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もう会うことはないKちゃんのこと、それから「明日カノ」の感想(ネタバレ注意)

3月◯日/ショップのスカートコーナーで物色していたら、棚の向こう側からこちらを睨む女性と目が合った。ホラーじみたシチュエーションにギョッとしたが、相手に見覚えがない。あれは誰だったんだろう。

4月△日/思い出した。あれはKちゃんだ。会わなくなって10年くらい経っていたのでたった今まで忘れていた。向こうはすぐ私だと気づいたって事だろう。今さらあんな目で見てくるとは思わなかった。彼女の中で私はどんな思い出になっているのだろうか。気になるけど碌なことにはなってなさそうだと思った。

◆◇

Kちゃんとは大学時代友達だった。入学して最初のゼミで同じグループになった子。目力が強くてなんでも遠慮なくものを言う。背中まである真っ直ぐな髪と相まって凛々しい印象だった。
Kちゃんは美意識がとても高い子だった。ワークショップ概論の講義で、みんなでバスケをする時チームTシャツを作る事になった。ロゴはすぐ決まったが、プリントのベースになるシャツを選ぶ段階で難航した。どのTシャツの丈もダサくて着られないとKちゃんが言い出したのだ。
「こっちは襟が詰まりすぎ、こっちは袖口が開きすぎ。それは裾丈が垢抜けない。スタイルが悪く見えるものにお金を払うのは馬鹿げてる」
歯に絹着せぬ物言いに、チームの面々は気を悪くしていたが私はひっそり脱帽した。これほど自分に似合うものについて研究している子に今まで会ったことがなかったからだ。こんなユニフォームにすら手を抜かない彼女の美へのこだわりをもっと観察したい。あわよくば学ばせてほしい。そんな思いで彼女に近づくうちに私たちは友達になった。

ある日のことだ。学食でのお昼ご飯、彼女が今日はゼリー飲料一袋しか摂らないと宣言した。「え、それだけで足りるの?Kちゃん講義後バイトでしょ?」
心配する子が当然出てくる。そんな子のランチトレイをちらと一瞥した後、彼女はこう言った。
「いいの。最近体重がちょっと増えてたから。今、気を引き締めないとどんどん歯止めきかなくなるし。何も考えずに好きなものを食べるほど、不毛な事ってないと思う」
お節介には必ず一矢報いるのが彼女のやり方だ。しかしKちゃんの嫌味が通じなかったのか、心配した子はさらにこう続けた。
「そっかー、だからKちゃんは綺麗なんだね。他に気をつけてるポイントとかあったら、私に教えて?」
Kちゃんの表情が強張った。
「は?別にポイントとかないし。ていうかあなたは自分の体型についてそのままでいいと思ってるから何の努力もしてないんでしょ?ならいいじゃん、そんな事聞かなくたって。痩せたいなら教えて?なんて言うより先に行動してるはずだよね?そういう会話、無駄だと思わない?」
Kちゃんの硬い声が食堂を貫いた。ちょっと気難しいところがあるのは分かっていたが、ここまで激昂するのを見るのは初めてだったので思わず息を呑んだ。怒声を浴びせられた子が気になって目をやると、顔面蒼白だった。言い過ぎだ。明らかに。
その子はKちゃんの努力を讃えて、美へのこだわりを聞いてみたかっただけなのだろう。悪気なんてなかった筈だ。悪気がなかったのが悪いところで、何かがKちゃんの逆鱗に触れてしまった。しかし何かって何が?
例えば素人が野球選手に「野球上手いっすね」と言ったら、当たり前だろと思うと同時に失礼さが漂う。プロになるほど努力を重ねている人間の「偉業」を、上手いっすね、の一言で片付けてしまう無神経さ。
そしてそこに「どんな練習してるんすか、教えてくださいよー」と重ねてしまうと図々しさの二乗の公式が完成する。オレの艱難辛苦を簡単に言葉で表現しろとせがむのかお前は!!という苛立ち。
私はKちゃんが美意識のアスリートである事を知っている。だから野球選手になぞらえれば、彼女が何にここまで激怒しているかは想像できるのだが。
だけどKちゃん、あまりにも怒りすぎじゃないかい?相手は素人だよ。高次元に自分が居ると自覚しているならば、下の次元の人の戯言にまともに付き合ってはいけない。それが危害を加えて来ない限りは。

◆◇
面白いので是非読まれたし、と友人に勧められて「明日、私は誰かのカノジョ(をの ひなお著)」を読んでいる。今を生きる女性たちを主人公にした短編連作漫画で、現在第六章までストーリーが進んでいる。第一章は奨学金返済のためにレンタル彼女サービスに登録してアルバイトする女子大学生の物語、二章はその友人で恋愛依存の自分を嫌悪しながらも男性に頼る生き方を止められない女子大学生、そして三章の主人公は整形依存で美への執着を捨てきれない女性・あやなだ。

