見出し画像

美しく輝く 真っ白なその花は

良く言う言葉に「一寸先は闇」というのがある。

未来のことは一切予測できない」ということを示したことわざだ。

たしかに、「未来」というのは全く予測がつかない。

明日、ボクがいる会社がなくなるかもしれないし、なんなら今日の夜突然サザエさんが放送終了するかもしれないし、東海道新幹線が廃線になるかもしれない。ホントに分からない。

この場合の「闇」は「漆黒の闇」というよりは「前が見えない闇」である。

だから、場合によっては「闇の明るさを明るくすることは少しできるのでは?」と思う。
しかもそれは、「誰かといることによって、あるいは誰かと向き合い続けることによってできるのでは?」と思う。

このnoteではスキマスイッチの「未来花」をなぞりながら、「闇の明るさを明るくすることは少しできるのでは?」という可能性について書こうと思う。


「未来」の花

スキマスイッチの「未来花」は、2019年にリリース、コンタクトレンズのCMソングに使われていた。



未来にもいろんなものがある。明るいものもあるし暗いものもある。ただ、「不確定」という点では同じだ。確定のものは「予定」と言う。
もちろん、確率の高低はあるけど、不確定なのが「未来」だ。


「未来花」は愛の告白の歌なんだけど、それ以上に「日常を大切にしたい。この先何があるかわからないけど、でも歩いていこう」という「未来への誓い」であり、「未来には花を咲かせたい」という「願望」の歌である。


特にそれを示しているのはサビだ。

僕が優しく あなたを呼ぶ そのたび一輪の花が咲く
このままずっと抱きしめていたい 萎れてしまわないように
美しく輝くその花は 未来

「未来」は本当にわからないものだ。


禅の思想においても、「未来にくよくよするくらいなら、今を全力で楽しめ」というし、お釈迦様も「諸行無常」と言葉にするのだから、人間を苦しめるものでもあるんだろう。


それこそ、「一寸先は闇」だ。


でもね、未来に希望を持つ、それもいいと思う。
というか、希望を持たずに生きるっていうのもそれはそれでしんどい。

未来のことを思い続けるとそれはただの「不安」かもしれないけど、そうじゃなくて、「このままずっと抱きしめていたい 萎れてしまわないように」、と希望を持って、「美しく輝く花」にすればいい。

もっといえば、誰かと一緒に歩いていければ、希望をシェアできれば未来の怖さはなくなるだろう。コミュニティの存在だったり、誰か素直な気持ちをさらしだせる人の存在だったり、その存在が「未来」を「希望」にしうるのだろう。「未来花」という花に。


暗闇もあるだろう、けど。

もちろん、そんな希望を抱きしめてても、明るいことばっかりではない。

でも、それも乗り越えられるのが「希望」とか「未来」とか「夢」なのかもしれない。


僕らが歩む道の途中 暗闇もあるだろう
それでも手を繋ぎ いつもよりもっと話をしよう
素直な2人のままで


僕ら、とはもちろん恋人同士のことを本来示すんだけど、この相手を「希望」「夢」に読みかえても問題ないだろう。

もっと話を、というところで言うなら、自分自身とも向き合おう、夢とも向き合おう、というとらえかたもいい。


そして最後に「素直な2人のままで」と。


自分に素直に、気持ちに素直に、夢に素直に。


それが、これから美しく白く輝く花を咲かせる「未来」という花なのかもしれない。


「輝き」は、もしかしたら「暗闇」の暗さでより明るい輝きに見えるかもしれない。


ボク自身も、前は「希望も夢もねえよ」と言い切っていたけど、今はそんな「未来」も、楽しみに見えてきた。それは、自分に素直になれたからという独りよがりではなく、素直になれる場や相手の存在によって素直になれた、ということだった


だから、この先の闇も怖くない。伴に歩む仲間がいれば。


最後のフレーズで、そんな「未来」が楽しみであっても忘れてはいけないことが見えてくる。


このまま先ずっと この先ずっと 小さな幸せ束ねよう


そう、日々の幸せを見つめることは忘れてはいけないよ、と。


これからの人生、どんな暗闇があるか知らないけれど、「美しく輝く 真っ白な未来花」を抱きしめて歩いていこう


※最後に、以前、ミスターチルドレンの「くるみ」を元にnoteを書いたんだけど、改めて「くるみ」の歌詞を見直しても、近い事を書いていたので、下記にリンクを貼っておきます。

未来花の歌詞はこちら↓


しまさんが気分で書いています。「感動した!」「今後も楽しませてください!」と思ったらちょっとサポートいただけると日々の筆がさらに進んで面白い記事を書きたくなります!