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島原天草をめぐる冒険#01島原天草の乱 02ザビエルはなぜ日本に「来ることができた」?
「島原天草の乱(一揆)」が発生する88年前、フランシスコ=シャビエル(ザビエル)が鹿児島港に到着しました。1549年のことです。鹿児島から始まった日本でのキリスト教布教活動が、その後の日本の歴史にどのような影響を与えたのか、また、世界の歴史とどんな連鎖が発生していたのでしょうか。ひいては、島原や天草などの地方では何が起こっていたのでしょうか。
島原天草の乱を知るために、ザビエル来日以降の地域史・郷土史から世界史までの流れを掴もう、というのがYouTubeに投稿している動画の趣旨です。けれども、そもそもザビエルがなぜ日本に来ることができたのか、という流れを押さえておくことも、動画投稿者の私には大事なことと考えます。
ザビエルが来日する以前の世界情勢にこそ、島原天草の乱前後の世界情勢を決定する「フラグ」がたくさん立てられていたと言えます。それが分かると、いわゆる西欧にとっての「大航海時代」を学ぶことが面白くなります。ゆえに、2回目の動画は、ザビエル来日以前の出来事を取り上げました。
西欧の大航海時代の流れについて、私は例えば「ザビエルが日本に“来ることができた”のはなぜか」というお題に沿って年代を遡って考えていけば、その流れが理解しやすくなるものだと思っています。
実際に考えてみましょう。まず、ザビエルは「イエズス会」の一員として日本に派遣されました。そもそも、イエズス会とはザビエルたちが立ち上げた新しい修道士会派です。つまりザビエルが日本に来るためには、その前にイエズス会が結成されないといけません。これを①とします。
次に、ザビエルはポルトガルを出港した後、アフリカの喜望峰を回って、インドのゴアとマレーシアのマラッカ(メラカ)へとやって来ます。ということは、ザビエル来航前に、これらの港はすでにポルトガルの航路が確立されていたことを意味します。もっと言えば、ゴアやマラッカの港はポルトガルが征服していたのです。ザビエル来航の逆順で、ポルトガルによるマラッカの征服を②、ゴアの征服を③、喜望峰経由のインド航路開拓を④とします。ついでに喜望峰の「発見」を⑤としましょう。
以上を整理すると、次のような流れが組み立てられます。
ザビエルら、イエズス会結成 ……①
ポルトガル、マラッカ征服 ……②
ポルトガル、ゴア征服 ……③
ヴァスコ=ダ=ガマ、喜望峰経由のインド航路開拓 ……④
バルトロメウ=ディアス、喜望峰「発見」 ……⑤
つまり、これらの出来事は一つ一つ順番や年号を憶えたりしなくても、「ザビエルが日本に“来ることができた”のはなぜか」というお題から考えていけば導き出せるのです。もっとざっくり言うと、これらはザビエル来日以前の出来事だ、ということです。
こう書くと、当たり前のことを書いているだけですが、さらに畳みかけて当たり前のことを言うと、これらの「大航海時代」の出来事は、日本では室町幕府の時代であったということです。「当たり前」とは言いますけれども、(学生時代の私も含めて)日本史や世界史が苦手な学生さんは、つい出来事をひとつずつ丸暗記しがちになるものです。一つのお題を立てて、その前後の流れを掴んでしまえば、世界の見方が一気に明瞭なものとなります。
ちなみに、①~⑤の年号を古い順に書き出せば、次のとおりです。
1488年 バルトロメウ=ディアス、喜望峰「発見」 ……⑤
1498年 ヴァスコ=ダ=ガマ、喜望峰経由のインド航路開拓 ……④
1510年 ポルトガル、ゴア征服 ……③
1511年 ポルトガル、マラッカ征服 ……②
1534年 ザビエルら、イエズス会結成 ……①
ちなみに、イエズス会がローマ教皇から正式に認可されるのは1540年です。正式な認可をもって、ザビエルはポルトガルの王の下に派遣され、1541年にポルトガルのリスボンから出航します。
そういえば、コロンブスのアメリカ大陸到着は……これがどう日本史と絡んでくるか、次回以降のお楽しみです。
動画の内容に戻ります。動画では、ザビエルがポルトガル出航から鹿児島へ来航するまでの流れを紹介しました。いまいちど、次のとおり書き出します。
ザビエルが日本を目指すきっかけとなったのは、日本人ヤジローとの出会いです。それはマラッカでのことでした。これを⑥とします。ヤジローは鹿児島からポルトガル船に乗ってマラッカへ渡ったわけですが、そもそもポルトガルが鹿児島への航路をもっていたのは、種子島へ鉄砲を伝えたのが始まりでした。これを⑦とします。
1541年 ザビエル、ポルトガル出航
1543年 種子島に鉄砲伝来 ……⑦
1547年 ヤジロー、マラッカ渡航 ……⑥
1549年 ザビエル、鹿児島来航
これらの出来事も、ザビエルが日本に来ることができた理由から考えていけばいいので、わざわざ年号を丸暗記する必要はありません。1点だけ、1549年「以後よく来るザビエルさん」とさえ覚えておけばよいです。しかし残念なことに、ザビエルは1551年に日本を去って以降、二度と戻って来ることができませんでした。
ザビエルの後日談については、次回以降に触れたいと思います。
※関連動画 「島原天草をめぐる冒険 #01島原天草の乱 -02ザビエルさん」
※参考文献 ピーター・ミルワード『ザビエルの見た日本』講談社学術文庫、1998年
佐藤彰一『宣教のヨーロッパ』中公新書、2018年
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