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「志高く」バックナンバー①~正しく棚に上げる編~

こんにちは。志高塾です。
 
本日は、代表・松蔭が内部向けに発行している「志高く」より、2008年11月に執筆されたvol.8を再録いたします。こちらはホームページではなく、各講師が担当生徒に向けて作成する月間報告の裏面に掲載されているものです。

※月間報告の詳細については、以下のページをご覧頂けますと幸いです。
志高塾|講師1人に生徒2人の国語の個別指導|西宮北口校・豊中校・高槻校 (shiko-juku.com)

つまり、当時通ってくれていた生徒や親御様にあてて書かれたお便りであり、ホームページ上のブログで公開している記事とは内容が異なります。私も今回初めて読みました。
 
澄みきった秋の空に、あたたかく響きわたるような文章です。どうぞゆっくりとお楽しみください。
 
               ***
<現在進行中>
私はノンフィクションか歴史小説を好んで読みます。「同じ状況だったら、自分だったらどうやって行動するだろう?」と考えながら読めるのが、好きな理由かも知れません。でも、結局好きなものは好きなので、本当の理由は自分でもよく分かりません。
 
最近、夏目漱石の『坊っちゃん』を読み、今は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んでいます。2つの共通点は、世間一般では有名な本であるということ、私にとっては理解するのが難しいということです。
 
前者は道後温泉に行ったのを機に、手にしました。後者は、新訳が非常に読みやすく売れているということなので、全5巻を一気に買いました。装丁も洒落ていて、非常に身近に感じられました。しかし、どちらも話の内容は分かるのですが、本当に言いたいところが全くつかめません。だから、面白さも分からないのです。後者にいたっては、ひと月ぐらいたっても、まだ2巻の半ばという状態です。教室への行き帰りに読んでおり、寝る前に読む本は別にあって並行して進めているのですが、その本が面白くなってくると鞄に忍ばせてしまいます。「『カラマーゾフの兄弟』も、もっと本腰を入れて読み続ければ、きっと今よりは面白さが分かってくる」と思いながらも、つい別の本に手を出してしまいます。そして、さらに面白さが遠のいていきます。頭で分かっていても、行動に移せない自分がいます。そして、「分からないことに立ち向かうから、成長するんだよ」と生徒に言っている自分がいます。
 
大人になっても、今、子どもが直面している課題と同じようなことを感じる機会はたくさんあります。つまり、現在進行中なのです。子ども時代は昔に終わっているから、子どもの気持ちが分からないということではないのです。それに気付かず、自分のことを棚に上げて、「何で私の子どもは……」と考え始めると、きっといい答えは出てきません。

一方で、意図的に自分のことを棚に上げて、子どもに教えることも大事です。当然のことながら、自分ができなかったから、できないからといって、子どももできなくてもいいということにはならないからです。
 
ただし、一つだけ大人と子どもの違いで気を付けなければいけないことがあります。それは、子どもは純粋であるということです。大人は、色々なことを経験して良くも悪くも鈍くなっています。一方で、子どもは純粋で敏感です。打てば響くだけに、打ち方を間違えれば大変なことになります。志高塾が、心を込めて打てる講師がいて、子どもたちの純粋な響きが共鳴しあう場になるように、一歩一歩階段を上って行こうと思っています。
 
                              松蔭俊輔
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代表はしばしば、「俺は国語が苦手だから」「学生の頃に本をあまり読まなかった」というようなことを口にします。そのような経験から、国語や読書の重要性を痛感し、志高塾を始めたと。

自分ができないこと、できなかったことを真正面から受け入れ、向き合える人。「どうにかならんかな」と自身を打ち、他者から打たれ、そして自らを響かせられる人。その人の打ち方は、きっと誰よりも強く優しいのだろうと思います。

<次回予告>
 志高塾初代図書委員長であり、現在は特別顧問を務める高校2年生Y君の推薦図書紹介文をお届けします。どうぞお楽しみに!

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