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劇場とよく似た空間構造

第3章 空間論として紐解くドレスコーズの芸術性


劇場とよく似た空間構造

 

 志磨が部屋を出て、はじめて所属した外部空間がなぜ「演劇」だったかは、必然的である。
「演劇」の舞台と客席は、「透明な幕」または「第四の壁」と呼ばれる境界で仕切られている。『オーディション』以降、志磨がぼくらを迎え入れた「部屋」と「外」との境界もまた、「透明な幕」、「第四の壁」で仕切られていると考える。「部屋」の中から我々は、観劇で舞台を観るように、この境界を通して「外の世界」を「部屋」の中から観察している。

 「演劇」が行われている「透明の幕」の向こうにあるのは、存在しない世界である。PLAY(演劇) の語源は、PRAY(祈り)という説もあり、「演技」と「遊び」は「祈り」に通じている。
 夜の仕事や、飲食業、そして芸術の分野の職業も「水商売」と呼ばれることがあるのは、「水商売」はどの職業も共通してどこかに「演技」の要素があるからではないだろうか。夜の仕事のほとんどは、いわば客との “ごっこ” であり、客にとってそこは願望をかなえる(仮)の「空間」である。カフェやBar 、レストランなど、健全なほうの飲食業も非日常を過ごすための「空間」であるし、ライブハウスや劇場など、芸術の公演が行われる「空間」を含め、「水商売」と呼ばれる分野の「空間」は、『三文オペラ』の演劇「空間」がそうであったように、「願望」が一瞬だけかなえられる、永遠には存在しない(仮)の「空間」なのである。

 志磨とぼくらのこの「部屋」も、「透明の幕」で仕切られている物理的に存在しない「空間」という意味では、(仮)の「空間」である。しかしこの「部屋」は仮設ではなく、本や音楽、文化的価値を増やしながらずっと続いていくのだ。ぼくらにとっては居心地の悪い「外の世界」、夢をかなえるまでのバイト先や職場こそが(仮)の空間である。
 志磨の音楽や思想、多くの文化的価値が存在するこの「部屋」は、目まぐるしく変化する「外の世界」から乖離できるぼくらの「居場所」になった。シェルターのようなこの「部屋」で、ぼくらは ≪PLAY LIST≫ を作りながら、「変わらないでいる」ことをずっと祈り続ける。

 しかしぼくらはこの「部屋」でそうして祈り続けながらおびえているのではない。

 志磨の音楽や思想を深く理解し、志磨の音楽を通して世界の芸術や歴史を学ぶことで、孤独をおそれなくなり、他人に期待しないでいられる。「外の世界」をどのように観ればいいのか、「外の世界」で自分は、どのようにふるまえばいいのか、といったことを、自分で考えて判断できるようになるのだ。
 つまり、ぼくらは「外の世界」に変えられないために、この「部屋」で過ごすのだ。
 この章の最後に、音楽と社会、そして「外の世界」に対しての2017年の志磨の言及を転載する。

ロックンロールが最高なのは、ひとりにしてくれるからなんだよ。お前は誰ともちがう、それでいいんだ、って歌ってくれるから好きなんだよ。
肌の色がちがう、恋愛の仕方がちがう、世間とは考えがちがう。それでなんか問題あるか? ちょっと苦労するだけじゃねえか。文句あるやつは俺がブン殴ってやるから、だからお前はそのまま孤立してろ、っていうのがロックンロールなんだよ。
これから先、きっと音楽は社会の問題から目をそらせなくなる。それぐらい、ぼくらの世界はどんどん悪くなってく。みんな目を覚まそうぜ、戦おうぜ、って音楽がきっとまわりに増えてく。そうなった時に、なんにもしないで寝てるヤツの味方でありたい。……って、今思った。
(ドレスコーズマガジン2017年6月15日配信35号特集「音楽と政治」)



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