見出し画像

ヒトとモノの間の共感

変化って?

ふと思った、変化って何で起こるんだろう?

結局感情か

変化は自然発生的なものは圧倒的に多い。
人口の増減とか気温とか空腹具合とか...時事刻々と変化している。

でも、それら変化をトリガーにして”感情”が生まれる。
「世界をよくしたい」
「家族にいい思いをさせたい」
「災害でも壊れないもっと頑丈な家を作らないと」
「身内が不幸で悲しい」

もし感情や危機感がなかったら世の中「ありのまま」。
でも、全然世の中ありのままじゃなく人間の意思で変化を起こしている部分も大きい。

自然以外の変化の根元は「感情」なのかな。

喜怒哀楽って

じゃあ感情といえば喜怒哀楽。ちょっと考えてみた。

結論、喜怒哀楽の根元は「共感」か。

喜って?
褒められて嬉しい。達成できて嬉しい。
- 自身の行いに対して、他人や自分からの共感。

怒って?
大切なものをけなされて(壊されて)怒った。
- 自身の信念に共感されない行為をされた「自分だったらそうしないのに」

哀って?
大切にしていたものを失って哀しい。他人のその状態に共感して哀しい。
- 自身と何かの間の共感関係が失われた。(他人のその状態に共感した)

楽って?
友人と話していて楽しい。物作りは楽しい。
- 自身と共感し合えるヒト・モノと接する。

変化を起こすための根元は「感情」で、感情の根元は「共感」なのかな。

AとBの共感

AとBが共感できているとはこんな状態。共感でつながっている。

A =(共感)= B

■ AとBがともにヒトである

SNSがまさにその例。
様々な形で共感のやりとり・コミュニケーションがあるから喜怒哀楽がある。


■ AとBがヒトとモノ(物質)である

ヒトとXXの共感関係。
ヒトとモノ(物質)とのコミュニケーション。
具体的な製品って何だろう?
物質には意思がないから、怒はなくてそこから生まれる感情は喜哀楽になるのかな。

ヒトとモノの共感関係を築くことは「モノへのリスペクト」を高めることへのアプローチの1つなんじゃない?
なんか作れないかな。考えてみよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?