個人と系譜〜ニューウェーブ短歌30年に際して〜

 ここに「近現代歌人系譜」がある(青木五郎ほか監修『クリアカラー国語便覧第四版』数研出版)。正岡子規から始まって、伊藤左千夫、土屋文明、近藤芳美、岡井隆などが家系図風に書かれている。これは系譜を示すのであろう。前衛短歌は少し離れて置かれ、塚本邦雄、岡井隆、春日井建、寺山修司の名が挙がっている。
 短歌には「師」というものがあるらしい、と知ったのはそう昔のことではない。歌人や新人賞の上位入賞者たちのプロフィールに「〇〇に師事」と書いてあるのを見かけて気づいたのだ。そして私自身も未来短歌会に入会し、黒瀬珂瀾に師事している。のだと思う。
 だが、作歌の師とはいったい何をするのだろう。師と選者とは微妙に異なるように思われる。選者だからといって師だとは言えない。穂村弘や枡野浩一の公募に応募する人間は穂村や枡野を師だと思っているわけではないだろう。結社というシステムがこの師弟の関係を今日まで継いでいるのはわかるが、私は黒瀬珂瀾になりたいわけではなく、黒瀬のような歌を作りたいわけですらない。歌人は一人一流で、詠みたい歌は誰もが違う。だから、古典芸能のように師匠の芸と同じものを身に付けようとしているわけではないのだ。
 そんなことを考えているうちに「ニューウェーブ30年」の話を耳にした。『短歌ムックねむらない樹vol.1(書肆侃侃房)(以下、単に『ねむらない樹』という)』には30年記念シンポジウムの様子が掲載されている。シンポジウムの登壇者は荻原裕幸、加藤治郎、西田政史、穂村弘の4名であり、加藤によればこの4名がニューウェーブである。
 『ねむらない樹』に掲載されている荻原の説明によると、そもそもニューウェーブは荻原が書いた新聞記事にはじまる。タイトルが「現代短歌のニューウェーブ」であった。そこから短歌総合誌で特集が組まれ、一般の掲載にもコラムが掲載されるなどした。さらに4名が短歌を続け、当時登場したツール(メーリングリストなど)を取り入れる中でニューウェーブの流れが続いていく。荻原によれば、ニューウェーブはコラムのタイトルに過ぎず、文学運動のためにネーミングをしたわけではないという。穂村も「ニューウェーブという言葉が、歌壇のなかで「前衛短歌」みたいに誤読された」と述べ、荻原と同様の認識を示す。そして「その誤認がわれわれにとって好都合だった」からニューウェーブは成立したのだとする。
 加藤は次のように言う。「口語体というのは、前衛短歌の最後のプログラムだった」。ニューウェーブがその特徴とする口語体が前衛短歌の最後のプログラムだというのは、前衛短歌とニューウェーブには連続性があると加藤が考えているという意味である。加藤の師は岡井隆であり、荻原と西田の師は塚本邦雄。いずれも前衛短歌の歌人である。
 だが、私にはどうしても「師匠」や「短歌の系譜」といった概念をうまく受け入れることができないのだ。およそ短歌をやろうとするからには自分自身の歌を詠みたいと考えるものではないだろうか。また、他の歌にはない、新たなものを作り出そうとしているものではないのだろうか。

