創作とプライバシーと家族にまつわる問題。

最近、とある「現実の出来事を元にした創作物」に登場させられた家族が、プライバシーを侵害されて辛い状況を強いられた心情を吐露していて、話題になっている。

そのこと自体については、ご本人同士のデリケートな問題もあるし、私個人としては娘さんを大いに応援したい気持ちになったものの、無関係な外野が騒ぐことを望んでいるとは思えないので、触れないでおく。

例えば「子供が産まれて嬉しい!」とSNSに書くことはあるだろうと思う。その写真をSNSに掲載したり、自分の絵でマンガにして載せることもあるだろう。それを見た第三者が「可愛いですね!」とか「うちもこうでした!懐かしい」などと、共感して楽しむこともあるだろうと思う。

でも、人のやる事に、幸せな結果しかついてこないなんて都合のよいことはない。

「おねしょした」「こんな病気になってしまった」「同じ保育園のなんとか君とチューした」「初潮を迎えた」「恋愛のことで悩んでいる」「彼氏彼女ができたみたい」…

親本人にとって微笑ましい大切な日常のひと時であったとしても、そんなプライベートなことを世界中に公表され、大量の知らない人間に親戚みたいな目で見つめられ続ける「家族」の側の気持ちを想像できるかどうか、ということである。

それが子供ならなおさらである。生まれたばかりの子供は、SNSに載せないでくれと拒否することはできない。嫌だと思うことができる年齢になったとしても、経済的に親に依存しているうちは、事実上拒否できない場合も多いだろう。

そのことを痛感する二つの創作物を読んだ。「え~、そんな堅苦しいこと言わなくても…」と反発したくなった方は、ぜひどちらかを読んでみてほしい。(ブログの方はリンクからすぐ読めます。)

ひとつは、「往生際の意味を知れ!」と言うマンガである。育児漫画に描かれた三姉妹の長女が、母親がマンガのためについた嘘を暴き、抑圧された過去の復讐をするというストーリー。そんな女性に振り回される青年が主人公だ。

もう一つは、「とあるかぞくがのこしたブログ」という、ネット上にある有名な家族ブログシリーズ。架空のものであるらしいが、中々にゾッとする。

一昔前まで、創作してそれを広く世に発表するということは敷居の高いことであり、出版社などを通じてしかできないことであった。(同人誌や自費出版のものは、限られたごく一部の人にしか渡らなかった。)

いまやSNSは国民的に普及しており、ここnoteやInstagram、動画配信サービス、ブログなどを使って誰もが発信者になれる時代だ。その作品が人の耳目を引けば、あっという間に広まる。

日々の暮らしの中で、ふっと笑ったことやなるほどと思ったこと、ちょっとした喜びや悲しみを、自分の表現で発信できること、それは素敵なことのように聞こえる。

でも、「発信していいことと悪いこと」の区別とそれに伴う責任は、個々人が負わなくてはならないし、あっという間に発達したSNS文化の中で、私たちはまだ、そうしたことについての経験値が圧倒的に少なく、成熟した判断能力をもっていないかもしれない。

YouTubeをやる人も増えてきて、カップルや夫婦でやっていたり、子供が出演しているものも多いが、こうしたことが、数年、数十年経ってどんなトラブルを招くのか、まだまだ想像できないことが多い。

ひとつ、家族は、(どんなに愛情をもって接していても)所有物ではないということ。

ひとつ、「インターネットの使い方」とそのもたらす結果について、私たちはまだまだ未知で未熟であると知ること。

その二つを強く実感したこの頃である。


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