●◯
あやなは整形美人で、レンタル彼女サービスに登録しておりアルバイト代プラス、顧客に色恋営業をかけて高額な美容整形費用をかき集めている女性だ。ありとあらゆる整形に手を出しているあやなの本当の年齢を知る者は少ない。あやなの「本当の」恋人である光晴にも年齢をサバ読んでいる。光晴から結婚を切りだされ、そろそろ安定した生活、整形に依存しない生き方にシフトしたいと思いつつ、もっと美しくなりたいと思う気持ちを抑えきれない。
ある日、「友人夫婦にあやなを紹介したい」と言われ、あやなは光晴とともにある夫婦のマンションへ招待された。あやなたちを出迎えたのは冴えない容姿のカップルだった。光晴がシュッとしているだけに、こんな冴えない友達がいたなんてと驚くあやなだが、驚きは次第に嫌悪へと変わっていく。ダサくて垢抜けない部屋、夫婦、次々出てくるハイカロリーな料理。見ているだけで胸焼けしそう…こんなに食べたら太るじゃんよ、とウンザリするあやなの気も知らず、奥さんは「あやなさん、美人な上にお肌もすっごく綺麗。スタイルもいいし、今度美容法教えてくださいね」と微笑むのだ。
これが光晴の思い描く夫婦なの?こんなダサい生活を私にしろと言ってるの?帰り道、ムカムカが抑えられないあやなは光晴に当たり散らしてしまう。
「光晴は私にあんなデブでブスな女になれって言ってる訳?」
あやなの暴言に驚いた光晴は反論する。
「あやなは外見に固執しすぎだよ。あやなはもう充分綺麗だよ。なあ、それ以上外見を気にしてどうする?オレたちもういいおじさんとおばさんだぜ?」
それを聞いてあやなはさらに激昂する。光晴だって、私を綺麗だと思ったからナンパしたくせに!!
二人の出会いはナンパだった。苦手な客から指名を受けて、いつも以上に精神を摩耗していた夜、酒を飲んで気が大きくなっていた光晴に往来で呼び止められたのだ。金を払わなきゃデートも出来ないくせに、女の容姿には人一倍こだわる男の相手ばかりしていたあやなはこの日、光晴の凡庸さに随分と癒された。容姿を研ぎ澄ませて武装するばかりだったこれまでの自分。武装し続けるのもいつか限界はやってくる。こんな事しなくても優しくしてくれる男性がいるのなら、武装解除も悪くないかもしれない。でも、「本当の私」を光晴は受け入れてくれるだろうか?整形で顔を変え、年齢も詐称しているけれど…

●◯
あやなの物語を読みながら、学生時代の、学食での事件を思い出していた。Kちゃんを激昂させるほど、癇に障った本当の意味について考えた。あやなもKちゃんも美意識のアスリートだ。アスリートに強くなる秘訣を軽々しく聞くなど言語道断。だけど本当の逆鱗はそこではなかったのだ。彼女らにとっての逆鱗、それは

「美しくないままで幸せを手に入れた女に余裕を見せられる事」

ではないか?
大好物を食べながら「だからKちゃんは綺麗なんだね」といったあの子。
垢抜けない姿で「あやなさんは綺麗ね」と微笑んだ奥さん。
どちらもありのままの自分で、自分の手に入る幸せを享受している。足るを知る、という事だ。あやなが、そしてKちゃんが、アスリートでありつつける限り、辿り着けない別の場所にあるゴール。

あやなの苦しみは、「人は所詮見た目」だと若くして決めつけてしまった故、そして美しさのために自分のキャパを超えた努力=美容整形(の、費用をかき集める)に人生を捧げてしまった故だ。
美しさこそ力。そう信じて邁進出来るほどドライであれば良かったが、そうするにはあやなはデリカシーがありすぎた。
美しくなるために沢山の我慢をして、美しさを手に入れたけれど、自分を賞賛してくれる人々を信じる事ができない。美しさを肯定される程、悲しみが重なってゆく。何故か。

美しさが全てという思想に囚われつつ、無自覚ながら最も懐疑的なのが本人だから

だ。

◆◇
Kちゃんとの縁が切れたのは、大学を卒業して数年経っての事だった。その前から段々雲行きが怪しくなりつつあった。Kちゃんのアスリート精神についていけなかった私達が悪かったのか、Kちゃん自身がアスリートとしてひた走る道を間違い始めたのか。彼女にとっての答えは前者だが、私たちにとっては後者だ。
足るを知る世界で幸せを見つけ始めた友人たちと、アスリートとしてゴールなき道をひた走る彼女ではどうしても距離が埋まらない。
友人達の結婚ラッシュが続く中、ある日突然Kちゃんと連絡が繋がらなくなった。携帯を変えたらしい。でも友人誰一人として新しいアドレスを教えてもらえなかった。彼女は一人で走っていこうと決めたのだ。

●◯
あやなを主人公とする第三章は、光晴との破局、そしてバイト外の色恋営業で彼女から多額の金を巻き上げられた男のクレームで幕を閉じる。
自分が苦しい理由に気づき始めた彼女の表情は失職にも関わらず清々しい、ランナーズハイの横顔を彷彿させた。

あやな編

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