 もちろん、歌人がこれまで詠まれてきた歌から独立して、まったく他のものの影響を受けずに自分自身の作風を確立するなどといった見方はピュアすぎる。歌人はまず先行する歌に影響を受ける。「なるほど、こういう歌がよいとされているのか。わたしもこういう歌が詠めるようになりたいものだ」と思うこともあるだろう。また、歌人は歌人である前に人間であって、「時代の制約」「住んでいる場所の制約」のようなものも受けているに違いない。お昼ご飯をコンビニでお弁当を買って済ませ、スマートフォンでその日のニュースを読みながら帰宅し、SNSで知り合った友人たちに挨拶をするという生活を送っていることが、既に作歌に影響を与えている。正岡子規がスマートフォンやコンビニのことを考えることはないのだ。
 歌人に限らず作家、たとえば芥川龍之介は「夏目漱石の到達点の続き」からスタートしたわけではなくゼロから芥川龍之介として出発したのである。芥川は「夏目先生、ここまで小説を発展させてくださったなら、わたしはその芸術的到達点の続きから自分の小説をスタートしますね」と思っていたわけではない。また、作家が時間的空間的制約を振り切って自分の作品を作ろうとする努力がなくなることもない。それも「自分は自分だ、自分だけの作品を作りたい」という思いがあるがゆえのことだ、と私は思っている。
 「ニューウェーブ」のようなものが本当に存在するのかどうかということも私にはわからない。『ねむらない樹』の中で西田が「問題意識も方法も作風もバラバラで、それをひとくくりにするのはどうかなと思ってきました」と述べているが、そのとおりだと思う。これは「ニューウェーブは重要な現象として短歌事典などに載せられるべきか」とはまったく異なる問題である。歌人を束ねて「ニューウェーブ」とか「〇〇派」といった名前を付けることがそもそも可能なのだろうか。そして、個々の歌人の個性をこえて、「〇〇派」といったものが成立することがありうるのだろうか。
 2018年6月24日付朝日新聞「短歌時評」において、大辻隆弘は「ニューウェーブ短歌が、若者に支持されたのは、彼らの作品の中に圧倒的な自由さがあったからだろう。近代短歌の呪縛から解放されているという自在感は、パネリスト四人の作品の背後に流れている共通した時代感覚であった」と書いている。ここで大辻が強調しているのは「ニューウェーブはそれまでの短歌とは断絶したものである」ということである。加藤の言っている前衛短歌の継承の感覚とは異なったことが述べられているように思える。
 断絶か。継承か。もちろん、「ニューウェーブはそれまでの短歌と断絶していた」「いや、連続している」のどちらかに片づけられるものではないのは確かである。「新しいものを作りたい!」と思うにしても、それまで自分が読んできた短歌に依拠せずに短歌が詠めるはずはない。一方で、何らの新しいものを意図しない創作活動はそもそもありえないか、あったとしても大きなインパクトを伴わないように思われる。
 今日、「歴史は偉人の伝記である」と言ったら時代錯誤なことを言ったことになるのかもしれない。個々の置かれた社会的状況や、そもそもの自然的・社会的条件といったものを無視して、出し抜けに歴史から偉人が飛び出してくると考えるのは素朴過ぎる。徳川家康は戦国時代という時代を抜きにして語ることはできず、突然現れた「偉人」徳川家康が戦国時代を一人で変えたというがごとき説明では不十分である、と。
 では文学史はどうなのだろうか。「文学史は作家の伝記である」「短歌史は歌人の伝記である」と言って差し支えないであろうか。グループや時代ではなく、個人としての歌人が短歌史を作ってきたというべきであろうか。私はその答えはイエスであると言いたい。グループや時代を無視することはもちろんできないのだが、それは分かった上で、やはり個人が自分自身の内面を覗き込むことで短歌を完成させるというモデルを信じたいのだ。これは願望に近いものかもしれない。
 しかし短歌の場合にはやっかいな事情がある。「文学史は漱石や、鴎外や、太宰の伝記に帰着する」と言うのと同じ意味で、「短歌史は塚本、寺山、岡井、俵、穂村らの伝記である」と言うわけにはなかなかいかないのである。それはひとえに、「短歌は作者が作者自身のことを詠んだものだ」という強固な信念と、歌人同士の交流が盛ん過ぎることに原因があるように思われる。
 短歌は作者が自分自身を詠んだものか。この問いに「ノー」を突きつけたことに関しては前衛短歌に大きな功績があるだろう。加藤の発言に従えば、ニューウェーブも前衛短歌の路線上にある。とはいうものの、ノーを言って片づけるにはあまりにもこの問題は強固に存続している。それはなぜかといえば、つまり「短歌界」というものがあるからだ。「短歌界」は、結社に属する・属しないを問わず、交流のある歌人のコミュニティである。枡野は結社と距離を置いているかもしれないが、歌人との交流はあるから、やはりこの短歌界に属するものと言える。私はある記名式の歌会で、「この人の歌を昔から知っているが、今日の歌はふだんに比べるとよくないようだ」「この人はお父さんが医者だからこういう歌を詠んだんだろう」という評がなされるのを見て仰天したことがあるが、そういうことがあってもおかしくないくらい、短歌をやっている人間は知り合いでありすぎる。そして、短歌をやっている人間以外が歌会に参加して意見を述べることはめったにない。だから「穂村弘の歌」と言われれば、穂村がエッセイも書くとか、世間の習慣になじめない側面を持っているとか、菓子パンが好きだとか、そういった情報までが入ってきてしまう。どのようなフィクションを詠もうと、この「歌人みな知り合い状態」がある限り、短歌が歌人と一体のものであるという信念が消えることはないだろう。そして、「歌人みな知り合い状態」が解消されることはないだろう。読者は穂村弘にどれほどよくできたフィクションを読まされても「これはあのほむらさんの歌」という感想を捨てることはない。今日ではツイッターなどのSNSを通じて作歌活動を行い、結社に属することはない歌人も増えているけれども、この「歌人みな知り合い状態」は解消されるどころか強化されているといってもいいように思われる。それを是とするのであれ非とするのであれ、短歌というのはそういうものなのだと理解するしかない。
 そしてここで冒頭の「師」とは何をするのかという問題に戻ることができる。すなわち、師とは短歌界への導き役なのだ。「〇〇結社の誰それです。誰々に師事しています」と名乗ることで、我々は相手が何者なのかを知る。というよりも、それによって何者かが知られる、という認識が短歌の「みな知り合い」状態を再生産しているものと言えよう。結社に所属していないなら、「結社に所属していない」ということがまたひとつの自己紹介になる。こうして結社を有力なツールとして短歌界に新たな人間が加入する。師はその媒介としての役割を果たしているのではなかろうか。
 しかし、というより「だからこそ」と言うべきか、私の「短歌史は個人たる歌人の伝記だ」という考えが意味を持つことになる。短歌が「短歌界」の中で作られ、歌会システムなどを通じて磨かれ、歌集にまとめられることになるのは確かなのだが、ではそれを生産するものは何かと考えたときに、私は孤独な芸術家の姿をそこに見出したいと思うのだ。短歌は一人で詠むことができ、一瞬の閃きで一首が(あるいは連作が)構想されることもある。出来上がった短歌は簡単に名刺などに印刷することができる。その個人サイズの芸術は、短歌界の強固さにも関わらず、最終的にひとりの個人に帰着するのがもっとも似合うように思われる。あくまで一人一流にこだわることが短歌一首の深みを支えている、と私は言いたい。

篠田くらげ @samayoikurage
2007年、偶然聴いたラジオ番組をきっかけに短歌を始める。現在、未来短歌会「陸から海へ」欄に所属、黒瀬珂瀾の選歌を受ける。嶌田井書店では朗読、書評などを担当。また、サークル「アポロ短歌堂」にも所属。多彩な作品をお届けしている。
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嶌田井ジャーナル0号(2018年11月発行)より

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