風景の記憶
先日、銀座のキャノンに用事があり、待ち時間が出来たので、久しぶりに周辺をうろついてみた。大通りに面したビルは有名ブランド店の奇抜なデザインが目立つが、裏道に入れば古いままの銀座もまだ残っている。さらに足を延ばすと、丹下健三設計のかつての電通本社ビルは跡形もなく消え、その敷地は白い工事塀で覆われていた。広告制作の仕事で若い頃にはこのビルに随分と通った。この風景を見た時に、最初にこのビルを訪れた時のことを思い出した。
それは今から40年前、グラフィックデザイナーになって3年目、転職を考えていた時に知り合いから紹介された広告制作会社の社長に会うためだった。要は面接である。仕事の作品ファイルを持って電通のロビーで待っていると、ちょっと赤ら顔の30代半ばくらいの男性が近づいて来て名前を聞かれたので「はい」と答えた。その場で「作品見せてくれる?」と言うので、ファイルを見せると、パラパラっと見て「わかった。今お客さんと飲んでいるから一緒に行こう」と言われ、近くの飲み屋に連れていかれた。
カウンターにはクライアントらしき中年の男性がいて、社長はいきなり「今度の会社のデザイナーです」と僕を紹介していた。「えっ!まだ決めていないですけど…」と僕は当惑気味に言ったのは憶えているが、その後の話の記憶は曖昧で「いいから入れよ」みたいなことは言われたと思う。「会社はどこにあるのですか?」と聞くと「まだない」と社長は答えた。これから会社を作るとのことだった。なんだんだこの社長はと思いつつ、店を出ると駅まで送るよと言うので「近いから大丈夫です」と答えたが「いいよ、乗っていけよ」と言われ、半ば強制的に彼の車に乗ることになった。当然酒気帯び運転で、オートマ車で左足を中央の高くなった部分に乗せて小気味よく運転しはじめた。ミラーが隣を走るトラックギリギだったので、僕が「あっ」と言うも、何食わぬ顔でそのまま地下鉄の築地駅まで送ってくれた。入社に関して交わした内容はあまり憶えていないが、どうでもいい些細なことをなぜか憶えている。そして僕は直感でこの社長の会社に入ることを決めていた。はっきりとした理由は自分でもわからなかったが、このいい加減そうな社長に魅力を感じていたことは確かだった。そして同時に、「島くん、悪い、会社閉じるわ」といつか言われるような気もしていた。そして5年後、そのとおりになったが、同時に僕のデザイナー人生も大きく変わることになった。