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【3.11】あれから9年。

*今回は「投げ銭」方式(全文掲載)です。
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東日本大震災から9年の月日が経った。
当時41歳だったあたしは、50歳になった。何事もなく、とは言い難いほどいろいろあったが、天変地異が再び起きない限り、無事に51歳の誕生日(来月)を迎えられそうだ。

本来なら(女として)熟成する時期だったはずの40代。
だがあたしにとっては「もうこの先一生独りかもしれない」不安に放り出されたあげく、再び心の拠り所(かつ身辺の落ち着く先)を探し、彷徨う9年間であった。

簡潔にリストアップすると……

2011年 元ダリンがボランティア厨に突然変貌。協力することに。
2012年 家計を支えるべく副業(派遣エンジニア)する羽目に。
2013年 ボタンの掛け違いを修復できず離婚(事実婚なので簡単)。
      まもなく落ち込みモードを救ってくれた師匠と婚約。
2014年 喧嘩が絶えず婚約解消。『アラフォー独女の生きる道』上梓。
2015年 「やっぱ独りはイヤ」と婚活市場に潜入。
2016年 今の旦那と出会い交際スタート。
2017年 今の旦那と同棲スタート。
2018年 ようやく生活が安定し、不安のない日々に。
2019年 今の旦那と再婚。

9年間に登場した男は3名。密な関係になっていない男(婚活中にデートした相手など)については、30名近くいる。
40代後半の熟女にしては、ずいぶんと華やかな恋愛模様ともいえなくないが、実態は「地に足がついていない」根無し草な生活だった。

+ + +

独りでいるのは寂しい。だけど慣れればそこに楽しさを見出すこともできる。
酒に溺れることで孤独を紛らわせていた30代とは違い、やりがいのある仕事にも恵まれ、守るべき愛犬もいる。深く考えなければ、何事もなく日々は過ぎ、気がつけば1レベル歳を重ねている。

35歳あたりからは、レベルがアップするごとに肉体は老ける(衰える)一方だ。ボーッとしていたら、あっという間に熟女どころか老女になってしまう。

老いるスピードは努力次第で緩めることもできるだろうが、時間を巻き戻すことはできない。全力で生きていても、怠惰に甘んじていても、着実に時間は過ぎてゆく。

若さにしがみつく時期はとうに過ぎた。エイジングを受け入れられるようになってもなお、予測しない劣化に気づいた日は、半日くらい落ち込んでしまう。お気楽なあたしでさえ半日も引きずるのだから、ネガティブな人だったら数ヵ月くらいかかるだろう。更年期に鬱病を発症しやすいのは、ホルモンの影響ばかりではないと思う。

+ + +

たまたまあたしは40代後半に婚活市場へ殴り込みをかけ、バーゲンセールをすることもなく、ほどほど高く見積もったままパートナーを獲得することができた。条件ありきの婚活で、身長以外全部の条件をクリアした男と再婚できたのは、我ながら上出来だと自負している。
(身長が外れたのは、旦那がプロフィールに身長を1センチ高く記載していたから。それでマッチングできたのだから、ある意味運命ともいえる・笑)

仮にまだ独り身だったとして、今から婚活市場へ乗り込みパートナーを求めるかといえば、チャレンジくらいはしても、早々に諦めてしまうかもしれない。

実際に婚活していた47歳当時からたった3年で、あたしは悲しいほど熟してしまった。まさか自分が再び肥満体になるとか、歯を失って部分入れ歯になるとか、階段上るくらいで息が上がるBBAになるなんて、想像もしていなかった。

出会って親しくなってからの変化であれば「でも中味は変わらないし」という見方もできる。パートナーになってからであれば、一緒に老いることもあるがまま受け止められる。
だがこれから出会うとなれば、「今」が基準値となる。

当然ながら、誰しも今日が一番若い。
人間中味で勝負といえど、第一印象は外見だ。「昔は可愛かった」ことが、相手を選ぶ基準にはならない。

中味を見てもらうためには、まず外見をクリアすることが前提だ。今の自分でも寄ってきてくれる殿方はゼロではないだろうが、確実に47歳当時よりは数も減りスペックも低めとなる可能性は高い。

仕事では「年輪」を評価されても、婚活(恋愛)基準になると、途端に熟女であることは不利になる。
40代だって50代だって、もう子供を産めないことに変わりはないが、同年代の独身男性(結婚を望む男性)の絶対数が減る以上、50代のマッチングは不利となる。さらに層の厚い30代とは年齢差が広がるため、ターゲットにされなくなってしまう。

+ + +

つくづく、40代後半のうちにパートナーを獲得し再婚した自分は、うまいタイミングで行動したなと感心する。だがそれは結果論だ。
あのまま独身ロードを突っ走っていたら、それはそれで無駄に熟女の色気をプンプンさせ、(婚活はさておき)刹那の恋を謳歌しているかもしれない。

2011年当時には、想像もしなかった「今」をあたしは生きている。
被災はしなかったが、震災がきっかけで元ダリン(事実婚)との関係は亀裂が入り、そのまま崩壊した。

でも今は、離婚してよかったとさえ思う。
震災さえ起らなければ、元ダリンとは、今も一緒に暮らしていたかもしれない。だがふたりの関係は、あたしが望むようなものではなくなっていただろう(その兆候は震災前からあった)。

タイムマシンができない限り、人生の時間を戻すことはできない。時間は前にしか進まない。

独身に戻ったばかりの頃は「時間を元に戻せたら」と何度も考えた。そのたび、過去の幸せだった時期と孤独な現実を比べ、みじめな気分になっていた。
だけどもう、あの頃に戻りたいとは思わない。
それは今が幸せだからだ。

自分を幸せにできるのは、自分だけ。
自分を不幸にできるのも、自分だけだ。

この先、天変地異が起こったら、再びあたしは独りになってしまうかもしれない。離別はせずとも、死別する可能性はゼロではない。
それでもあたしは、今の人生を選び取ってきたことを後悔はしないだろう。

無常の世の中において、共に歩むパートナーは、フォークダンスの相手のようなものだ。
手に手を取って、人生というダンスを踊る。
手を離すことのないよう、見つめ合いながら、体温を感じながら、あたしは踊り続ける。

いつか音楽が終わってしまうことを知りながら。
エンドレスに流れ続けることを祈りながら。

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