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やりたい仕事ができないのは誰のせい?



「希望の部署に異動できないせいで、やりたい仕事ができない」
「異動の希望なんて出しても、人事は見てくれていない」
「仕事は自分がやりたいことではなく、組織が求めるものをやるもの」

こんなことを皆さんも身の周りで聴いたことがあるのではないでしょうか?

でも、これって本当でしょうか。

これはやりたい仕事ができないことを、他人のせいにしすぎだと思うのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか?


では、もし、やりたい仕事ができないのが人事のせいでも上司のせいでもないとしたら、誰のせいなのでしょうか。

それは誰のせいでもないんですよね。


あえて言うなら、
自分自身のせいです。


わざわざ「あえて」と付けたのは、自分が悪いとか自分の責任だと言いたいわけではなくて、私自身にできることがあるよという意味だからです。

例えば、市役所の中でも広報の仕事って若手を中心に人気がありますよね。ここに「広報の仕事をやりたい! だから広報課に異動したい!」という人がいたとします。

では、この人は、広報課に異動するまでやりたい仕事ができないのでしょうか。


私は、そういうことじゃないんだよな~と思います。


きっと、(広報課ではない)今いる職場にも気付いていないだけで実は「やりたい仕事」はあって、それを見出すことができれば、どんな職場にいてもやりたい仕事はできるんじゃないかというのが私の考えです。

そのためには、まずは自分の中にある「広報の仕事をやりたい」という想いの解像度を高めて、その正体を突き止める必要があります。


ひと口に広報といっても実は様々な仕事がありますよね。

広報課では広報誌もつくれば、ホームページの管理もします。私が勤めるさいたま市では記者発表も広報課の仕事です。組織によってはシティプロモーションを担っていたり、市民からの意見などを集める公聴機能を担う場合(広報公聴課)もあります。

広報の仕事をやりたいから広報課に異動したいという人は、広報課で具体的にどんな仕事がしたいのでしょうか。
その仕事をしたいのは何故でしょうか。
誰のために何をすることで貢献したいのでしょうか。

例えば「市の施策の情報を必要としている市民に届けたい」と思っているとしたら、それは広報課でなくてもできます。

子育支援課では親に向けたパンフレットを作ったり、イベントなどで直接親に情報を届ける仕事をしているはずです。商工課のような部署では、市内の中小企業や個人事業主のための支援制度の周知や相談事業などもやっているでしょう。

これらはまさに「市の施策の情報を必要としている市民に届ける仕事」ではないでしょうか。


同じように広報の仕事がしたいと思う人の中には、文章や画像の制作が好きな人もいれば、庁内の各課と調整して発信すべき情報を集めるのが好きな人もいるかもしれません。

大切なのは「広報」や「企画」「まちづくり」という大きな言葉に目を奪われないで、やりたいと思っている仕事の解像度を高めること。
「私がやりたい●●って具体的にはなんだっけ?」
「●●のどんな部分、どんな役割に興味があるんだっけ?」
そんなことを自分自身に問いかけて、自分自身の想いの核となるものを自覚することがきっと大切なんですよね。

そして、自覚できた「やりたい仕事」を配属された部署の仕事の中から見つけ出したり、ときには自らつくり出したりして、自分自身の手でその仕事を自分のものにできたら、異動することなくやりたい仕事ができたことになります。


ちなみに最近の私は、組織内のコミュニケーションに貢献できる人材になりたいと考えています。「やりたい仕事」っぽい言い方をすれば「チームの関係性をよくする仕事」がやりたいと思っています。

まちづくりとか広報といった「分野」であったり、マネジメントとか専門家という「役割」とは少し違った仕事かもしれませんが、私がやりたいこの仕事はどんな部署でも挑戦することが可能です。(ちょっと自慢げですが、いつかまた変わるかもしれません)


自分にとっての「やりたい仕事」の本当の姿を自覚できて、今いるその部署の仕事の中から自分がやりたい仕事を探し出したり、自分の手でつくり出したりすることができる職員になれたら、所属する課の名前に縛られることなく、やりたい仕事ができるようになり幸せかもしれませんね。

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