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職場を「戦場」にしないために、スキルを「武器」と呼ぶのをやめてみる



最近、「武器」とか「勝つ/負ける」といった争いや闘いを表す比喩表現から距離を置くようにしています。自分が話すときも、文章を書くときも。

比喩に対する感覚を以前より少しだけ、強く持つようにしている感じかもしれません。


そうすると聴き手や読み手と共有する空気が変わる気がするのです。


例えば、

「理不尽な人事異動に立ち向かう」と書くと人事異動は立ち向かう相手、つまりは強大な敵であると意識づけることになります。

これを

「理不尽な人事異動と向き合う」と書くとどうでしょうか。たとえ理不尽だとしても、人事異動は向き合い、ともすればコミュニケーションがとれる相手として意識づけることにならないでしょうか?


人事異動がどんなに腹立たしくて、やっつけてやりたい事象であったとしても、その正体が組織の意思決定であり制度である以上、生き物のように倒すことはできません。にもかかわらず、「立ち向かう」という言葉を選ぶことで結果的に勝たなくてはいけない意識になるのです。

それこそ理不尽ですよね。

一方で「向き合う」という言葉を選んでコミュニケーションを取ろうとすることを意識できれば、結果的にその意識は相手(=人事異動)を理解することへ向かいます


もちろん、意図して争いや闘いを象徴するような比喩表現を選ぶ場面があるのかもしれません。

でも、多くの場合、私たちは無意識にそういった比喩表現を選んでいるのではないでしょうか。こんなことを書いている私も、まだまだこれまでの癖で望まないような言葉を比喩表現で使ってしまうこともあります。



スキルは「武器」になる。
あのプロジェクトの担当課は「戦場」のよう。
部署間での協議をもって「矛を収める」。


仕事は本来、自分の価値を最大限発揮して、社会をよりよくしていく行為だと私は考えています。それなのに、なぜか相手を傷つけ打ち負かすことを是とする「戦場」や「争い」を想起させる比喩表現が多い。
それはそこで働く人たちの心理的負担など、実際に起きていることに起因して言葉が選ばれているという実態もあるのでしょう。

同時に、戦場を想起する比喩表現を使い続けることで、職場が戦場のようになる、という側面もあるはずです。

戦場に似ているから戦場を想起する比喩表現を使っているのではなくて、戦場を想起する比喩表現を使うことで職場が戦場に似てくる。それが現実のものとして構成されてしまう。

そういう一面もあるのではないでしょうか。


まさに、言葉が世界をつくる。
( Words create world. )


こんな世界をつくりたい。そう願うのなら、そんな世界につながる言葉を選んでみる。それも言葉をとおした世界とのかかわり方。

だから、せめて私が接点を持つ小さな範囲だけでも、私からは戦いを想起するような言葉を遠ざけたいと考えているのです。

まだ手ごたえと呼べるようなものまで感じることはできませんが、それはきっと微力であっても無力ではない。そう信じています。


あなたはどのようにお考えでしょうか。



(参考図書)



ご報告

おかげさまで初の著書を出させていただくことになりました!

主に若手公務員を対象に「公務員が充実した気持ちでイキイキと働くことが、住民の幸せにつながる」という信念のもと、「自分の人生のハンドルは自分の手で握ろう」というメッセージを込めて書かせていただきました。

そのあたりのことは、こちらの記事でもお伝えしています。

よろしければお手に取っていただけたら嬉しいです。



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