やバイク、自転車などのタイヤ、そして人間の靴との共同作業の結果で出来たものだ。犬や猫の爪が作った痕跡もわずかだがあるかもしれない。脚フェチとしたらピンヒールの先端が削った「カスレ」もあるはずだと思いたい。本来の目的からは「カスレ」

          道路に描かれた言葉たち

          朽ち写し-1(Oyazine00号から)

          大江戸骨董市で若い女性が出品していた手袋。道端に落ちていればきっとゴミにしか見えないだろう。しかし、彼女はそれを板の上にきちんと並べて商品として売っていた。そのくたびれ方から想像すると、どこかの町工場で職人が溶接などで使っていたものだろうか。使い込んで油が染み込み、焦げたり破れたりした「やれ具合」に惹かれて購入した。きっと彼女も「そこ」を買ってもらいたいのだと思った。道具としての役割を全うした手袋は、撮影用の白い紙の上に置かれた途端に、それは手袋から職人の生真面目な人生を

          朽ち写し-1(Oyazine00号から)

          パラフィン紙のカバー

          最近毎日のように聖職者と言われる職業の人間が 犯罪で捕まったという報道を目にします。 2014年に事務所のサイトで書いた古いブログですが ちょっとアップしたくなりました。  今年の春先にふらっと入った古本屋で藤原新也の「たとえ明日世界が滅びようとも」が目に止まって購入し先日やっと読み終えた。3.11に関する文章が多かったせいかもしれないが今まで読んだ彼の本の中では最も濃厚な読後感だった。   短かめのエッセイが多い藤原氏の本は毎回興味深い内容なのだが、読みやすいので今まで

          パラフィン紙のカバー

          朽ち写し-5(Oyazine 04号から)

          満開の花は美しい。それは短い生の頂点であり、その一瞬を越えると花は一気に死に向かう。その儚さが人を惹きつける理由でもある。しかし、死に向かう過程で見せる花の姿もまた美しい。満開の花が正の美とするならば、朽ちていく花の姿には負の美がある。多くの椿は満開を過ぎると花びらを散らさず萼(がく)だけ枝に残して花ごと落下する。落ちた椿は春の雨に打たれながら地面で咲き続け、やがて朽ちて土に還る。その姿は人の目には残酷に写るけれど、それゆえに椿は他の花とは異なる儚さを感じさせる。

          朽ち写し-5(Oyazine 04号から)