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うさぎとの日々

今日は我が家の愛兎、ラムちゃんの命日でした。
だいぶ遅い時間になっちゃいましたが、私がラムちゃんとの生活で感じたことをnoteに残そうと思います。少し長い話になりますが、よろしければお付き合いください。


***


一緒にいられるのは頑張っても5年と思っていた。
当時うさぎの寿命は長くてそれくらいと言われていたから。

ところがあれよあれよと時は過ぎ、中学生だった私は社会人になった。
大学入学を期に実家を離れたので、住む場所は離れたものの、ラムちゃんはまだ元気に牧草を食べていた。

当たり前のようにいるものだから、5年過ぎたあたりから、「短命の儚い存在」ではなくなっていた。でも、さすがに10年過ぎたころから、明らかにご長寿だし、仕事中にいつ緊急連絡がきてもおかしくないと思っていた。それでも心のどこかに「まだ大丈夫」という根拠のない自信があった気がする。


うちに来たきっかけは、母の強い希望だった。
昔うさぎを飼っていた経験から、またいつか飼いたいと思っていたらしい。

ある休日、朝起きると「今日はうさぎを見に行く」とホームセンターに連れていかれた。なんで急にそんなことを言い出したのかと聞けば、「ふいに思い立った」とのこと。あまりにも突飛である。

でも、結果的にその日出かけたことは吉だった。
あの日出かけなければ、この出会いはなかったと思う。

当時うさぎなのか分からないほど小さなその子は、異様に存在感があって、気が強かった。帰りの車の中、名前をどうするかという話になった時、母も私も”ラム”という名前がパッと浮かんだ。これも「私を連れていくならこう呼んで!」という気の強さゆえのアピールだったのだろうか…

そんなこんなで我が家で生活することになったラムちゃん。

世話は主に母が中心となっていた。
父も私も可愛がっていたが、母は特に思い入れが強かったように思う。

だからこそラムちゃんがいつかこの世を去るとき、母のダメージが一番大きいはず。母の支えになれるよう自分がしっかりせねば!と私は心に誓っていた。




そしてその時は訪れた。



2018年6月10日 ラムちゃん、13歳8カ月。

つい数日前まで元気だったのに…
と思いたいが、実際にはかなり満身創痍だった。

白内障が進行し目はほぼ見えず、足腰も弱くなり、自力での食事も困難になっていた。そんな介護状態が半年以上。

ラムちゃんも家族もよく頑張ったと思う。

10歳前までは「私がお嫁にいくまで生きてなきゃだめだよ」なんて冗談交じりに話していたけど、最後1年、老化スピードが加速してからは、そんな冗談さえ、「少しでも長く一緒に過ごしたい」という私のわがままを押し付けているような気がして、言えなくなった。

だってラムちゃんは私たちの言葉を本当によく理解していたから。
こんないいうさぎはなかなかいない。


そして、私は恐れていた。
自分の目でラムちゃんの死を見てしまうことを。

親戚が亡くなった時でさえ、まだ目の前で誰かが亡くなるという事態に遭遇したことはなかった。

ラムちゃんという自分にとって一番身近な存在の死。
本当はきちんと見届けたいと思うべきなのかもしれないけど、ずっと怖くて逃げていた。だからこのよくない知らせは、仕事中の私のスマホに母から連絡が入る。勝手にそんな想定でいて、向き合う準備なんて全くできていなかった。


そのせいか、私はひどいペットロスに陥った。

母の方がひどく打ちひしがれて、ご飯ものどを通らず、毎日泣きはらす…
そう思っていたのに、そうなったのは自分だった。

プツンと糸が切れた、だらんと動かなくなったラムちゃん。
人や動物が寝ている時の脱力とは全く違って、本当に糸のない操り人形のように形を成さない状態。

あぁ、本当にいってしまったんだ。

その入れ物だけが目の前に残され、ただただ泣くことしかできなかった。

亡くなったその日、私はろくに寝られないまま仕事に向かい、何とか平静を装って一日を乗り切った。終業後、一人になった私は抑えていたものが溢れて、嗚咽を漏らして泣いた。そんな涙が止まらない日がしばらく続いた。

一方で母は、最初こそ泣いたものの、火葬までラムちゃんの為にできることを一生懸命準備していた。気持ちの準備は、私が心配するよりもずっと前からできていたらしい。

私は母がダメージを受けた時のことは沢山考えてきたが、自分がダメージを受けたときのことを全く考えていなかった。溢れる涙にどう対処したらよいか分からず、結局私の方が母に頼っていた。情けない話である。

ここまで私のショックが大きかったのは、自分がいかにラムちゃんという存在に支えられていたのか、自覚が足りなかったからだと思う。

朝起きたらおはようと言って、帰ってきたら一緒に遊んで、夜はおやすみと言って布団に入る。それが当たり前だった。何なら両親にも話せないような悩みや泣き言も、ラムちゃんに話していた。

兄弟のいない私にとって、年の近い妹のような存在と、人生の約半分を一緒に生きてきた。自分の思っている以上にその存在が大きかったことに後から気づいた。


火葬を終え、しばらく経ってもラムちゃんのいた場所を見るのが、大きい音を立ててびっくりさせないようにすることが癖になっていて、その度にもういないんだと気づいて、苦笑いするしかなかった。

それでも少しずつ慣れるしかないと、日々を過ごした。




そして今、我が家には白い小さい子がいる。

うちに来て1年半。ホームセンターで異様な存在感を放っていた、気の強い子。撫でられるのはあまり好きじゃないし、初めての場所でもビビらない強者。

同じうさぎでも全く違う。
”代わり”ではなく、新しい家族。
ラムちゃんはこの子の横に常にいてくれている。

朝起きたらお線香を立てておはようと言って、横で飛び跳ねるあの子に朝ご飯をあげる。帰ってきたら一緒に遊んで、夜はおやすみと言って布団に入る。毎日その繰り返し。

お線香の香りが日常になってから、今日で2年。
花瓶のお花も綺麗になったよ。
ちゃんと見えてるかな?ラムちゃん。




***

私にとって初めてのペット、そして初めてのペットロスの経験。思った以上に長くなってしまいました…

実は今回、母と同じタイミングで思い出を書きました。
私とは違った母の気持ちもぜひ。
https://denpako2.blog.ss-blog.jp/2020-06-10

今夜はラムちゃんに想いを馳せて、眠ります。

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