「行動に対する愛」の意識

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こんにちは、きたがわです。

今日は、ビジネスも人間関係もよくするために、
非常に重要な”あること”をお話したいなと思います。

その前に、ちょっと復習。

前回は「相手のフィルターを通して
見えてきた世界観から行動してみる」
ということを洗い物の事例でお伝えしました。

「洗い物(家事全般)は妻の仕事だ」
というパラダイムを持っている夫が、
月に1度あるかないかの洗い物をしてくれた時。

わたしはいつも洗い物しても誰からも
「ありがとう」なんて言われずに当たり前にやってるのに、
なぜ、たまにしかしない人(夫)に「ありがとう」って言わなきゃいけないの?

なんか気にくわない。
なんか嫌だ。
でも言っておいた方が無難だな・・・
と腹の中で思いながら「ありがとう」をいってきました。

でも、相手のフィルターからみて、
心からの「ありがとう」を言える状態を作って「ありがとう」と言えた時がある話でしたね。

どちらがいい人間関係を築けるかは一目瞭然だと思います。


でも、
わたしの「夫婦は家事も協力して支え合うもの(支え合いたい)」
という価値観を、
夫にに受け入れてもらえたわけでも、
理解されたわけでもないです。

んん??!

これはどうしたらいいのか・・・!??

今日は、もう少しその先の概念をお話します。

この場合
「陰徳(いんとく)を積んでいる!」
と考えてみてください。

陰徳を積むと、いいことが返ってきます!

陰徳(いんとく)とは、
人に知らせることなく、ひそかにいい行いをすることです。

その逆は、顕徳(けんとく)または陽徳(ようとく)といいます。

例えば、電車であれば、座っていたら、目の前に杖をついたご高齢の方が来た。
だから、席を譲った。というのは、顕徳です。

陰徳とは、電車に乗った時に、席が空いてるけれど、
この後、座りたい人、席を必要としている人が乗車するかもしれないから、
自分は立っていよう!という行動をすることです。

これは、本人にしかわからないことで、
周りからは、「立ってる人がいるな」くらいにしか思われません。

でも、どんな思いでやっているかを自分だけは理解しています。

19世紀に活躍した哲学者のルドルフ・シュタイナーは、
「行動に対する愛だけが決定的である」
と言い表しています。

まさに、「電車で席が空いてるけど、必要な人のために敢えて立っていることを選択する」というのは、「行動に対する愛」を具現化しています。

究極的にいうと、
「人は誰かや何かのためにとった行動(陰徳)」
が巡り巡って常に返ってきています。

愛情・お金・人脈・チャンス
というものは、
直接的にそれそのものを得ようとして得られるものではなく、
二次的に、結果として入ってくるものです。

例えば、
ビジネスで成功している人でかつ、魅力的な人って、
人にさりげなくプレゼントするのが上手だったり、
その人と話すだけでなんか元気になれたり、
気遣いが自然とできる人だったりします。

しかもそれが、
いやらしい感じがなく、ごくごく自然に、
相手のことを思って、
さりげなく心配り・気配りができていたりします。


だから、
自分の価値観をわかって欲しい!
という理解を求めることもある程度したらいいと思います。
わたしも散々やってきました(笑)
そして、空回りし続けました。


特に、
ビジネスパートナーや、夫婦など、
密な関係であるほど、
わかって欲しいし、きっとわかってくれるよね!
という「甘え」「期待」が先行しやすかったりします。


理解を得られるように「伝える」努力をすることも大切だけど、

ビジネスであれば、
社員やお客様と、

人間関係のコアでいえば、
パートナーや子ども・親と、

溺愛される=愛し愛される関係
つまり、いい関係を作りたいのであれば、

出すことが先なのです。
これ、大事なことです!!!

エレベータでも、
電車でも、
引き出しにものを入れるときも、

入っているもの(人)が出る
     ↓
入れないもの(入りたい人)が入る

「出し入れ」です!!!


相手(夫)のフィルターを通して見えた、
”夫は枠を超えて行動してくれている”というところにフォーカスして
心と言葉が一致した「ありがとう」が言えた経緯。


この相手の立場(世界観、つまりフィルター)で見てみるプロセスは
陰徳に繋がる考え方なのです。

そのプロセスを経て、「ありがとう」と伝える行動をした。
この時点で陰徳がつまれている。と考えてみて欲しいのです。

そしてそれは、
めぐりめぐって、
必ず自分に返ってきます。
陰徳って、そういうものです。

ただそれが、
あの時に積んだ徳が、
こういう形で返ってきた!
と、わからないだけで、
そういうものなんだという
パラダイムを採用してみるのです。


これ、結構頭ではわかっていて、
職場の同僚や上司
友人・知人
ママ友・パパ友などにはできてたりするんですが、

身内に対しては、なかなか疎かになっていたりします。
現にわたしがそうでした!!!(あちゃちゃ・・・)

だから、
一生懸命、やってもやっても報われない感覚があったり、
こっちは散々我慢してるんだから何かしてくれても良くない?!
みたいな、思考がぐるぐるしていました。

これブーメラン理論で言われたり、
天に向かってはいたつばが自分に落ちてくる
(↑これは、批判批評・悪口などの時に特に使われる例えですね。)
といわれます。


できるできないは一旦おいておいて考えてみてほしいのです。

シンプルに考えて、
我慢したら報われる人生を採用したいですか?

それとも、
楽しんで人の役に立つこと(喜ぶこと)をして陰徳を積んでいたら、
なんか巡り巡って必要な時に、いいことが巡ってくる人生を採用したいですか?


どちらかを選んでくださいといわれたら、
わたしは断然後者の人生を選択したいです。


だったら、陰徳だけじゃなく顕徳も含めて、
「徳積み」できることって何かな?

と考えて、
徳積みできることを見つけて、
その行為行動そのものを楽しめる自分のマインドを作った方が、
自然な流れでかつ、体も心も健全に暮らせます。


その経路・回路を自分につくるまでに、
少しコツが必要なだけなのです。


次回はその辺りのお話をしていきたいと思います。

自分がしているもしくはできる、
「徳積み」って何があるかな?

と、思考を巡らせてみるだけでも、
脳のニューロネットワークにその電気が流れるので、
暇な時間にでも、ちょっと問いかけてみてください!

答えを見つけることが目的ではなく、
まずは、問いかけをしてみることが目的なのでそれでOKです。

それでは今日はこのへんで。

ありがとうございました!

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