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講師の作文①~難問~

こんにちは、志高塾です。

作文を書くのは、子どもたちだけではありません。
大人だって、書くんです。考えるために。成長するために。

というわけで、今回は社員の竹内が昨年の春に書いた意見作文をお届けします。

手前味噌になりますが、真剣に考える書き手の姿が浮かんでくる、良い作文です。ぜひゆっくりとご覧ください。

竹内の意見作文Vol.7「難問」

中学受験が落ち着いたあたりから、学生時代の友人と久しぶりに集まることができた。もともとの関係のまま、しょうもない話を延々としゃべり倒せたのが良かったのはもちろんのこと、仕事の話題が増えたのは大きな変化であった。友人関係は、クラスや部活、趣味のように共通点があるところから始まることが多い。そのため、共有しているコミュニティがなくなってしまえば疎遠にもなる。しかし、同じ環境に身を置いていなくても、具体的な業務が一緒でなくても、働いているという共通項によって分かり合える部分を持てるのは、社会人の特権である。さらに言えばこんなに盛り上がったのはそれぞれが仕事に意義を見出しているからであって、そこに温度差があればさほど話は長続きしなかったであろう。

また先日、社会人1年目を終えた元学生からも連絡を貰ってランチをする機会があった。ここでも4時間ぐらい話し込んでいたのだが、やはり仕事に関する話題がほとんどだった。正直なところ、1年目の頃の私は何も考えていなくて空っぽすぎたので、既に物事をよく理解している彼女の話を聞きながら敬服しきりであったが、それと同時にかなり刺激を得たので良しとしたい。

「本気になりきれへん」というのは、ある高校2年生の生徒が口にした言葉である。中学受験を終えたタイミングから志高塾に通い始めた彼は、意見作文の基礎編を終えたので読解問題に移行した。だが、自分と向き合う時間がまだまだ必要であるため、それと並行しながら作文を続けさせている。

禁止する言葉を一つ挙げ、その理由や効果を説明するというテーマにて、「まあいいや」を禁ずると発案できたところまでは、自分の課題を何となくでも認識していることが窺えた。しかし、書き上げたものに目を通してみると「なんでも『まあいいや』で済ませていると今後は命取りになると親から指摘された」という説明に留まっていて、「なんか周りからそう言われてるから」くらいの理解でしかなかった。

彼は去年の冬まで乗馬をしていて、大会のジュニアの部門では好成績を残している。反省すべき結果となる時もあるのだが、そういう時も「まあいいや」となってしまう。好きでやっていることではあるものの、究めようとしているかというとそうではないという自覚があるようであった。そんなやりとりをしている時に本人の口をついて出てきたのが、先の言葉である。

仕事なら責任を持つことは当然であり、「今回は本気じゃなかったんです」などというのが通るはずはない。社会に出ると大なり小なり自分を追い込まなければならない時が訪れるので、その時に気付くことはできるかもしれない。でも、私は自分が浪人した時にそのことに気付けていたらと今も後悔する。実家から私大に通う学生生活でなかったら今の自分はいなかったけれど、それでもあの時に良い受験をできていたら今よりもっと逞しい自分になれていただろうとずっと思っているし、これからも変わらない。

押し付けかもしれないが、だから彼には今変わっていくための一歩を踏み出せるようにしてあげたい。思うようにいかなかった中学受験とは違う結果を引き寄せられるようにしてあげたい。

実際のところ、本気かどうかの判断は主観的で曖昧なものだ。自分では全力のつもりでも、他人の目にはそうは映らないことだってある。しかし、100%の力でないと自分で分かっているのなら、やはり動き出さないといけない。最近入った子も含め、豊中の高校2年生は全部で4名いる。彼はその中で最も長く通ってくれているだけに、「志高塾に来てよかった」と一番思っていてほしい。

相手のためを思って伝えたことでも、肝心の相手がそのことに問題意識を持っていなければ響かない、ということは多々ある。人からアドバイスしてもらって行動に移せるのは、現状をどうにかしないといけないと思っていて、そんな時にかけられた言葉に納得できるからだ。「これでいいや」と満足していたら、なかなか次の一歩を踏み出そうとはなっていかない。だからこそ、自分を見つめることのできる問いかけを重ねていく必要がある。本気になれないなら、「本気を出さないといけない場」としてここが機能するだけである。


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